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2015年6月18日 (木) 22:02時点における版
樋口 弘(ひぐち ひろし、1947年1月20日 - )は日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教助手。神奈川県出身。子息の樋口喬啓はJRA調教助手。
経歴
1947年神奈川県生まれ。1962年に馬事公苑騎手養成長期課程を受け、1964年3月に勝又忠厩舎にて騎手見習となり、1965年に同厩舎所属騎手としてデビュー。初年度は10勝ながら、翌年には19勝、3年目には25勝と成績が良くなり、アラブ王冠にて初重賞制覇するなど、関東の若手騎手として頭角を現した。この間、勝又厩舎から蛯名武五郎厩舎に移籍したが、師匠の急死により藤本冨良厩舎へ、さらに古山良司厩舎へ移籍した。
しかし、1973年1月に交通事故を起こし、同年2月1日付けで樋口自ら騎手免許を返上し、いったん引退した。1978年、騎手への復帰が認められて3月1日付で復帰したが、以前の関東ではなく、栗東トレーニングセンターの日迫良一厩舎に所属した。
その後すぐに柳田次男厩舎に移籍。同年の有馬記念では、エリモジョージに騎乗する福永洋一から乗り替わったインターグロリアで2着に入ると、1981年には宝塚記念をカツアールで制覇した。その後も、年間の勝ち鞍は20勝前後ながら、1984年にはエリザベス女王杯をキョウワサンダーで勝利し、GI競走制覇を果たした。
その後、一時期フリーとなったあと、1989年より中尾正厩舎に所属して引き続き騎乗を続けていたが、1995年2月28日付で騎手を引退して中尾正厩舎所属の調教助手となった。
スダホークにも同馬の現役最晩年に1戦のみ騎乗していた(7歳春の阪神大賞典)。
成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 395 | 346 | 373 | 2,386 | 3,800 | .104 | .195 |
- 初騎乗 1965年3月6日 2回東京5日目第5レース ダイニシンエイ(5着)
- 初勝利 1965年4月29日 3回東京1日目第3レース シントネオー(18戦目)
- 全国最高12位(1968年・43勝)
- 重賞競走11勝(うちGI級競走2勝)
重賞勝利
- タイセイユウ(1967年アラブ王冠・秋)
- ライトワールド(1968年京成杯)
- トーヨーアサヒ(1972年京王杯オータムハンデキャップ)
- タカイホーマ(1972年クイーンステークス)
- インターグロリア(1979年京都牝馬特別)
- カツアール(1981年宝塚記念)
- オーゴンタケル(1984年小倉記念)
- キョウワサンダー(1984年エリザベス女王杯)
- キョウワシンザン(1985年小倉3歳ステークス)
- ダイナカンパリー(1985年ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス)
- ミスターヤマノ(1990年小倉大賞典)
参考文献
- 『中央競馬年鑑』(昭和40年 - 平成7年版)(日本中央競馬会)