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== 人物 ==
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[[日本文化チャンネル桜]]の賛同者であり<ref>[http://www.ch-sakura.jp/about.html チャンネル桜 | チャンネル桜について]</ref>、[[神社本庁]]や[[日本会議]]、靖国会館などでの講演会で[[特攻隊]]を「[[武士道]]精神に溢れる」と語るなど、[[保守]]系文化人としての側面を見せるともに、『THE WINDS OF GOD』公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、[[反戦]]への意志も強い。
[[日本文化チャンネル桜]]の賛同者であり<ref>[http://www.ch-sakura.jp/about.html チャンネル桜 | チャンネル桜について]</ref>、[[神社本庁]]や[[日本会議]]、靖国会館などでの講演会で[[特攻隊]]を「[[武士道]]精神に溢れる」と語るなど、[[保守]]系文化人としての側面を見せるともに、『THE WINDS OF GOD』公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、[[反戦]]への意志も強い。


大学受験時、入学した法政大学の他、[[青山学院大学]][[文学部]]にも合格し、当時[[読売ジャイアンツ]]の[[江川卓 (野球)|江川卓]]のファンだったこともあり、江川の出身校でもある法政大学を選択したが、入学して男子学生のあまりの多さに、当時の今井に華やかなキャンパスライフに映った青学を蹴って入学したことを後悔したこともあったという<ref>[http://journal.ocn.ne.jp/people/vol35/people04.html 今井雅之OGな人々Vol.35]</ref>。
大学受験時、入学した法政大学の他、[[青山学院大学]][[文学部]]にも合格し、当時[[読売ジャイアンツ]]の[[江川卓 (野球)|江川卓]]のファンだったこともあり、江川の出身校でもある法政大学を選択したが、入学して男子学生のあまりの多さに、当時の今井に華やかなキャンパスライフに映った青学を蹴って入学したことを後悔したこともあったという<ref>[http://journal.ocn.ne.jp/people/vol35/people04.html 今井雅之OGな人々Vol.35]</ref>。

2015年5月28日 (木) 05:03時点における版

いまい まさゆき
今井 雅之
生年月日 (1961-04-21) 1961年4月21日
没年月日 (2015-05-28) 2015年5月28日(54歳没)
出生地 日本の旗 日本・兵庫県城崎郡日高町
国籍 日本の旗 日本
身長 178cm
血液型 O型
職業 俳優演出家・作家・ジャーナリスト
活動期間 1986年 - 2015年
活動内容 映画、ドラマ、バラエティー番組、講演会
事務所 オスカープロモーション
公式サイト 『今井雅之の押忍!』オフィシャルブログ
オスカープロモーション タレント詳細
主な作品
演劇
THE WINDS OF GOD
映画
静かな生活』/『THE WINDS OF GOD』
テレビドラマ
お金がない!』/『味いちもんめ
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀助演男優賞受賞
1996年 『静かな生活』
その他の賞
キネマ旬報賞 新人男優賞 1995年
『THE WINDS OF GOD』/『静かな生活』
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今井 雅之
所属組織 陸上自衛隊
軍歴 1980 - 1981
最終階級 陸士長
除隊後 俳優
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今井 雅之(いまい まさゆき、1961年4月21日 - 2015年5月28日)は、日本俳優演出家兵庫県城崎郡日高町出身。身長178cm。空手道弐段、柔道初段。オスカープロモーション所属。 代表作は原作も手がけた演劇・映画『THE WINDS OF GOD』、出身地で撮影し、初監督した『SUPPINぶるうす ザ・ムービー』など。

来歴

幼いころから映画洋画)・テレビドラマが好きだった。特に千葉真一の熱狂的なファンで[1][2]、テレビドラマ『キイハンター』に影響され、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶときには千葉に扮していた。

兵庫県立豊岡高等学校卒業後、俳優になろうと志すが、自衛官の父に俳優になりたいのであれば自活するよういわれ、1980年4月陸上自衛隊一般曹候補学生で入隊。同年12月滋賀県今津町第3師団第3戦車大隊今津駐屯地)に配属。上官に俳優になりたいため辞めたい旨を告げ、「自衛隊は俳優養成所ではないぞ」と叱られる。1981年9月、陸士長で自己都合退職。

1986年3月法政大学文学部英文学科卒業。1986年奈良橋陽子演出『MONKEY』にて演劇デビュー。映画『静かな生活』のストーカー役で1996年日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。当初奈良橋の主宰するUPSに所属していたが、『THE WINDS OF GOD』のニューヨークオフ・ブロードウェイ公演が頓挫したことに端を発する事務所とのトラブルから独立。エル・カンパニーを立ち上げる。1998年幾多のトラブルに見舞われながらも、オフ・オフ・ブロードウェイで公演、成功を収める。

2005年3月9日の『愛のエプロン 男祭り大会』で中エプにランキングされるなど、料理が得意。売れない時代に、「ラ・ボエム」1号店(原宿店)に7年間勤める。自衛官時代の癖で大声で客の注文を復唱し店長の顰蹙を買い調理に回される[要出典]

2014年末に腸閉塞のために体調を崩し医師から「余命3日」を宣告され緊急手術を行い、術後には回復した事をブログで報告[3]2015年4月21日、ブログにて、大腸癌のため、主演舞台『THE WINDS OF GOD』を降板することを発表[4]。同年4月30日には記者会見を開き、3月から入院中で、抗がん剤治療をしており、「ステージ4」の末期ガンであることを明かした[5]

2015年5月28日、入院先の病院で大腸がんのため死去[6][7]。54歳没。

人物

日本文化チャンネル桜の賛同者であり[8]神社本庁日本会議、靖国会館などでの講演会で特攻隊を「武士道精神に溢れる」と語るなど、保守系文化人としての側面を見せるとともに、『THE WINDS OF GOD』公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、反戦への意志も強い。

大学受験時、入学した法政大学の他、青山学院大学文学部にも合格し、当時読売ジャイアンツ江川卓のファンだったこともあり、江川の出身校でもある法政大学を選択したが、入学して男子学生のあまりの多さに、当時の今井に華やかなキャンパスライフに映った青学を蹴って入学したことを後悔したこともあったという[9]

  • 大学生の時、自分の限界を知るために、様々な挑戦を行った[10]。なお、テントや寝袋を持たず、全て野宿である。
    • 東京~大阪間のマラソン
      • 1982年の12月に東京~大阪間のマラソンを行った。冬にもかかわらず、野宿をした。一週間で完走することを目標にしていたが10日かかった。長時間、連日走っていたため、途中で足を痛めてしまったが、自衛隊時代の上司に「もし足が壊れたらどうやって治すか。走れば治る!」と言っていたのを思い出し、止まらず走ってみると、走っている最中だけではあるが本当に痛みが収まったという。
    • 奥多摩でサバイバル
      • 東京~大阪間のマラソンの約半年後、奥多摩の山で塩とナイフだけで、一週間の野宿を行った。梅雨の時期ということもあり、食料が全くなかったため、木の根、蜘蛛、蟻、カエルを食べた。それだけでは当然空腹を満たすことは出来ず、あまりの空腹のため何度も腹痛が起こり、痛みに耐えられなくなり気絶した。ハイキングコースを歩いていた時、弁当が捨ててあったのを拾って食べた。その弁当のご飯はネバネバしていてカビも生えていたが、感動するほど美味しく、特に海老の天ぷらの尻尾は「この世にこんなうまいものがあるのか。」と思った。このサバイバルで、まともな物を毎日食べられるありがたさを身を持って知った。ちなみに、入山前に70kgあった体重は下山後58kgまで落ちたが、すぐに元の体重に戻った。
    • 真冬の北海道縦断
      • それから3年後、自分の寒さに対する限界を知るために、2月の北海道で稚内~函館を徒歩で横断することに挑戦した。4~5日不眠不休で歩き、吹雪に襲われることも多かった。途中で意識を失って行き倒れになったところを警察に助けられた。その後、何度も意識を失い幻覚を見ながらも函館に辿りつけた。最終的に10日かかった。
    • 真夏の本州縦断マラソン
      • その年の8月、青森~北九州(関門トンネルを抜けるまで)の本州縦断マラソンに挑戦した。この年は記録的な猛暑だったが、北海道の時のように、倒れても凍死することはないため気持ちは楽だったという。

著書

  • 『ザ ウィンズ オブ ゴッド』(1992年9月、桐原書店)共著奈良橋陽子
  • 『特攻隊と戦後の僕ら』「ザ・ウインズ・オブ・ゴッド」の軌跡(1995年11月、岩波書店)
  • 『若いぼくらにできること - 体験的教育論』(1997年5月、岩波書店ISBN 4005002870
  • 『Suppinぶるうす』(1997年6月、角川書店)
  • 『"カミカゼ"公演記in NY』The winds of god(1999年4月、岩波書店)

出演

演劇

映画

ほか多数

テレビドラマ

オリジナルビデオ

テレビCM

バラエティ

  • 中居くん温泉1997年、読売テレビ) - メイン司会の中居正広とテレビ朝日のテレビドラマ「味いちもんめ」以来の久々の共演。中居の演技を絶賛し、「味 - 」撮影時に中居とつかみ合いのシーンの終了後、撮影終了しているにもかかわらず、すぐに手を離すことができずしばらくにらみ合ってしまい、ADが仲裁に入った等の話で盛り上がっていた。撮影現場の雰囲気はとてもよく、「パート157までいってほしい」と「味いちもんめ」を絶賛している[2]
  • 英語でしゃべらナイト(NHK) - 自慢の英語で、映画『ターミナル』公開時に来日していたトム・ハンクスにインタビューをした。その際、「あなたの英語は素晴らしい」と褒められる。その後、スタジオにも出演。
  • ニッポン・ダンディTOKYO MX) - 木曜ダンディ
  • バラいろダンディ(TOKYO MX) - 木曜ダンディ

ドキュメンタリー

  • 歴史ロマン 壇ノ浦・関ヶ原・上野戦争 〜歴史を決めた英雄達〜 - MC(BSジャパン、2014年12月30日)[12]

関連項目

参考文献

  • 今井雅之『若いぼくらにできること』(岩波書店、1997年)ISBN 4005002870

脚注

  1. ^ 今井雅之 (2010年10月24日). “大先輩”. 今井雅之の押忍!. アメーバブログ. 2012年3月3日閲覧。
  2. ^ 今井雅之 (2011年6月28日). “千葉先輩!!!”. 今井雅之の押忍!. アメーバブログ. 2012年3月3日閲覧。
  3. ^ [1]
  4. ^ 今井雅之、大腸がんを告白 舞台は降板”. デイリースポーツ online (2015年4月21日). 2015年4月21日閲覧。
  5. ^ 今井雅之、末期がん抗がん剤治療で入院中も「よくなってない」 - スポーツ報知(2015年5月1日閲覧)
  6. ^ 今井雅之さん死去 大腸がんで闘病も…容体急変、54歳 スポーツニッポン 2015年5月28日閲覧
  7. ^ 末期がん公表・闘病の俳優、今井雅之さん死去 - 産経新聞(2015年5月28日11時48分)
  8. ^ チャンネル桜 | チャンネル桜について
  9. ^ 今井雅之OGな人々Vol.35
  10. ^ 著書『若いぼくらにできること』、第3章マラソンとサバイバル(p82-p118)
  11. ^ キャスト | 『かぐらめ』”. 映画『かぐらめ』公式サイト. 2015年2月23日閲覧。
  12. ^ 歴史ロマン 壇ノ浦・関ヶ原・上野戦争 〜歴史を決めた英雄達〜(BSジャパン)、2014年12月23日閲覧

外部リンク