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'''李 冽理'''(リ レツリ([[大韓民国標準語|韓国語]]読みではイ・ヨルリ、이열리、[[文化語|北朝鮮語]]読みではリ・リョルリ、리렬리)、Ryol-Li Lee、[[1982年]][[5月20日]] - )は、在日韓国人3世<ref name="annex20101003">[http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/10/03/kiji/K20101003Z00003200.html 李冽理 判定勝ち!世界初挑戦で王座奪取] スポニチ Sponichi Annex 2010年10月3日</ref>の日本のプロボクサー。[[大阪府]][[門真市]]出身。第56代日本[[フェザー級]]王者。<br />第30代[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーバンタム級]]王者。第43代[[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]東洋太平洋[[フェザー級]]王者。<br />[[横浜光ボクシングジム]]所属。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
2015年1月17日 (土) 12:53時点における版
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基本情報 | |
---|---|
本名 | 李 冽理 |
通称 |
レツ Let's Lee |
階級 | スーパーバンタム級、フェザー級 |
身長 | 173cm |
リーチ | 173cm |
国籍 |
![]() |
誕生日 | 1982年5月20日(42歳) |
出身地 | 大阪府門真市 |
スタイル | 右ボクサーファイター |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 26 |
勝ち | 20 |
KO勝ち | 10 |
敗け | 4 |
引き分け | 2 |
李 冽理(リ レツリ(韓国語読みではイ・ヨルリ、이열리、北朝鮮語読みではリ・リョルリ、리렬리)、Ryol-Li Lee、1982年5月20日 - )は、在日韓国人3世[1]の日本のプロボクサー。大阪府門真市出身。第56代日本フェザー級王者。
第30代WBA世界スーパーバンタム級王者。第43代OPBF東洋太平洋フェザー級王者。
横浜光ボクシングジム所属。
来歴
大阪朝鮮高級学校でボクシングを始め、2年次に全国高等学校ボクシング選抜大会・バンタム級で優勝。朝鮮大学体育学部に進学し、4年次の2004年11月に全日本アマチュアボクシング選手権大会・ライト級で準優勝となった。2005年、徳山昌守の薦めもあり、横浜光ボクシングジムに入門した[1][2]。
2005年9月20日、6回戦でプロデビューし、3回KO勝利を収めた。
2007年4月23日、8戦目で日本スーパーフェザー級9位の竜宮城(現・宮城竜太)と対戦するが7R負傷判定で0-3で敗れ、初の敗戦となる。
2007年10月31日、A級トーナメントで円谷篤史(アベ)を6R、TKO勝ちで下しA級トーナメントに優勝する。
2009年7月18日、第51代日本フェザー級王者で第38代OPBF東洋太平洋フェザー級王者でWBA世界フェザー級8位の榎洋之(角海老宝石)と対戦、戦前の不利の予想を覆し2-1の判定勝ちで下し[3]世界ランク入りを果たした。
2009年11月13日、ビッグエム・オーブーンチャイ(タイ)と対戦し、3回TKO勝利で前哨戦を無難にこなした[4]。
2010年2月6日、日本フェザー級王座決定戦でWBA世界フェザー級14位として日本同級1位高山和徳(船橋ドラゴン)と対戦し3-0の判定勝ちを収め王座を獲得した[5]。同年6月5日、1位の天笠尚(山上)と対戦し、3-0(97-94、98-93、98-93)の判定で初防衛に成功した[6][7]。
2010年8月30日、同年10月2日にWBA世界スーパーバンタム級王者プーンサワット・クラティンデーンジム(タイ)に挑戦することが発表された[8]。世界王座挑戦に伴い、日本王座は同月に返上した[9]。東京都文京区の後楽園ホールにて行われた同試合を12ラウンドフルに戦い抜き、3-0の判定で勝利して王座を獲得した[10]。
2011年1月31日、東京・有明コロシアムで6位の下田昭文を挑戦者に迎えての初防衛戦。激しい打ち合いに終始するも、3度のダウンを奪われ(自身も1度のダウンを奪ったが)0-3の判定負け。防衛に失敗し、4か月弱で世界王座を手放した[11][12]。
2011年8月6日、後楽園ホールで再起戦。元日本スーパーバンタム級王者福原力也とフェザー級ノンタイトル10回戦を行い、5回TKO勝ち。[13]
2012年2月14日、後楽園ホールで元日本スーパーバンタム級王者木村章司とフェザー級ノンタイトル10回戦を行い1-2の判定で敗れた[14]。
2012年6月11日、後楽園ホールで竹中良とフェザー級ノンタイトル8回戦を行い、5回1分15秒TKO勝ちを収めた。
2013年2月20日、後楽園ホールで行われた大沢宏晋の王座剥奪に伴うOPBF東洋太平洋フェザー級王座決定戦でフィリピンGABフェザー級王者シリロ・エスピノと対戦し、1-1(112-116、115-113、114-114)の判定で引き分けた為、王座獲得に失敗した[15]。
2013年6月28日、後楽園ホールで行われた前回の引き分けで空位のままとなっていたOPBF東洋太平洋フェザー級王座決定戦でOPBF東洋太平洋同級5位の石川昇吾と対戦し、3-0(116-113、116-112、117-112)の判定勝ちを収め、4ヵ月前に獲得に失敗したOPBF東洋太平洋フェザー級王座の獲得に成功した[16]。
2013年、後楽園ホールで行われたOPBF東洋太平洋フェザー級王座の初防衛戦として日本王者となった天笠尚を迎え撃つが、激しい打撃戦の末、0-3(112-116×2、113-115)の判定で敗れ初防衛に失敗[17]。
戦績
- アマチュアボクシング:55戦47勝 (25KO・RSC) 8敗
- プロボクシング:26戦20勝 (10KO) 4敗2分
獲得タイトル
脚注
- ^ a b 李冽理 判定勝ち!世界初挑戦で王座奪取 スポニチ Sponichi Annex 2010年10月3日
- ^ 李冽理選手が全日本アマチュアボクシング選手権大会で準優勝 朝鮮大学校
- ^ 大番狂わせ!榎、日本4位李に敗れる ボクシングニュース「Box-on!」 2009年7月18日
- ^ 李が前哨戦クリア ボクシングニュース「Box-on!」 2009年11月14日
- ^ 空位の日本フェザー級王座は李がゲット ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月7日
- ^ 李、判定で初防衛…日本フェザー級戦 スポーツ報知 2010年6月6日閲覧
- ^ 王者李が初防衛 日刊スポーツ 2010年6月5日閲覧
- ^ 李冽理 初の世界挑戦/WBAスーパーバンタム級 スポーツニッポン 2010年8月30日閲覧
- ^ 李冽理が世界Sバンタム級王座に初挑戦 スポーツナビ 2010年8月30日
- ^ 李冽理が新王者 日刊スポーツ 2010年10月2日閲覧
- ^ 下田が大差判定で新王者 内山は三浦と防衛戦 スポーツナビ(共同通信)2011年1月31日
- ^ 下田世界王座獲得 李を3度倒して快勝 S・バンタム級 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年2月1日
- ^ 李冽理、8月に東京で再起戦…本来のフェザー級で出直し2011年6月7日 スポーツ報知
- ^ [ボクシング]元世界王者・李、まさかの判定負け…ダイナミックグローブ 2012年2月15日 スポーツ報知大阪版
- ^ 元世界王者の李 東洋太平洋タイトル決定戦はドロー ボクシングニュース「Box-on!」 2013年2月20日
- ^ 李がOPBFフェザー級王者に ボクシングニュース「Box-on!」 2013年6月28日
- ^ 天笠が東洋太平洋タイトル獲得、李との激闘を制す ボクシングニュース 2013年10月14日
関連項目
外部リンク
空位 前タイトル保持者 松田直樹 |
第56代日本フェザー級王者 2010年2月6日 - 2010年8月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 細野悟 |
前王者 プーンサワット・クラティンデーンジム |
第30代WBA世界スーパーバンタム級王者 2010年10月2日 - 2011年1月31日 |
次王者 下田昭文 |
空位 前タイトル保持者 大沢宏晋 |
第43代OPBF東洋太平洋フェザー級王者 2013年6月28日 - 2013年10月14日 |
次王者 天笠尚 |