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「日本商事」の版間の差分

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== ソリブジン薬害事件 ==
== ソリブジン薬害事件 ==
*[[1979年]](昭和54年)[[ヤマサ醤油]]が「ソリブジン」を合成し、[[1985年]](昭和60年)から共同開発を進めた。
*[[1979年]](昭和54年)[[ヤマサ醤油]]が「ソリブジン」を合成し、[[1985年]](昭和60年)から共同開発を進めた。
*[[1993年]](平成5年)[[9月3日]]、抗[[ウイルス]]剤の商品名「ユースビル」を発売。しかし、発売後1ヶ月足らずで[[フルオロウラシル]]系[[抗癌剤]]との併用で重篤な副作用が発生する。[[10月8日]]に中央薬事審議会の副作用報告調査会が開催され、厚生省(現・[[厚生労働省]])から医療機関に対する「緊急安全性情報(ドクターレター)」の配布指示がある。[[10月2日]]に「相互作用で7人が重い副作用、うち3人が死亡」と報道機関へ発表。[[10月3日]]、大阪証券記者クラブにて重篤な副作用の発現と製品の一時出荷停止を発表。代理店に対して一時出荷停止を指示。[[10月12日|12日]]に「自主的安全性情報」、[[10月13日|13日]]に「緊急安全性情報」を医療機関に配布し、[[11月1日]]より自主回収を実施。結果23例で副作用発現(うち死亡14例)となった。
*[[1993年]](平成5年)[[9月3日]]、抗[[ウイルス]]剤の商品名「ユースビル」を発売。しかし、発売後1ヶ月足らずで[[フルオロウラシル]]系[[抗癌剤]]との併用で重篤な副作用が発生する。[[10月8日]]に中央薬事審議会の副作用報告調査会が開催され、厚生省(現・[[厚生労働省]])から医療機関に対する「[[緊急安全性情報]](ドクターレター)」の配布指示がある。[[10月2日]]に「相互作用で7人が重い副作用、うち3人が死亡」と報道機関へ発表。[[10月3日]]、大阪証券記者クラブにて重篤な副作用の発現と製品の一時出荷停止を発表。代理店に対して一時出荷停止を指示。[[10月12日|12日]]に「自主的安全性情報」、[[10月13日|13日]]に「緊急安全性情報」を医療機関に配布し、[[11月1日]]より自主回収を実施。結果23例で副作用発現(うち死亡14例)となった。
*[[1994年]](平成6年)[[3月5日]]、「ソリブジン」による同社株の[[インサイダー取引]]疑惑が持ち上がる。「ソリブジン」の相互作用による[[副作用]]で死亡事故が発生したことが公表されるまでに、社員や関係者が当社株式を売却し株価下落の損失を回避したことが[[金融商品取引法|証券取引法]]違反([[インサイダー取引]]禁止)に問われた。この為、社長の服部孝一が辞任する。
*[[1994年]](平成6年)[[3月5日]]、「ソリブジン」による同社株の[[インサイダー取引]]疑惑が持ち上がる。「ソリブジン」の相互作用による[[副作用]]で死亡事故が発生したことが公表されるまでに、社員や関係者が当社株式を売却し株価下落の損失を回避したことが[[金融商品取引法|証券取引法]]違反([[インサイダー取引]]禁止)に問われた。この為、社長の服部孝一が辞任する。
*[[1999年]](平成11年)[[2月16日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]は、ソリブジンに係わる副作用症例の発生事実が、証券取引法一六六条二項一号「決定に関する事実」、二号「業務に起因する災害事実」、三号「決算情報」などこれら具体的個別的規定に該当する重要事実が認められたとしても、包括的条項(バスケット条項)である四号「前三号に掲げる事実を除き、当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」に該当する重要事実だと認めることができる以上、同項四号の適用を認めることができると判決した。
*[[1999年]](平成11年)[[2月16日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]は、ソリブジンに係わる副作用症例の発生事実が、証券取引法一六六条二項一号「決定に関する事実」、二号「業務に起因する災害事実」、三号「決算情報」などこれら具体的個別的規定に該当する重要事実が認められたとしても、包括的条項(バスケット条項)である四号「前三号に掲げる事実を除き、当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」に該当する重要事実だと認めることができる以上、同項四号の適用を認めることができると判決した。

2015年1月14日 (水) 17:52時点における版

日本商事株式会社(にほんしょうじ)は、かつて大阪市中央区石町2-2-9に本社を置いていた、医薬品医療機器・医療用検査試薬介護用品健康食品一般用医薬品等の卸売販売及び医薬品輸入販売・医薬品製造業をおこなう企業であった。

大阪証券取引所第二部に上場していた。医薬品のR&D(研究開発)、生産、販売の一貫体制を整えていたが、1993年に発覚したソリブジン薬害事件、及び同事件を発端とするインサイダー取引で対外信用は悪化。再編を繰り返して現在は「アルフレッサ」である。

沿史

  • 1920年3月 フィリピンマニラ市に中島茂が「中島茂商店」を創立
  • 1934年3月  大阪府大阪市に「中島茂商店大阪支店」を設立
  • 1939年12月 「中島茂商店大阪支店」を改組し資本金10万円で「中島商事株式会社」を設立
  • 1952年7月 「中島商事株式会社」を「日本商事株式会社」に商号変更
  • 1954年5月 「大商薬品株式会社」と共同で福岡県に「大福薬品」(昭和38年磯部商会と合併)設立
  • 1956年7月 「東京営業所」(後の東京支店)開設
  • 1957年10月「名古屋営業所」(後の名古屋支店)開設
  • 1961年1月 茨木市に「茨木製薬工場」を設立し医薬品製造業開始 
  • 1962年1月 「日本商事株式会社・東京営業所」(後の東京支店)開設
  • 1963年4月 「福岡営業所」(後の福岡支店)開設
  • 1964年10月 「広島営業所」(後の広島支店)開設
  • 1966年7月 千葉県東葛飾郡に「東京工場」設立し医療用器具製造開始
  • 1966年10月 「札幌営業所」(後の札幌支社)開設
  • 1968年10月 「仙台営業所」(後の仙台支社)開設
  • 1970年5月   「大商薬品株式会社・資本金4,500万円」を合併
    • 「門真営業所」(後の門真支店)・「奈良営業所」(後の奈良支店)を開設
  • 1970年9月 「和歌山営業所」(後の和歌山支店)開設
  • 1970年12月 「京都営業所」(後の京都支店)開設、「株式会社大阪ミドリ十字」の営業権を譲受
  • 1971年6月 「神戸営業所」(後の神戸支店)開設
  • 1972年1月 茨木市に「医薬研究所」を設立
  • 1973年8月 「門真配送センター」設立
  • 1975年8月 「阪南支店」開設
  • 1977年8月 「滋賀営業所」(後の滋賀支店)開設
  • 1978年 奈良県の「浦西薬品」を合併
  • 1980年11月「株式会社松山済生堂」の営業権を譲受
  • 1981年4月 岡山県勝田郡に「岡山製薬工場」設立し「茨木製薬工場」を廃止
  • 1981年7月 「岡山配送センター」設立
  • 1986年12月 連結会社として「日商物流サービス株式会社」設立
  • 1990年10月 「東京配送センター」設立
  • 1991年6月 「大阪証券取引所第二部」に上場
  • 1993年   ソリブジン事件発覚。薬害に加えインサイダー取引も明らかになる
  • 1994年4月 「山尾薬品・資本金8,000万円」を合併し「京都支店」として発足
  • 1996年3月  連結子会社として「青島耐絲克医材有限公司」設立、北海道の「ホシ伊藤」と資本・業務提携
  • 1996年5月  京都府久世郡に「京滋物流センター」設立
  • 1996年7月  千葉県東葛飾郡に「千葉工場」設立し「東京工場」廃止
  • 1996年9月  大阪証券取引所第一部銘柄に指定
  • 1996年11月 「ホシ伊藤」と共同出資で「株式会社メディカルニッセイ」設立
  • 1997年10月 「日本商事株式会社」と「昭和薬品株式会社・資本金2億8,800万円」が合併し「株式会社アズウェル」に商号変更(合併比率 日本商事 1.77株:昭和薬品 1株)

フィリピン本社時の主な取引メーカー

主な取引メーカー

備考

  • 医薬品の製造メーカーであり、医薬品卸業も兼務する企業であった。
  • 製造工場・岡山県勝田郡勝央町太平台18・千葉県東葛飾郡関宿町東高野74(現、千葉県野田市)。日本商事の製造事業はアルフレッサ ファーマが引き継いでいる。
  • 1981年に業界初の受注入力音声応答システムを導入、その後、1988年には薬局向けPOSシステム、翌年は、業界VANを設立し、自動発注・在庫管理システム「NEO-SYS」などのソフト開発も手掛けた
  • 1990年、インテリジェント物流センターを建設
  • 製造分野では、欧米の有力製薬メーカーの代理店としてスタートしたが、1961年には大阪府茨木市に製薬工場を建設し、医薬品の生産を開始する
  • 1966年千葉県に「東京工場」を建設し、手術用縫合糸の生産を開始する「ネスコスーチャー」といったトップブランドも生産している
  • 1970年医療用検査試薬の製造開始
  • 1981年岡山県に「岡山工場」を建設

ソリブジン薬害事件

  • 1979年(昭和54年)ヤマサ醤油が「ソリブジン」を合成し、1985年(昭和60年)から共同開発を進めた。
  • 1993年(平成5年)9月3日、抗ウイルス剤の商品名「ユースビル」を発売。しかし、発売後1ヶ月足らずでフルオロウラシル抗癌剤との併用で重篤な副作用が発生する。10月8日に中央薬事審議会の副作用報告調査会が開催され、厚生省(現・厚生労働省)から医療機関に対する「緊急安全性情報(ドクターレター)」の配布指示がある。10月2日に「相互作用で7人が重い副作用、うち3人が死亡」と報道機関へ発表。10月3日、大阪証券記者クラブにて重篤な副作用の発現と製品の一時出荷停止を発表。代理店に対して一時出荷停止を指示。12日に「自主的安全性情報」、13日に「緊急安全性情報」を医療機関に配布し、11月1日より自主回収を実施。結果23例で副作用発現(うち死亡14例)となった。
  • 1994年(平成6年)3月5日、「ソリブジン」による同社株のインサイダー取引疑惑が持ち上がる。「ソリブジン」の相互作用による副作用で死亡事故が発生したことが公表されるまでに、社員や関係者が当社株式を売却し株価下落の損失を回避したことが証券取引法違反(インサイダー取引禁止)に問われた。この為、社長の服部孝一が辞任する。
  • 1999年(平成11年)2月16日最高裁は、ソリブジンに係わる副作用症例の発生事実が、証券取引法一六六条二項一号「決定に関する事実」、二号「業務に起因する災害事実」、三号「決算情報」などこれら具体的個別的規定に該当する重要事実が認められたとしても、包括的条項(バスケット条項)である四号「前三号に掲げる事実を除き、当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」に該当する重要事実だと認めることができる以上、同項四号の適用を認めることができると判決した。

外部リンク