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2012年衆議院議員の就任日:当選の告示の日
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== 不祥事 ==
== 不祥事 ==
* 一ヶ月20万~30万程度が妥当な相場とみなされる事務所2つに対し、平成15年度~17年度にかけて3000万円以上の[[事務所費]]を計上していた<ref name="gyousei">行政調査新聞、2007年2月27日</ref>。
* 一ヶ月20万~30万程度が妥当な相場とみなされる事務所2つに対し、平成15年度~17年度にかけて3000万円以上の[[事務所費]]を計上していた<ref name="gyousei">行政調査新聞、2007年2月27日</ref>。
* うちわ、タオル、爪切り、靴べらなどを、自分の選挙区内でさまざまな物品を配っている、と2014年にうちわ等の選挙区における配布が問題化された際に指摘された<ref name="asahi20141031" />。公職選挙法は選挙区内での寄附を禁止している<ref name="asahi20141031">「うちわと記して配布か 自民選対幹部、爪切り・靴べらも」、朝日新聞、2014年10月31日</ref>。


== 献金 ==
== 献金 ==

2015年2月26日 (木) 08:17時点における版

山口 泰明
やまぐち たいめい
生年月日 (1948-11-10) 1948年11月10日(75歳)
出生地 埼玉県比企郡川島町
出身校 日本大学法学部
現職 党・財務委員長
党・選挙対策委員会副委員長
所属政党 自由民主党額賀派
親族 祖父・山口圭一郎(旧中山村長)
父・山口泰正(元川島町長)
公式サイト たいめい 山口泰明未来へ

日本の旗 衆議院議員
選挙区 埼玉10区
当選回数 6回
在任期間 1996年 - 2009年
2012年12月18日[1] - 現職
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山口 泰明(やまぐち たいめい、1948年11月10日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(6期)。

来歴

埼玉県比企郡川島町生まれ。日本大学第二高等学校日本大学法学部政治経済学科卒。親族にはいわゆる地域の名士が多く、祖父は中山村長、父は川島町長を務めている。また、叔父が武州ガス会長で、その勧めにより旭川ガス・坂戸ガス・武州ガスと各ガス会社に勤務している。また、親族には医療関係者も多く、埼玉医科大学顧問も務めている。

1996年の総選挙で初当選。以降、小選挙区で4回連続当選。

党総務、衆議院安全保障委員会理事、外務大臣政務官、党副幹事長等を歴任。第3次小泉改造内閣では内閣府副大臣を務めた。2006年9月に発足した安倍内閣では衆議院外務委員長に任命された。2007年9月、党改革実行本部長代理に就任。2008年5月、党埼玉県総支部連合会会長に就任。

埼玉10区で磐石の地盤に基づき、民主党の松崎哲久を4回に渡って退けていたが、2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙では、政権交代を全面に出した松崎に圧倒され、小選挙区で初めて落選し、比例区でも次点に終わり落選した[2]。その後、自由民主党埼玉県連会長を辞任した(後任は新藤義孝)。

2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙で、小選挙区で再び当選。その後、党経理局長に就任。

2014年9月、自民党役員人事で党財務委員長、選挙対策委員会副委員長に就任。同年12月14日第47回衆議院議員総選挙で、小選挙区で6選。

政策

不祥事

  • 一ヶ月20万~30万程度が妥当な相場とみなされる事務所2つに対し、平成15年度~17年度にかけて3000万円以上の事務所費を計上していた[5]
  • うちわ、タオル、爪切り、靴べらなどを、自分の選挙区内でさまざまな物品を配っている、と2014年にうちわ等の選挙区における配布が問題化された際に指摘された[6]。公職選挙法は選挙区内での寄附を禁止している[6]

献金

  • 武州ガスグループから、平成15年度~17年度にかけて9000万円以上の献金を受けている[5]

人脈

  • 山口は安倍晋三を、所属する派閥が違うものの(安倍が清和政策研究会所属であるのに対して、山口は平成研究会所属)、政策の一致などの点から熱心に支持している。山口は、安倍を何度も地元埼玉での演説会や自分の「語る会」に招くなど、安倍との関係が深く、安倍を支持する議員によって構成される再チャレンジ支援議員連盟に加盟している。
  • 安倍を応援する山口は、2006年自由民主党総裁選挙で安倍の推薦人に名を連ね選挙活動を支援し、安倍の当選に尽力した。また、安倍の辞意表明後の総裁選においては、自分の所属する津島派麻生包囲網に参加して福田康夫を支持していたにもかかわらず、派閥の方針に反して安倍と政策が近い麻生太郎を推薦人として支持した(結果として麻生は福田に敗れたものの、山口のように派閥の方針に反して麻生を支持する議員が大量に出て、麻生の存在感を党内外に示した)。山口は麻生が首相に就任した後も彼を支え続け、麻生おろしの中で麻生が逆風に立たされていたにもかかわらず、麻生を自身の選挙に応援演説に招くなど、最後まで麻生の支持を続けた。落選後に開催された「励ます会」には、麻生や安倍、政調会長石破茂幹事長石原伸晃などの自民党の重鎮だけではなく、国民新党からも幹事長の下地幹郎が駆けつけ、山口の国政復帰を訴えた[7]。また、2011年10月26日に開催された「励ます会」でも、安倍や麻生、大島理森党副総裁 茂木敏充政調会長、額賀福志郎平成研究会会長・元財務相など自民党の重鎮が参加し山口の国政復帰を訴えた。会においては、安倍が「私が総理になれたのはこの山口先生のお力のお陰、また支えてくれたのも山口先生を筆頭とした同志のお陰です。ですから、山口先生には一日も早く国政の場に返ってきて欲しい」と述べ、それに対して山口は、「安倍元総理の話は改めて見識の高さを感じた。安倍元総理がもう一度日本のリーダーになることが最大の復興ではないか」と、自分が落選している身であるにもかかわらず、安倍が首相へ再登板するよう期待感を示し、山口と安倍の蜜月関係ぶりを示した[8]

年表

所属団体・議員連盟

脚注

  1. ^ 平成24年(2012年)12月18日埼玉県選管告示第96号(衆議院小選挙区選出議員選挙において当選した者の住所及び氏名並びに候補者届出政党の名称)
  2. ^ 産経新聞(2009.8.22)【09衆院選・注目区を歩く】磐石だった10区も「政権交代」の波
  3. ^ 本人HP
  4. ^ a b c 2012年衆院選 山口泰明
  5. ^ a b 行政調査新聞、2007年2月27日
  6. ^ a b 「うちわと記して配布か 自民選対幹部、爪切り・靴べらも」、朝日新聞、2014年10月31日
  7. ^ クオリティ埼玉 "山口たいめい氏に大物ぞくぞく私は炎の男になります!"
  8. ^ クオリティ埼玉 "議席奪回に布石 支持者の熱意で東京タワーも輝く 山口たいめい氏励ます会で"
  9. ^ パチンコ・チェーンストア協会(PCSA)
  10. ^ 「自民党新役員にも多数、カジノ議連メンバー」、しんぶん赤旗、2014年9月15日

関連項目

外部リンク

議会
先代
原田義昭
日本の旗 衆議院外務委員長
2006年 - 2007年
次代
平沢勝栄
公職
先代
七条明
西川公也
林田彪
日本の旗 内閣府副大臣
嘉数知賢櫻田義孝と共同
2005年 - 2006年
次代
平沢勝栄
渡辺喜美
林芳正
先代
望月義夫桜田義孝丸谷佳織
日本の旗 外務大臣政務官
小島敏男丸谷佳織と共同

2001年 - 2002年
次代
松浪健四郎今村雅弘水野賢一