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== 概要 ==
== 概要 ==
鉄道路線は[[大井川鐵道大井川本線|大井川本線]]と、[[中部電力]]から運営受託ている[[大井川鐵道井川線|井川線]](南アルプスあぷとライン)を有する。大井川本線は[[蒸気機関車]] (SL) の[[動態保存]]、井川線は日本唯一の[[アプト式]]鉄道として知られる。
鉄道路線は[[大井川鐵道大井川本線|大井川本線]]と、[[中部電力]]から運営受託されている[[大井川鐵道井川線|井川線]](南アルプスあぷとライン)を有する。大井川本線は[[蒸気機関車]] (SL) の[[動態保存]]、井川線は日本唯一の[[アプト式]]鉄道として知られる。


ローコスト運営の[[名鉄グループ]]の中でもさらに際立つローコスト運営と、中部電力からの運営受託収益で、地方のローカル鉄道でありながら経営基盤を確立しているのは特筆に価する。
ローコスト運営の[[名鉄グループ]]の中でもさらに際立つローコスト運営と、中部電力からの運営受託収益で、地方のローカル鉄道でありながら経営基盤を確立しているのは特筆に価する。

2014年11月19日 (水) 10:45時点における版

大井川鐵道株式会社
Ōigawa Railway Co., Ltd.
蒸気機関車C56 44
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 大鐵
本社所在地 日本の旗 日本
428-8503
静岡県島田市金谷東二丁目1112番地の2
設立 1917年大正6年)5月19日
業種 陸運業
法人番号 1080001013422 ウィキデータを編集
事業内容 鉄道・自動車による一般運輸業
代表者 代表取締役社長 伊藤秀生
資本金 7千万円
外部リンク 大井川鐵道株式会社・公式ホームページ
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大井川鐵道株式会社(おおいがわてつどう)は、静岡県に路線を有する名鉄グループの中小私鉄である。略称は大鐵(だいてつ)。

全国登山鉄道‰会加盟会社。

概要

鉄道路線は大井川本線と、中部電力から運営受託されている井川線(南アルプスあぷとライン)を有する。大井川本線は蒸気機関車 (SL) の動態保存、井川線は日本唯一のアプト式鉄道として知られる。

ローコスト運営の名鉄グループの中でもさらに際立つローコスト運営と、中部電力からの運営受託収益で、地方のローカル鉄道でありながら経営基盤を確立しているのは特筆に価する。

他に寸又峡線の路線バス事業を手がけている。

元々は大井川鉄道という会社名であったが、2000年(平成12年)10月1日に子会社の大鉄技術サービスを存続会社とする形で合併し、その翌日、大井川鐵道と商号を改称した。「鉄」を旧字体の「」にしたのは、「鉄は『』を『』うと書き、縁起が悪いから」だといわれている。なお、地元の静岡新聞など一部マスメディアは現在でも『大井川鉄道』表記を続けている。これは日本新聞協会共同通信社などに「表記としては新字を使用する」という原則があるためである。

1976年昭和51年)に日本で初めて蒸気機関車の動態保存を始めた鉄道で、現在でもほぼ毎日運転されている。また、蒸気機関車の保存運転を行っている縁から、1977年(昭和52年)12月19日スイスブリエンツ・ロートホルン鉄道と姉妹鉄道提携を結んでいる。1996年(平成8年)8月10日に沿線の金谷町(現在の島田市)がブリエンツ村と姉妹都市提携を結んだのも、この縁によるものである。1986年(昭和61年)1月25日には台湾阿里山森林鉄道とも姉妹鉄道提携を結んでいる。

大井川本線で運行されるSL列車SL急行)に旧形客車を使用していることや沿線の風景から、戦前戦時中に時代設定されているドラマ映画ロケーション撮影でよく使用される。ただしストーリー上の舞台は必ずしも静岡県内とは限らず、電化路線であることから時代・地域設定に関わらず架線が映ってしまう問題も生じている。

なお、井川線は当初から蒸気機関車が運用されてはいなかったが、イベント列車として走行したことがある。

運賃・時刻表は外部リンクにある公式サイトをアクセスのこと。

鉄道事業

鉄道路線

以下の2路線を運営している。各路線の運行形態などはそれぞれの項目を参照。

大井川本線と井川線とは建築限界が極端に異なり、共通するのは軌間だけである。千頭駅を境に大井川本線と井川線の運行ダイヤは分断されている。この分断は運賃にもみられ、同じ事業者でありながら、大井川本線と井川線相互間を乗車する場合でも千頭駅で一旦打ち切る形が採られており、乗車券は原則として通し購入可能だが、千頭駅で再購入する場合と同額となる[注 1]

金谷駅には自動券売機が設置されているが、発売している乗車券類はもっぱら昔ながらの硬券軟券補充券である。また、同じ県内の岳南鉄道線同様、JR線への連絡乗車券[注 2]も同様のものが使われている。2014年4月1日の消費税8%によるJR線運賃改定により硬券でのJR連絡乗車券の販売は一時休止されている。

大井川鐵道の鉄道事業収入は、沿線人口の減少などから、現在はその9割をSL列車SL急行)への乗車を目的とする観光客から得る構造となっている[2]。しかし、東日本大震災襲来後に団体バスツアー客などが減少し続けていることから2011年度から2期連続で最終赤字を計上してきていることに加え[3]、2013年8月に施行された高速乗合バス走行距離規制強化において沿線自治体のうち島田市北部および川根本町が首都圏からの距離にして規制強化後の走行距離制限値を僅かに上回ることから首都圏の大部分からの日帰りが不可能となり[4]、これが要因となって同年4 - 12月期の団体ツアー客は前年同期より46%減少し、収益をさらに悪化させていた[5]

このため大井川鐵道は2014年2月3日に社長を務める伊藤秀生が記者会見を開き、経営合理化の一環としてのダイヤ改正を同年3月26日に実施することを明らかにした[2][5]。この中で、大井川本線では改正前[注 3]において14往復設定されている電車を「全線運転8往復と金谷 - 家山間区間運転1往復」に削減、また井川線では改正前[注 3]において全線運転4往復並びに区間運転3往復(うち1往復は季節運転)設定されているところを「全線運転4往復+区間運転(1本)」に削減する、一方で大井川本線におけるSL急行の運転に関しては改正後も現行通りとする、としている[5][注 4]。この記者会見に先立ち伊藤社長は会見当日の午前に島田市役所を訪れ、沿線自治体である島田市と川根本町の両首長に対して存続についてや[5]、経営支援策を検討する協議会の設置を要請[2]、これに対し島田市と川根本町は静岡県などにも参加を呼び掛けて早期に協議会設置にこぎ着ける方針を示している[3]。なお、このダイヤ改正で2014年度に約2300万円のコスト削減を見込むも「劇的な改善効果はない」(伊藤秀生社長談)として、前記の島田市と川根本町に対して補助金拠出や固定資産税減免などを要請する見通しと報じられている[3]

未成線

大井川鐵道にはかつて以下の鉄道計画が存在したが実現することはなかった。

  • 井川線延長計画 - 井川線を堂平駅(廃止)から井川村中心部を経て桃の木島平付近まで延長する計画。
  • 御前崎線 - 新金谷から御前崎へ至る鉄道計画だが、出願準備中に中止となった。[8]

車両

電車

現在在籍している電車は、全車両が関西の大手私鉄からの譲渡車で、どれも元特急運用の実績がある車両である。電化されている大井川本線でのみ運用。

電化後間もないころは国電の払下げ車両と、西武鉄道からの譲受車両のみで構成されていたが、次第に様々な鉄道から車両を譲受していくようになる。以前はクリームと赤(一部車両は青)の独自の車体色を有していたが、最近では譲受車両に動態保存の意味も込めているため、オリジナルの車体色のまま運用されている。現在の在籍車両は以下のとおり。なお、電力事情の関係で高性能車の加速性能はいずれも吊り掛け車並みに下げられている。

2014年6月、十和田観光電鉄から両運転台車2両(元東急7200系電車の改造車)の譲渡を受けた。運行開始時期は2014年の冬を予定している[9]。大井川鐵道がこの2両の導入にかけた費用は車両費が1,000万円、輸送費が900万円、改造費が6,100万円で合計8,000万円。

現有車両
  • 16000系 - 元近鉄の特急車。トイレの閉鎖とワンマン化改造が行なわれた以外はほぼ近鉄時代のまま使われている。3編成が在籍し、現在の大井川本線の主力となっている。そのうち第3編成 (16003F) はリクライニングシートでその他は回転シートである。2014年夏に大井川本線で蒸気機関車C11 227号機による「きかんしゃトーマス号」が運転されることを受け、同年4月26日よりトーマス号PRラッピング電車が登場した。これには16003Fが使用されている。
  • 21000系- 元南海高野線の大運転(急行)用車両。夏期の増発や特急車の検査時代走などで特急「臨時こうや号」運用へ充当する必要から、最後まで扉間に転換クロスシートが残されていた第1・第2編成の先頭車を譲り受けた。21002の車内に清涼飲料の自動販売機が設置してある。
過去の車両
モハ1000形
420系
3000系
  • 電車
    • モハ200形201・202 - 元鳳来寺鉄道モハ10形10・豊川鉄道モハ10形13→国鉄モハ10形10・13。
    • モハ300形301・302 - 元鉄道省デハ33500形33509・33510→鉄道省モハ1形1035・1036→三信鉄道デ300形デハ307・308→国鉄デ301形クデハ307・308。
    • モハ300形303 - 元豊川鉄道モハ30形モハ32→国鉄モハ1611。
    • モハ300形304 - 元武蔵野鉄道デハ5550形5551→モハ231形231。
    • モハ300形305・306 - 元富士身延鉄道モハ110形113・110→国鉄モハ93形93009・93006→国鉄モハ1200形1208・1205。
    • モハ300形307 - 元西武鉄道(初代)モハ550形558→西武鉄道モハ151形159。
    • モハ300形308 - 元南武鉄道モハ150形153→国鉄モハ2000形2002。
    • モハ300形309 - 元愛知電気鉄道デハ3300形3302→名古屋鉄道モ3300形3302の車体とモハ302の主要機器を組み合わせて新製扱いとしたもの。当初はモハ302(2代目)として竣工。
    • モハ310形310 - 元名古屋鉄道モ3800形3805。
    • モハ300形311 - 元鉄道省モハ50形50020→国鉄クモハ11形11424→西武鉄道クモハ371形374。
    • モハ300形312・313 - 元西武鉄道クモハ351形366・361。2007年(平成19年)5月現在、1編成が千頭駅に留置されている。
    • クハ500形501 - 元武蔵野鉄道サハ121形121→西武鉄道クハ1201形1209→大井川鉄道クハ30形クハ31。
    • クハ500形502 - 元宮城電気鉄道モハ601形602→国鉄モハ2310形2310。
    • クハ500形503・506 - 元三信鉄道デ301形デハ304・305→国鉄デ301形デハ304・305→国鉄デ301形クデハ304・305→国鉄クハ5803・5804。
    • クハ500形504 - 元武蔵野鉄道サハ5650形5651→モハ231形234。
    • クハ500形505 - 元富士身延鉄道クハユニ300形303→国鉄クハユニ95形95004→国鉄クハユニ7200形7203。後にSL列車用の客車・ナハフ500形505号車になった。
    • クハ500形507 - 元西武鉄道(初代)モハ550形559→西武鉄道モハ151形160。
    • クハ500形508 - 元愛知電気鉄道サハ2040形2045→名古屋鉄道モ3350形3359の車体とモハ201の機器を組み合わせてモハ201の改造名義で竣工。
    • クハ510形510 - 元名古屋鉄道ク2800形2805。1986年(昭和61年)に大改造によりオープン客車のクハ861となった後、1999年(平成11年)に廃車。2011年(平成23年)5月現在、新金谷駅から伸びる側線の末端部に放置されている。
    • モハ1000形1001 - 元伊豆箱根鉄道モハ1000形1001。クハ2000形2001とペアを組んで使用された。
    • モハ1100形1105 - 元岳南鉄道モハ1100形1105。汽車製造が試作したスキンステンレス車の1105だけが移籍してきた。現在は千頭駅に留置されている。
    • モハ1900形1906 - 元小田急電鉄デハ1900形1906 。6000系の牽引用として1両のみ譲渡された。
    • クハ2000形2001 - 元伊豆箱根鉄道モハ1000形1002。電装解除のうえでモハ1001とペアを組んで使用された。
    • クハ2800形2822・2829 - 元名鉄ク2800形2822・2829。
    • モハ3000形3001・3002・3004・3005 - 元小田急電鉄デハ3000形3001・3002・3004・3005。元小田急電鉄の特急車。サハ3003を含む5車体連接車であった。
    • サハ3000形3003 - 元小田急電鉄サハ3000形3003。元小田急電鉄の特急車。
    • モハ3800形3822・3829 - 元名鉄モ3800形3822・3829。
    • モハ6010形6011 - 元北陸鉄道クモハ6010形6011。旧形車両の機器流用によるアルミ車で同系のクハ6061とペアを組み、「しらさぎ」という愛称を持っていた。廃車後、クハ6061とともに2005年(平成17年)にゆかりの地である山中温泉の「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」で保存されている。
    • クハ6050形6051 - 元北陸鉄道クハ6051形6051。北陸鉄道では加南線でクモハ6001とペアを組んで「くたに」という愛称を与えられて運行された。大井川鉄道での愛称は「あかいし」。
    • クハ6050形6052 - 元北陸鉄道クモハ6001形6001→大井川鉄道モハ6001形6001。上記クハ6051とペアを組む電動車で、北陸鉄道初の高性能車であった。大井川では架線電圧の昇圧改造が機器の関係で困難であったことから当初より電装解除されてクハ扱いで使用され、1978年(昭和53年)に正式にクハとされた。
    • クハ6060形6061 - 元北陸鉄道クハ6060形6061。上記モハ6010とペアを組む旧形車両の機器流用によるアルミ車。廃車後の処遇はモハ6011と同様。
    • 420系 - 元近鉄名古屋線特急車。一般車格下げ後、転換クロスシートは残されたものの3扉化され養老線で使用されていたものを譲受。冷房を装備していない吊り掛け駆動車で、予備車となっていた。主に他車両の検査で車両不足が生じたときなどに運用されていた。2009年(平成21年)ごろから休車になっている模様で(2009年5月22日の臨時列車が最後の営業運転だった)、千頭駅構内に留置されていたが、公式ホームページで「引退」と明言され、2012年(平成24年)3月10日・11日のSLまつりで部品が販売された。2014年8月現在は新金谷駅構内に留置されている。
    • 3000系(2代) - 元京阪本線の特急車。京阪時代「テレビカー」という愛称で親しまれていたが、テレビはワンマン改造時に撤去されている。軌間の違いにより京阪より譲り受けたのは車体のみで、台車は元営団地下鉄(現在の東京メトロ5000系のものである。正面に行き先板が取り付けられ、京阪特有の「鳩マーク」が長年隠された状態になっていたが、2012年9月下旬に千頭方3507の行き先板が外されて18年ぶりに鳩マークが復活した。老朽化と検査切れに伴い2014年(平成26年)2月限りで営業運転を終了することになった。それに伴い、「さようなら3000系」ツアーが同年1月18日・26日・2月8日・9日に行われたが、それに際し3507の車体側面上部に「テレビカー」の文字を復活、さらに金谷方3008の正面の鳩マークも京阪電気鉄道からの行燈タイプの貸出しにより復活した。このツアーでは往路が家山駅に停車したが、復路は側面の行先表示幕を「ワンマン」から「特急」に変え、千頭→新金谷をノンストップで走る大鉄初の「特急」運転を行った。2014年2月14日、金谷17時4分発、新金谷17時8分着の列車を最後に運転を終了した。その後、2014年3月21 - 30日に千頭駅で催された春の大鉄祭りでは「電車体験教室」用に使用された。2014年8月現在、E31形電気機関車2両とともに家山駅構内に留置されている。
  • 気動車
    • キハ10形11 - 元越生鉄道キハ1形3→東武鉄道キハ1形3。
    • キハ50形51・52 - 自社発注車。1930年(昭和5年)雨宮製作所 製。初のガソリンカー。
    • キハ50形54・55 - 自社発注車。1931年(昭和6年)日本車輌製造製。55は53を改番。
    • キハニ100形101 - 自社発注車。1936年(昭和11年)日本車輌製造製。唯一の2軸ボギー式ガソリンカー。
廃車一覧
記号番号
1956 キハ11、キハ51・52、キハ54・55
1959 キハニ101
1967 モハ202、(モハ201→クハ508)
1970 モハ302
1972 モハ303・304、(モハ301→3829、モハ308→3822、クハ502→2829、クハ504→2822)
1974 クハ501・503
1978 モハ305・306、クハ506
1980 モハ307、クハ507・508
1984 ナハフ505
1986 モハ309
1993 モハ310、モハ3001-3004、サハ3003
1996 モハ1105、モハ1906、クハ6051・6052
1997 モハ3822、クハ2822
1998 モハ311、モハ511、モハ3829、クハ2829
1999 モハ1001、クハ2001、クハ861
2001 モハ6011、クハ6061
  • ()は改造名義
  • 2002年以降廃車モハ312・313、クハ512・513、420系、3000系

電気機関車・ディーゼル機関車

現有車両
過去の車両
  • 大井川本線用
    • E10形E103 - 自社発注機。1949年(昭和24年)日立製作所製。一時岳南鉄道ED10形ED103となっていた。2014年8月現在、千頭駅側線に留置。
    • E10形E105 - 元阪和電気鉄道ロコ1000形1002→南海鉄道ロコ1000形1002→国鉄ロコ1000形1002→国鉄ED38形ED38 2。後に秩父鉄道ED38形ED38 2へ。
    • D1形D1
    • B11 - 西武鉄道より購入後、営業運転実績無しのまま除籍。
  • 井川線用

蒸気機関車

現有車両
  • 大井川本線用
    • C10形C10 8 - 唯一のC10形の現存機かつ動態保存機。
    • C11形C11 190 - 元々は熊本県内の個人の手によって保存されていた蒸気機関車。過去にはお召し列車も牽引していた。
    • C11形C11 227 - 1976年(昭和51年)7月9日に大井川鉄道で運転開始した日本での復活蒸気機関車第1号機。 2012年(平成24年)・2013年(平成25年)の夏には大井川鐵道のキャラクター「SLくん」を模した青色車体塗装となり、2014年(平成26年)夏には「きかんしゃトーマス」の意匠を施して「きかんしゃトーマス号」として運転された。 トーマス号は10月13日の貸切運転で2014年度の運転を終了。 10月19日には黒色の元の姿に戻り運用に復帰した。 トーマス号は2015年度と2016年度にも運転が予定されており、2015年度は6月から運転開始の予定となっている。
    • C56形C56 44 - 戦時供出によってタイへ渡った出征機関車のうちの一両。日本国内での最終配置は苗穂機関区で、1941年(昭和16年)12月18日付の廃車。タイ国鉄では735号となる。1979年(昭和54年)に日本に戻り、1980年(昭和55年)1月29日に大井川鉄道で営業運転開始。2003年(平成15年)12月から休車となった後、2007年(平成19年)10月7日から2010年(平成22年)夏までタイ国鉄当時の塗装で復活。その後再度日本国鉄時代の塗装に戻され、2011年(平成23年)1月29日から運転を再開している。
過去の車両
C11 312
「プラザロコ」で保存されている1「いずも」
  • 大井川本線用
  • その他
    • 1号「いずも」
      • 1921年(大正10年)にオーレンシュタイン・ウント・コッペルで製造され、一畑軽便鉄道が1922年(大正11年)に4両目の機関車として導入した、12.8t(トン)車軸配置0-6-0(ホワイト式)のタンク式蒸気機関車である。一畑軽便鉄道が一畑電気鉄道に社名変更したうえで1928年(昭和3年)に電化された後の1929年(昭和4年)に廃車となり、七尾セメント(その後磐城セメント七尾工場を経て住友セメント七尾工場)に売却され[10]、同社1号機として専用線の貨物列車の入れ替えや牽引に使用されていた。
      • 用途廃止後は倉庫内で放置されていたが、1974年(昭和49年)に分解状態で発見され、プレスアイゼンバーン松本謙一前里孝が購入したうえで動態復元され[11]、1977年(昭和52年)8月に大井川鉄道(当時)に保存を委託された。大井川鉄道では、一畑軽便鉄道にちなんで「いずも」という愛称が一般公募により命名され[11]千頭駅川根両国駅を往復するミニSL列車(この列車自体は1970年からの運転)に使用された。1983年(昭和58年)には井川線規格に適合させるために煙突と運転台の屋根を切り詰める改造が行われ[11]1984年(昭和59年)には井川線の客車を牽引して井川駅まで乗り入れた[12]。当時は井川湖の湖畔で遊覧運転をする計画があったという[12]が、実現には至っていない。
      • 1989年に前述のミニSL列車が運転終了。同年に本車は車籍抹消され、その後は七尾工場時代のスタイルに復元されたうえで、新金谷駅前「プラザロコ」にて静態保存されている[13]
    • 1275
    • 2109 - 1891年イギリスダブス社製。1966年(昭和41年)に西濃鉄道から譲り受けて動態復元。1975年(昭和50年)ごろから休車となっていたが、1992年(平成4年)に日本工業大学に寄贈され動態保存されている。

客車

現有車両
スイテ82形
井川線列車。先頭はクハ600形
過去の車両
  • 大井川本線用
    • ハフ1形1 - 1927年鉄道省より払下げを受けた平岡工場製のハ1841[14]である。当初はハ1であったが1929年に改造されハフとなった。1941年に貨車(チ1)に改造された。
    • ハフ10形10
    • ハフ10形15
    • ハフ30形31・32 - 1930年鉄道省より払下げを受けた鉄道車両会社製ハフ3015.3016[15]。1941年に貨車(チ4.5)に改造された。
    • ホハニフ100形101
    • ホハニフ100形102
    • ナハフ500形505 - SL列車の客車が不足したため、1977年(昭和52年)に前述のクハ500形505を改造し、茶色塗装にしたうえで使用された。しかしドア位置の違いで「編成美をこわす」ということや、セミクロスシートであったことが嫌われ、国鉄清水港線からの客車が入線した時点で休車となり、1984年(昭和59年)に廃車された。
    • ニブ1形1
    • ニ20形20
    • ニ25形25・26
  • 井川線用

貨車

形式称号の最初につく「c」は中部電力所有車を意味する。

バス事業

路線バス車両の例。千頭駅

以前は大井川本線の沿線に路線バス事業を展開していたが、現在は寸又峡線と閑蔵線の2路線のみである。大井川本線と接続するダイヤになっており、観光客利用が多い場合には続行便なども設定される。寸又峡線1路線のみの時期もあったが、2012年4月28日より、井川線に並行する形で閑蔵線の運行を開始した。

バス路線

寸又峡線
午前の下り、午後の上りの各1本はもりのいずみにも停車。始発便は、学校の休校日は運休。下り最終便はデマンド運行。千頭駅から寸又峡温泉までの所要時間は40 - 45分。
閑蔵線
2012年4月28日運行開始。井川線よりかなり短い30分で千頭駅と閑蔵駅前を結ぶ。1日3往復。運賃も井川線より安い。

このほか、かつては静岡井川線を静岡鉄道バスと、静岡浜松線遠州鉄道バス・静岡鉄道バスと共同運行していた。また掛川市内にも路線を有していたが、こちらは1988年に掛川バスサービスに全路線を譲渡して撤退している。他にも島田市金谷町内にも路線を有していたが、こちらも2004年に島田市自主運行バスに譲渡して撤退している。

関連企業

  • 大鉄アドバンス - 「大鉄観光バス」の名称で貸切バス事業を、「大鉄タクシー」の名称でタクシー事業を、「大鉄観光サービス」の名称で旅行業を行っている。
  • 掛川大鉄タクシー - 掛川市におけるタクシー事業
  • 南アルプス産業
  • 大鉄メディアクリエイト

脚注

注釈

  1. ^ そのため、金谷 - 井川間の乗車券は3090円(2013年4月現在)となり、JR以外の民鉄の同一社線内では最高額の普通乗車券となっている。
  2. ^ 東海旅客鉄道(JR東海)管内の東海道本線東海道新幹線に限る[1]
  3. ^ a b 2013年(平成25年)10月19日改正施行ダイヤ[6]
  4. ^ ダイヤ改正後の井川線における運転本数に関しては、2014年2月19日時点において、大井川鐵道Webサイト上では「ただいま調整しております」とあるのみだが[7]、中日新聞では既に「上下線で現行1日各4本と一部折り返しを、各3本と一部折り返しに減らす」と報じている[5]

出典

  1. ^ JR連絡運輸 取扱会社線一覧表を参照
  2. ^ a b c “静岡)電車の運行本数を大幅削減。大井川鉄道”. 朝日新聞. (2014年2月4日). オリジナルの2014年2月19日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140219130449/http://www.asahi.com/articles/ASG235V5PG23UTPB00D.html 2014年2月19日閲覧。  ※記事本文すべての閲覧は要会員登録
  3. ^ a b c “大井川鉄道、本線運行4割減。3月26日から”. 日本経済新聞. (2014年2月3日). オリジナルの2014年2月19日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140219124359/http://www.nikkei.com/article/DGXNZO66300980T00C14A2L61000/ 2014年2月19日閲覧。 
  4. ^ “バス新制度、走行距離制限、日帰りツアーにも影響”. 静岡新聞. (2013年8月4日) 
    ※ネット上には現在、当該記事全文のうち冒頭の一部分が「バスの走行距離制限、日帰りツアーに影響、利用客減少に懸念」のタイトルにて『47NEWS』(共同通信社)上に掲載されるのみ《2014年2月19日閲覧(→アーカイブ);記事全文の当初掲載先だった『アットエス - 静岡新聞SBS』からは既に削除済(リンク切れ)》
  5. ^ a b c d e “大井川鉄道、電車の本数削減”. 中日新聞. (2014年2月4日). オリジナルの2014年2月19日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140219130042/http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140204/CK2014020402000094.html 2014年2月19日閲覧。 
  6. ^ 平成25年10月19日改訂時刻表』 - 大井川鐵道Webサイトより《2014年2月19日閲覧;2013年12月5日付けでインターネットアーカイブに保存済》
  7. ^ 平成26年3月26日時刻改正に伴う列車運転本数について』(→アーカイブ) - 大井川鐵道Webサイト内『大井川鐵道トピックス』平成26年2月7日付け掲載分
  8. ^ 駿遠線の夢路線 - 静鉄・駿遠線資料館
  9. ^ 「大井川鉄道に旧東急7200系2両 今冬デビュー見込み」 - 静岡新聞NEWS、2014年6月22日付
  10. ^ 島根県立古代出雲歴史博物館編集「BATADEN 一畑電車百年ものがたり」p.20
  11. ^ a b c ネコ・パブリッシング「私鉄の車両14 大井川鉄道」p.92
  12. ^ a b ネコ・パブリッシング「RM LIBRARY 96 大井川鐵道井川線」p.27
  13. ^ 大井川鐵道サイト内 プラザロコ施設ご案内”. 2010年11月25日閲覧。
  14. ^ 客車略図形式1005
  15. ^ 客車略図形式3012

参考文献

  • 飯島巌・白井良和『大井川鉄道』保育社、1986年
  • 白井良和「大井川鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.436 1984年9月号
  • 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』JTB、2001年

外部リンク