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2015年1月11日 (日) 08:11時点における版
Michael Oher | |||||||
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![]() 2009年8月5日トレーニングキャンプでのオアー | |||||||
テネシー・タイタンズ #72 | |||||||
ポジション | オフェンスラインマン | ||||||
生年月日 | 1986年5月28日(38歳) | ||||||
出身地 |
![]() | ||||||
身長: | 6' 4" =約193cm | ||||||
体重: | 310 lb =約140.6kg | ||||||
経歴 | |||||||
大学 | ミシシッピ大学 | ||||||
NFLドラフト | 2009年 - 1巡目全体23位 | ||||||
初出場年 | 2009年 | ||||||
初出場チーム | ボルチモア・レイブンズ | ||||||
所属歴 | |||||||
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受賞歴・記録 | |||||||
NFL 通算成績 (2013年終了時点) | |||||||
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Player stats at PFR |
マイケル・オアー(Michael Oher 1986年5月28日- )はテネシー州メンフィス出身のアメリカンフットボール選手。現在NFLのテネシー・タイタンズに所属している。ポジションはレフトタックル。
2006年に彼の大学1年次までの生涯がマイケル・ルイスによって『The Blind Side: Evolution of a Game』 として出版された。このストーリーは映画『しあわせの隠れ場所』(原題:The Blind Side[1])として2009年(日本では2010年)に公開された。
経歴
メンフィスの最も貧しい地域で生まれた。父親にはあったことがなく、また母親はアルコール中毒とクラック・コカイン中毒であったため、引き離されしばしば転校を繰り返した。高校1年次は公立高校に通ったが、高校2年次にブライアクレスト・クリスチャンスクールへの入学が認められた。彼は高校のアメリカンフットボールチームで頭角を現し2003年にはディビジョン2Aの最優秀ラインマンに選ばれると共にテネシー州のオールファーストチームに選ばれた[2]。2004年、リー・アン・テューイ、ショーン・テューイ夫妻の家に引き取られ、暖かな家庭を得ると共に1週間に20時間、家庭教師に学ぶ努力の結果、GPAは0.6から2.52に劇的に上昇させてNCAA1部校に入学できるレベルとなった。
大学進学を決める際に、テネシー大学、ルイジアナ州立大学、アラバマ大学、オーバーン大学、サウスカロライナ大学からも奨学金のオファーを受けたがテューイ夫妻の母校であるミシシッピ大学を選んだ。1年次はライトガードとして起用され1年生を対象としたオールアメリカンに選ばれる活躍を見せた。2年次からレフトタックルにコンバートされた[3]。2年次にはサウスイースタン・カンファレンスのセカンドチームに3年次にはカンファレンスのファーストチームに選ばれた。2008年1月14日にドラフトにアーリーエントリーすることを発表したが2日後にそれを取消し大学に残ることを表明した。4年次にはAP通信が選ぶオールアメリカンのファーストチームに選ばれると共にアウトランド・トロフィーのファイナリストにも残った。
2009年のNFLドラフト1巡目全体23番目にボルチモア・レイブンズに指名された[4]。同年7月30日に5年間[5]1380万ドルの契約をチームと結んだ。当初ライトタックルとして起用されたがレフトタックルのジャレッド・ゲイサーが負傷して戦列を離れたためレフトタックルにコンバートされ第8週に再びライトタックルに戻った。1m93cm、141kgの巨体ながら40ヤードを5.34秒で走るスピードを持っている。同年12月には新人月間MVPに選出された[6]。
2011年には右タックルでプレー、2012年には左タックルでプレーしている[7]。この年チームは、AFCチャンピオンシップゲームでペイトリオッツを[8]、第47回スーパーボウルで49ersを破り、見事スーパーボウルリングを手にした。
2014年、レイヴンズを放出され、タイタンズと4年契約を結んだ。
人物
スティーブ・ジョブスが亡くなった後、Twitterで質問したところ、多くの回答が殺到した。オアーによればビル・ゲイツは知っていたがジョブスは彼が亡くなるまで知らなかったという[9]。
脚注
- ^ ブラインドサイドとは右利きのクォーターバックにとってパスを投げる際に死角となる左側のサイドのこと。レフトタックルの選手は相手ディフェンスの優れたパスラッシャーからクォーターバックを守るため重要視されている。
- ^ “Michael Oher is the top lineman out of Tennessee”. mississippi.scout.com (2004年3月30日). 2010年3月28日閲覧。
- ^ “Profile of Michael Oher and an excerpt from Michael Lewis's "The Blind Side"”. npr.org. 2010年3月10日閲覧。
- ^ 当初この指名権はニューイングランド・ペイトリオッツが持っていたが、レイブンズは1巡目と5巡目の指名権と引換えにトレードで獲得した。
- ^ “レイブンズが“ドラ1”OTオアーと5年契約、新人全員と契約完了”. NFL JAPAN (2009年7月30日). 2010年3月10日閲覧。
- ^ “TオアーとLBクッシング、新人月間MVPに選ばれる”. NFL JAPAN (2010年1月9日). 2010年3月10日閲覧。
- ^ “第6週の注目マッチアップ”. NFL JAPAN (2012年10月13日). 2012年10月21日閲覧。
- ^ Trey Iles (2013年1月25日). “Super Bowl 2013 will be a chance for The Blind Side family reunion”. nola.com. 2013年1月27日閲覧。
- ^ “レイブンズTオアー、「ジョブスって誰?」で炎上”. NFL JAPAN (2011年10月15日). 2011年10月22日閲覧。