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3代将軍[[徳川家光|家光]]の時に、土圭間に置かれたため最初は土圭間組と呼ばれた<ref>[[和田英松]]、<small>[[所功]]校訂</small>『官職要解』 [[講談社学術文庫]] ISBN 978-4061586215、348p</ref>。 |
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[[江戸幕府]]にあっては五番方([[書院番]]・[[小姓組|小姓番]]・[[大番]]・[[小十人]]・'''新番''')のひとつで、特に[[征夷大将軍|将軍]]の[[江戸城]]外出時に隊列に加わり、[[警護]]に当たったほか、武器の検分役などの役目もあった。新番の責任者である新番頭は、役高 |
[[江戸幕府]]にあっては五番方([[書院番]]・[[小姓組|小姓番]]・[[大番]]・[[小十人]]・'''新番''')のひとつで、特に[[征夷大将軍|将軍]]の[[江戸城]]外出時に隊列に加わり、[[警護]]に当たったほか、武器の検分役などの役目もあった。新番の責任者である新番頭は、役高2,000石であるが、5,000石級の[[旗本]]から選任されることもあった。新番衆の役高は250石(俵)であり、書院番衆・小姓番衆より50石(俵)少ないが、軍役上、馬を常時用意する義務がないのが特徴である。ただし、馬上資格は認められている。大番と同じく出世は限られていた。 |
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諸藩にあっても特に大きな藩には新番の役職名が見えることがある。藩の常備兵力であるほか、領内に藩主などが外出するときには一行に付き添い、これを供奉して警備にあたることが多かった。[[薩摩藩]]では家格としての新番があった。 |
諸藩にあっても特に大きな藩には新番の役職名が見えることがある。藩の常備兵力であるほか、領内に藩主などが外出するときには一行に付き添い、これを供奉して警備にあたることが多かった。[[薩摩藩]]では家格としての新番があった。 |
2014年12月1日 (月) 12:09時点における版
新番(しんばん)は、武家における警備・軍事部門(番方)の役職のひとつである。江戸時代に入って泰平の世となり、平時外出用の警備隊として新設された性格と常備兵力としての性格を持つ番方(武官)の役職である。
概要
3代将軍家光の時に、土圭間に置かれたため最初は土圭間組と呼ばれた[1]。 江戸幕府にあっては五番方(書院番・小姓番・大番・小十人・新番)のひとつで、特に将軍の江戸城外出時に隊列に加わり、警護に当たったほか、武器の検分役などの役目もあった。新番の責任者である新番頭は、役高2,000石であるが、5,000石級の旗本から選任されることもあった。新番衆の役高は250石(俵)であり、書院番衆・小姓番衆より50石(俵)少ないが、軍役上、馬を常時用意する義務がないのが特徴である。ただし、馬上資格は認められている。大番と同じく出世は限られていた。
諸藩にあっても特に大きな藩には新番の役職名が見えることがある。藩の常備兵力であるほか、領内に藩主などが外出するときには一行に付き添い、これを供奉して警備にあたることが多かった。薩摩藩では家格としての新番があった。
脚注
- ^ 和田英松、所功校訂『官職要解』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061586215、348p
参考文献
- 横山則孝「江戸幕府番方の範囲をめぐって」