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[[1991年]]愛知県瀬戸市議会議員選挙に立候補し、[[保守]]系過去最高得票にて初当選。2期8年間、総務・環境経済・建設水道各常任委員長、瀬戸市監査委員等を歴任。定例議会ごとに壇上質問に立つことを心がけ、所属党派を越えた議員の勉強会を催した{{要出典|date=2014年6月}}。 |
[[1991年]]愛知県瀬戸市議会議員選挙に立候補し、[[保守]]系過去最高得票にて初当選。2期8年間、総務・環境経済・建設水道各常任委員長、瀬戸市監査委員等を歴任。定例議会ごとに壇上質問に立つことを心がけ、所属党派を越えた議員の勉強会を催した{{要出典|date=2014年6月}}。 |
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[[2000年]][[自由民主党 (日本)|自由民主党]]愛知県第7選挙区支部長に就任。 |
[[2000年]][[自由民主党 (日本)|自由民主党]]愛知県第7選挙区支部長に就任{{要出典|date=2015年5月}}。 |
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[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]に[[愛知県第7区|愛知7区]]より自民党公認で出馬するも[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の[[小林憲司]]に敗れ落選。この選挙の直前に[[保守新党|保守党]]から[[青山丘]]が自民党に入党したのに伴い、両者の間で[[コスタリカ方式]]が採用され、選挙後は比例区の青山丘に代わって比例区支部長(自民党愛知県衆議院比例区第5支部長)に就任。 |
[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]に[[愛知県第7区|愛知7区]]より自民党公認で出馬するも[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の[[小林憲司]]に敗れ落選。この選挙の直前に[[保守新党|保守党]]から[[青山丘]]が自民党に入党したのに伴い、両者の間で[[コスタリカ方式]]が採用され{{要出典|date=2015年5月}}、選挙後は比例区の青山丘に代わって比例区支部長(自民党愛知県衆議院比例区第5支部長)に就任。 |
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[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]では、[[比例東海ブロック]]単独にて出馬し、初当選。自民党愛知県第7選挙区支部長就任。初当選直後から自民党愛知県連が主催する愛知政治大学院(学長は[[杉浦正健]])において副学長を務める。 |
[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]では、[[比例東海ブロック]]単独にて出馬し、初当選。自民党愛知県第7選挙区支部長就任。初当選直後から自民党愛知県連が主催する愛知政治大学院(学長は[[杉浦正健]])において副学長を務める{{要出典|date=2015年5月}}。 |
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[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]では、再び愛知7区から出馬し、[[小泉旋風]]も受けて2選。この直前、[[郵政民営化]]に反対票を投じた青山丘は[[新党日本]]に参加して、同党比例東海ブロック単独候補として出馬し落選した。新党日本参加時点で青山丘との間のコスタリカは解消されたが、青山は後に[[国民新党]]に移る。 |
[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]では、再び愛知7区から出馬し、[[小泉旋風]]も受けて2選。この直前、[[郵政民営化]]に反対票を投じた青山丘は[[新党日本]]に参加して、同党比例東海ブロック単独候補として出馬し落選した。新党日本参加時点で青山丘との間のコスタリカは解消された{{要出典|date=2015年5月}}が、青山は後に[[国民新党]]に移る。 |
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当選後、[[衆議院]][[文部科学委員会]]理事、衆議院[[総務委員会]]理事、衆議院[[国土交通委員会]]委員、自民党文部科学部会部会長代理、自民党国土交通部会副部会長、自民党経済産業部会副部会長、自民党中部圏整備委員会副委員長等を務める。 |
当選後、[[衆議院]][[文部科学委員会]]理事、衆議院[[総務委員会]]理事、衆議院[[国土交通委員会]]委員、自民党文部科学部会部会長代理、自民党国土交通部会副部会長、自民党経済産業部会副部会長、自民党中部圏整備委員会副委員長等を務める{{要出典|date=2015年5月}}。 |
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[[2008年]][[8月]]、[[福田康夫内閣 (改造)|福田康夫改造内閣]]において[[総務大臣政務官]]に就任。同年[[10月]]の[[麻生内閣]]においても留任。 |
[[2008年]][[8月]]、[[福田康夫内閣 (改造)|福田康夫改造内閣]]において[[総務大臣政務官]]に就任。同年[[10月]]の[[麻生内閣]]においても留任。 |
2015年5月8日 (金) 01:09時点における版
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生年月日 | 1958年4月7日(66歳) |
出身地 | 愛知県 |
出身校 | 早稲田大学法学部 |
学位・資格 | 法学士 |
前職 |
松下政経塾塾生 愛知県瀬戸市議会議員 |
所属委員会 |
経済産業委員会(理事) 原子力問題調査特別委員会(理事) |
世襲 | 無 |
選出選挙区 |
(比例東海ブロック→) (愛知7区→) 比例東海ブロック |
当選回数 | 4回 |
所属党派 | 自由民主党(細田派) |
会館部屋番号 | 衆議院第1議員会館1110号室 |
ウェブサイト | 鈴木じゅんじ公式HP/自由民主党衆議院議員 |
鈴木 淳司(すずき じゅんじ、1958年4月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。
総務大臣政務官(福田康夫改造内閣、麻生内閣)、瀬戸市議会議員(2期)を務めた。
来歴
愛知県瀬戸市陶原町出身。陶原小・水無瀬中・千種高校を経て早稲田大学法学部を卒業後、松下幸之助が創設した(財)松下政経塾に第3期生として入塾[要出典]。
1985年国際ロータリー財団・研究グループ交換メンバーに選ばれ、イタリア派遣[要出典]。
1987年松下政経塾卒塾。同年、日中青少年交流協会派遣訪中団団長として訪中[要出典]。
1991年愛知県瀬戸市議会議員選挙に立候補し、保守系過去最高得票にて初当選。2期8年間、総務・環境経済・建設水道各常任委員長、瀬戸市監査委員等を歴任。定例議会ごとに壇上質問に立つことを心がけ、所属党派を越えた議員の勉強会を催した[要出典]。
2000年自由民主党愛知県第7選挙区支部長に就任[要出典]。
2000年の第42回衆議院議員総選挙に愛知7区より自民党公認で出馬するも民主党の小林憲司に敗れ落選。この選挙の直前に保守党から青山丘が自民党に入党したのに伴い、両者の間でコスタリカ方式が採用され[要出典]、選挙後は比例区の青山丘に代わって比例区支部長(自民党愛知県衆議院比例区第5支部長)に就任。
2003年の第43回衆議院議員総選挙では、比例東海ブロック単独にて出馬し、初当選。自民党愛知県第7選挙区支部長就任。初当選直後から自民党愛知県連が主催する愛知政治大学院(学長は杉浦正健)において副学長を務める[要出典]。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、再び愛知7区から出馬し、小泉旋風も受けて2選。この直前、郵政民営化に反対票を投じた青山丘は新党日本に参加して、同党比例東海ブロック単独候補として出馬し落選した。新党日本参加時点で青山丘との間のコスタリカは解消された[要出典]が、青山は後に国民新党に移る。
当選後、衆議院文部科学委員会理事、衆議院総務委員会理事、衆議院国土交通委員会委員、自民党文部科学部会部会長代理、自民党国土交通部会副部会長、自民党経済産業部会副部会長、自民党中部圏整備委員会副委員長等を務める[要出典]。
2008年8月、福田康夫改造内閣において総務大臣政務官に就任。同年10月の麻生内閣においても留任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党公認で愛知7区から立候補するが、民主党の山尾志桜里に敗れ、比例復活もならず落選。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、愛知7区で前回敗れた山尾を下し、国政に復帰。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では前回下した山尾に敗れたものの、比例復活で4選。
政策
- 憲法改正に賛成[1]。
- 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに賛成[1]。
- 日本の核武装について検討すべきでないとしている[1]。
- 女性宮家の創設に反対[1]。
- 選択的夫婦別姓制度の導入にどちらかといえば反対[2]。
所属団体・議員連盟
脚注
関連項目
外部リンク
公職 | ||
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先代 岡本芳郎・二之湯智・秋葉賢也 |
![]() 中村博彦・坂本哲志と共同 2008年 - 2009年 |
次代 長谷川憲正・階猛・小川淳也 |