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*2000年 - 外務省[[北米局]]北米第一課企画官
*2000年 - 外務省[[北米局]]北米第一課企画官
*2001年1月 - 外務省総合外交政策局軍備管理軍縮課長、
*2001年1月 - 外務省総合外交政策局軍備管理軍縮課長、
*2003年2月 - [[フランス]]日本大使館参事官
*2003年2月 - [[フランス日本大使館|在フランス日本大使館]]参事官
*2005年 - 在[[フランス]]日本大使館政務[[公使]]
*2005年 - 在[[フランス]]日本大使館政務[[公使]]
*2006年4月 - [[ウィーン]]国際機関日本[[政府代表部]]公使<ref>[http://www.ci.emb-japan.go.jp/pdf/ambassadeur.pdf 大使略歴(仏語PDF)] </ref>
*2006年4月 - [[ウィーン]]国際機関日本[[政府代表部]]公使<ref>[http://www.ci.emb-japan.go.jp/pdf/ambassadeur.pdf 大使略歴(仏語PDF)] </ref>
*2008年 - 駐[[コートジボワール]][[特命全権大使]]
*2008年 - 駐[[コートジボワール]][[特命全権大使]]
*2011年9月 - [[シカゴ]]総領事
*2011年9月1日 - [[シカゴ]]総領事
*2012年9月 - [[中東アフリカ局]]アフリカ部長
*2012年9月 - 外務省[[中東アフリカ局]]アフリカ部長


== 人物 ==
== 人物 ==

2014年6月14日 (土) 02:16時点における版

岡村 善文(おかむら よしふみ、1958年1月13日 - )は日本の外交官森喜朗の発案で最年少大使として駐コートジボワール特命全権大使を務め、現在外務省アフリカ部長。

経歴

人物

1994年のルワンダ虐殺、1999年のコソボ紛争など、武力紛争が行われている地域に外務省や国連を代表して派遣された経験がある。また、IAEAを中心に国連外交の経験も豊富である。

2008年、北海道洞爺湖サミットアフリカ重視の姿勢を示すため、通常より若い年次でアフリカに大使を赴任させるという人事案の下で、最年少50歳でフランス語圏の駐コートジボワール特命全権大使トーゴベナンブルキナファソニジェール駐箚兼務)に就任する。その際、上記の経験を有することから、自民党外交部会で当時の薮中三十二外務事務次官から「修羅場に強い男」と紹介される。

同様に、同年片上慶一英語研修)が英語圏の駐ガーナ大使に、越川和彦スペイン語研修)が、ポルトガル語圏の駐アンゴラ大使に就任した[2]

2011年には、大使公邸が武装集団に襲撃され、15時間の軟禁状態に置かれた。その際、フランス軍により救出され、パリに避難する。

2012年9月には外務省アフリカ部長となり、第五回アフリカ開発会議事務局長を兼務している。

同期入省

外部リンク

脚注

  1. ^ 大使略歴(仏語PDF)
  2. ^ 朝日新聞2008年07月25日