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== 人物・経歴 ==
== 人物・経歴 ==
友人である中森一郎<ref>『[[月刊アフタヌーン]]』に作品が掲載されたこともあるが、現在は漫画家アシスタントとして活動。神聖モテモテ王国のキャラクター「ブタッキー」の苗字と「オンナスキー」の名前は彼の名前から取られたと言われる{{誰2|date=2012年12月}}。</ref>が『[[ファンロード]]』([[ラポート]])の常連投稿者だったことを知り、投稿を始めるようになる。主に葉書による2コマ漫画であったが、中森の友人であることも含めて異様な反響があり、直後に原稿で漫画を投稿するようになる<ref>投稿作品は『ムウミン谷の攻防』のみ大幅な加筆を経て後の単行本に収録されるが、{{独自研究範囲|date=2012年12月|当時の投稿作品は既存作品のパロディが中心のため、商業目的の書籍への掲載は難しいものと思われる}}。</ref>。[[1980年代]]中頃から『ファンロード』編集部からの依頼による漫画を執筆するようになり、[[1988年]]に単行本『チャッピーとゆかいな下僕ども』を出版するも、翌年誌上の漫画作品内において絶筆を宣言する。この時点で編集長はながいのその後について「戦争に興味があるからそっち方面にいくとか言っていたけど…」とコメントしている。この頃の彼の風貌は、[[大友克洋]]の漫画『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』の主人公・金田に極めて酷似していたと言われる{{要検証|date=2007年11月}}
友人である中森一郎<ref>『[[月刊アフタヌーン]]』に作品が掲載されたこともあるが、現在は漫画家アシスタントとして活動。</ref>が『[[ファンロード]]』([[ラポート]])の常連投稿者だったことを知り、投稿を始めるようになる。主に葉書による2コマ漫画であったが、中森の友人であることも含めて異様な反響があり、直後に原稿で漫画を投稿するようになる<ref>投稿作品は『ムウミン谷の攻防』のみ大幅な加筆を経て後の単行本に収録される。</ref>。[[1980年代]]中頃から『ファンロード』編集部からの依頼による漫画を執筆するようになり、[[1988年]]に単行本『チャッピーとゆかいな下僕ども』を出版するも、翌年誌上の漫画作品内において絶筆を宣言する。この時点で編集長はながいのその後について「戦争に興味があるからそっち方面にいくとか言っていたけど…」とコメントしている。


[[1995年]]に『[[少年サンデー特別増刊R]]』にて読切『極道さんといっしょ!』を掲載。翌[[1996年]]15号より『[[週刊少年サンデー]]』に『[[神聖モテモテ王国]]』を連載、独特のギャグセンス、世界観が一部でコアな人気を呼んだ。しかし、[[2000年]]9号を最後に突然何の前触れもなく連載が中断。この連載中断があまりにも唐突だった事から、ながいの死亡説や夜逃げ説などがまことしやかにささやかれたが、この時期の動向については少なくとも公にはなっていない。
[[1995年]]に『[[少年サンデー特別増刊R]]』にて読切『極道さんといっしょ!』を掲載。翌[[1996年]]15号より『[[週刊少年サンデー]]』に『[[神聖モテモテ王国]]』を連載、独特のギャグセンス、世界観が一部でコアな人気を呼んだ。しかし、[[2000年]]9号を最後に突然何の前触れもなく連載が中断。この連載中断があまりにも唐突だった事から、ながいの死亡説や夜逃げ説などがまことしやかにささやかれたが、この時期の動向については少なくとも公にはなっていない。

2014年7月16日 (水) 19:49時点における版

ながいけんは、日本漫画家静岡県浜松市出身。独特の世界観とギャグセンスを持つギャグ漫画家。

自らを「閣下」と自称し、ファンらも嬉々として受け入れているなど、一部でカルト的な人気を持つ。

人物・経歴

友人である中森一郎[1]が『ファンロード』(ラポート)の常連投稿者だったことを知り、投稿を始めるようになる。主に葉書による2コマ漫画であったが、中森の友人であることも含めて異様な反響があり、直後に原稿で漫画を投稿するようになる[2]1980年代中頃から『ファンロード』編集部からの依頼による漫画を執筆するようになり、1988年に単行本『チャッピーとゆかいな下僕ども』を出版するも、翌年誌上の漫画作品内において絶筆を宣言する。この時点で編集長はながいのその後について「戦争に興味があるからそっち方面にいくとか言っていたけど…」とコメントしている。

1995年に『少年サンデー特別増刊R』にて読切『極道さんといっしょ!』を掲載。翌1996年15号より『週刊少年サンデー』に『神聖モテモテ王国』を連載、独特のギャグセンス、世界観が一部でコアな人気を呼んだ。しかし、2000年9号を最後に突然何の前触れもなく連載が中断。この連載中断があまりにも唐突だった事から、ながいの死亡説や夜逃げ説などがまことしやかにささやかれたが、この時期の動向については少なくとも公にはなっていない。

2003年末に『週刊ヤングサンデー』で『神聖モテモテ王国』を短期連載(5週間)、2004年2月より『ファンロード』でイラストエッセイ『万物斉同』(長井建名義)を毎月連載するが、2006年3月、漫画家復帰を目指すため連載を終了。漫画を描かなくなってかなりの期間が経つものの、漫画界・一般社会問わず根強いファンが存在する。

2009年3月18日、5月に創刊する『ゲッサン』にて連載することを公表。創刊号より『第三世界の長井』を連載開始し、現在も連載が続いている。

絵柄は大友克洋に影響を受けており、人物は写実的ながら省略を効かせたタッチで描かれる事が多い。また、緻密に描き込まれた背景作画も特徴である。『週刊少年サンデー』での執筆開始までに作画アシスタントの経験を積んでいるが、師事した作家は不明。

作品リスト

脚注

  1. ^ 月刊アフタヌーン』に作品が掲載されたこともあるが、現在は漫画家アシスタントとして活動。
  2. ^ 投稿作品は『ムウミン谷の攻防』のみ大幅な加筆を経て後の単行本に収録される。