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2015年6月17日 (水) 23:22時点における版

「清輝」明治11年ころ

清輝(せいき)は、日本海軍軍艦明治維新後の初めての国産軍艦として横須賀造船所で建造された。また日本艦船として初めてヨーロッパへ遠征したことでも特筆すべき艦である。

要目

  • 排水量:897t
  • 垂線間長:61.150m
  • 幅:9.300m
  • 吃水:4.050m

艦歴

  • 1873年明治6年)11月20日 - 横須賀造船所にて起工
  • 1875年(明治8年)3月5日 - 進水(明治天皇が臨席)
  • 1876年(明治9年)6月21日 - 竣工
  • 1878年(明治11年)末から翌年 ヨーロッパ遠征[1]
  • 1888年(明治21年)12月7日 - 午前2時頃、駿河湾にて触礁[2]
    • 12月10日 - 午後2時頃、船体破壊[2]

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 井上良馨 少佐:1875年10月15日 - 12月15日
  • 井上良馨 少佐:1876年3月22日 - 1879年8月19日
  • 磯辺包義 少佐:1880年6月17日 - 1882年8月3日
  • 磯辺包義 中佐:1882年8月6日 - 1883年3月2日
  • 隈崎守約 中佐:不詳 - 1884年6月16日
  • 伊地知弘一 少佐:1884年6月16日 - 1885年6月22日
  • 野村貞 少佐:1885年6月22日 - 1886年4月12日
  • 松岡方祇 少佐:1886年4月12日 - 8月4日
  • 河原要一 少佐:1886年12月28日 - 1887年10月27日
  • 田尻唯一 少佐:1887年10月27日[3] -

脚注

  1. ^ 中島武著『明治の海軍物語』三友社、1939年のうち、「軍艦淸輝の歐洲航海」。
  2. ^ a b 『官報』第1640号、明治21年12月15日。
  3. ^ 『官報』第1301号、明治20年10月28日。

参考文献

  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。
  • 『大日本帝国軍艦帖』共益商社書店、1894年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報』 

関連項目