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「お昼のゴールデンショー」の版間の差分

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系列は放送当時のもの。
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2015年9月10日 (木) 15:27時点における版

お昼のゴールデンショー
ジャンル バラエティ番組
出演者 前田武彦
コント55号
森光子
土居まさる
ケーシー高峰
今仁哲夫
てんぷくトリオ
ほか
製作
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1968年4月1日 - 1971年9月30日
放送時間月曜 - 金曜 12:00 - 12:45
放送分45分
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お昼のゴールデンショー』(おひるのゴールデンショー)は、1968年4月1日から1971年9月30日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ製作のバラエティ番組である。放送時間は毎週月曜 - 金曜 12:00 - 12:45 (日本標準時)。

後の『笑ってる場合ですよ!』、そして『森田一義アワー 笑っていいとも!』に続くフジテレビ正午のバラエティ路線の源流を築いた番組として知られている[誰によって?]

概要

当時有楽町にあったヴィデオホール(現在の蚕糸会館)からの生放送を毎日行っていた。「マエタケ」こと前田武彦が司会を、コント55号萩本欽一坂上二郎がレギュラーを務めていた。ゲストには五代目三遊亭圓楽青空はるおあきお林家三平かしまし娘夢路いとし喜味こいし横山やすし・西川きよし牧伸二立川談志Wけんじ獅子てんや・瀬戸わんやコロムビア・トップ・ライトなどのお笑い芸人と、中尾ミエ坂本九水原弘ザ・タイガース畠山みどり内山田洋とクールファイブなどの歌手を迎え、彼らとともにコントやゲームを繰り広げていた。

この番組でコント55号が披露したコントから、「忘れもしない12年前!」などの数々の流行語が誕生した。また、当時テレビでは批判的論調が強かった反戦フォークの特集を組んだりと、時に前衛的な内容を取り上げることもあった。

その後、マエタケとコント55号が週に何本ものレギュラーを抱えるようになり、毎日生で放送されるこの番組に出演するのが難しくなったことから、1969年春の改編を機に宍戸錠森光子中村メイコ、そしてコント55号の後輩にあたるコント0番地を新メンバーに迎えた。同時に曜日別司会制へ移行し、マエタケとコント55号が出演しない曜日には企画重視の構成を採るなどのテコ入れを図った。例えば水曜には、中村メイコたちが予め用意された質問に沿ってゲストの過去の秘密を暴いていく「スターの秘密」のコーナーを中心に進めていた。しかし、マエタケとコント55号が出演する曜日と彼らが出演しない曜日とで視聴率に大きな開きが生じるようになり[要出典]、このテコ入れは不調に終わってしまう。結局この曜日別司会制は1年と持たずに終了し、マエタケも1969年夏にスケジュールの都合を理由に司会を降板した。

1970年1月からは、文化放送を退社したばかりの土居まさるを新司会に起用。コント55号を曜日別のレギュラー扱いとし、上方漫才のかしまし娘や医者漫談で人気を博したケーシー高峰らを新レギュラーに迎えた。

その後も出演メンバーの入れ替えは進み、同年秋には高峰をメイン司会に昇格。そして高峰のアシスタントとして、当時ニッポン放送のアナウンサーだった今仁哲夫を同局からの出向という形で起用した。

さらに、1971年春からは古今亭志ん朝も司会に加えて高峰・志ん朝の二枚看板とし、てんぷくトリオ京唄子鳳啓助などのお笑い芸人たちによる芸やギャグを中心とする演芸色の強い構成を採るようになった。

出演者

担当 出演者(1968年度)
司会 前田武彦
レギュラー 月曜 コント55号
火曜 コント55号/中村メイコ
水曜 コント55号
木曜 コント55号
金曜 コント55号/大喜利ゲーム(春風亭柳昇/月の家圓鏡/柳家小きん/三遊亭小圓馬/桂伸治ほか)
担当 出演者(1969年度前半)
司会 月曜 前田武彦< - 1969年6月>/倍賞美津子<1969年7月 - >
火曜 前田武彦< - 1969年6月>/宍戸錠<1969年7月 - 12月>/藤間紫<1969年7月 - >
水曜 前田武彦< - 1969年6月>/宍戸錠<1969年7月 - 12月>/中村メイコ<1969年7月 - >
木曜 森光子
金曜 前田武彦< - 1969年6月>/扇千景<1969年7月 - >
レギュラー 月曜 コント55号< - 1969年8月>
火曜 コント55号< - 1969年6月・9月>/中村メイコ< - 1969年6月>
水曜 コント55号
木曜 コント55号< - 1969年6月・9月>
金曜 コント55号/大喜利ゲーム
担当 出演者(1969年度後半)
司会 月曜 倍賞美津子< - 1969年12月>/土居まさる<1970年1月 - >
火曜 宍戸錠< - 1969年12月>/藤間紫< - 1969年12月>/土居まさる<1970年1月 - >
水曜 宍戸錠< - 1969年12月>/中村メイコ< - 1969年12月>/土居まさる<1970年1月 - >
木曜 森光子< - 1969年12月>/土居まさる<1970年1月 - >
金曜 扇千景< - 1969年12月>/土居まさる<1970年1月 - >
レギュラー 月曜 コント0番地<1969年12月>/立川談志<1969年11月 - 12月>/月の家圓鏡<1970年1月 - >
火曜 コント0番地<1969年10月 - 11月>/てんぷくトリオ<1969年11月 - >
水曜 コント55号
木曜 コント0番地<1969年10月 - 11月>/かしまし娘<1970年1月 - >
金曜 大喜利ゲーム → お笑い中継車< - 12月>/コント0番地<1969年10月 - 12月>/都家かつ江<1969年11月>/獅子てんや・瀬戸わんや<1970年1月>/トリオ・ザ・スカイライン<1970年2月 - >/Wけんじ<1970年3月>
担当 出演者(1970年度前半)
司会 土居まさる
レギュラー 月曜 月の家圓鏡< - 1970年9月>/鳳啓助・京唄子/三遊亭圓楽<1970年7月 - 9月>
火曜 てんぷくトリオ/三遊亭圓楽<1970年7月 - 9月>
水曜 コント55号/ケーシー高峰<1970年7月 - 9月>
木曜 山崎唯<1970年4月>/久里千春<1970年4月>/かしまし娘<1970年5月 - >/ケーシー高峰<1970年7月 - 9月>
金曜 獅子てんや・瀬戸わんや<1970年6月 - 9月>/トリオ・ザ・スカイライン< - 1970年6月>/Wけんじ<1970年4月>/ドンキーカルテット<1970年5月>/ケーシー高峰<1970年7月 - 9月>
担当 出演者(1970年度後半)
司会 今仁哲夫/ケーシー高峰
レギュラー 月曜 鳳啓助・京唄子/東八郎
火曜 てんぷくトリオ
水曜 中村メイコ/高松しげお/和田浩治/早瀬久美
木曜 かしまし娘< - 1971年1月>/なべおさみ<1971年2月 - 3月>
金曜 ギャグメッセンジャーズ
担当 出演者(1971年度前半)
司会 今仁哲夫<1971年4月>/ケーシー高峰/古今亭志ん朝<1971年5月 - >
レギュラー 月曜 東八郎<1971年4月>/東京ぼん太<1971年4月>
火曜 てんぷくトリオ<1971年4月>/高松しげお<1971年5月 - >
水曜 中村メイコ<1971年4月>/高松しげお<1971年4月>/和田浩治<1971年4月>/早瀬久美<1971年4月>
木曜 かしまし娘<1971年4月>/神津善行<1971年5月 - >
金曜 毒蝮三太夫<1971年4月>

スタッフ

放送局

系列は放送当時のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 フジテレビ フジテレビ系列 製作局
宮城県 仙台放送 1970年10月から放送。
秋田県 秋田テレビ 1969年10月の開局時から放送。
山形県 山形テレビ 1970年4月の開局時から放送。
長野県 長野放送 サービス放送開始日の1968年12月20日から放送。
静岡県 テレビ静岡 1968年12月の開局時から放送。
富山県 富山テレビ 1969年4月の開局時から放送。
石川県 石川テレビ
福井県 福井テレビ 1969年10月の開局時から放送。
中京広域圏 東海テレビ
近畿広域圏 関西テレビ
岡山県 テレビ岡山 フジテレビ系列
NET系列
現・岡山放送
1970年4月から、1971年3月打ち切り[1]
当時の放送エリアは岡山県のみ
島根県 テレビしまね フジテレビ系列 現・山陰中央テレビ
1970年4月の開局時から放送。
当時の放送エリアは島根県のみ。
愛媛県 愛媛放送 1969年12月の開局時から放送。
福岡県 テレビ西日本
佐賀県 サガテレビ 1969年4月の開局時から放送。
熊本県 テレビ熊本 フジテレビ系列
日本テレビ系列
NET系列
宮崎県 テレビ宮崎 フジテレビ系列[2] 1970年4月の開局時から放送。
鹿児島県 鹿児島テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列
NET系列
1969年4月の開局時から放送。
琉球政府 沖縄テレビ フジテレビ系列 1968年12月から放送。
当時はアメリカ合衆国の施政下

映像について

生放送の番組で、なおかつ当時は放送用のテープが高価だったためか、この番組のVTRはほとんど残っていない(静止画や録音テープについてはある程度残されている)。1988年3月31日にフジテレビ系列で放送された回顧特番『フジテレビ30年史』のコーナー「大そうじで出てきた番組たち」では、前田とコント55号時代のキネコ版を放送したが、画面はかなり傷んでおり、断りのテロップを添えた上での放送となった。

脚注

  1. ^ 打ち切り後、『アフタヌーンショー』(NETテレビ)の同時ネットに切り替えた。
  2. ^ ただし、当時はまだFNNとFNSへの正式加盟をしていなかった(FNSには1972年4月に、FNNには1973年1月に正式加盟)。また、NNNにもANNにも加盟していなかった(ANNには1976年4月に、NNNには1979年4月に加盟)。
フジテレビ系列 月曜12:00枠
前番組 番組名 次番組
いじわる問答 「男と女」
(1968年1月8日 - 1968年3月25日)
※12:00 - 12:15
お笑いフルコース
※12:15 - 12:45
お昼のゴールデンショー
(1968年4月1日 - 1971年9月27日)
※月曜放送分
ハイヌーンショー
(1971年10月4日 - 1975年3月31日)
フジテレビ系列 火曜12:00枠
いじわる問答 「男と女」
(1968年1月9日 - 1968年3月26日)
※12:00 - 12:15
しろうと寄席
(1967年4月4日 - 1968年3月26日)
※12:15 - 12:45
お昼のゴールデンショー
(1968年4月2日 - 1971年9月28日)
※火曜放送分
ハイヌーンショー
(1971年10月5日 - 1975年3月25日)
フジテレビ系列 水曜12:00枠
いじわる問答 「男と女」
(1968年1月10日 - 1968年3月27日)
※12:00 - 12:15
歌の饗宴
(1960年12月7日 - 1968年3月27日)
※12:15 - 12:45
お昼のゴールデンショー
(1968年4月3日 - 1971年9月29日)
※水曜放送分
ハイヌーンショー
(1971年10月6日 - 1975年3月26日)
フジテレビ系列 木曜12:00枠
いじわる問答 「男と女」
(1968年1月11日 - 1968年3月28日)
※12:00 - 12:15
コロムビアグランドショー
(1967年4月6日 - 1968年3月28日)
※12:15 - 12:45
お昼のゴールデンショー
(1968年4月4日 - 1971年9月30日)
※木曜放送分
ハイヌーンショー
(1971年10月7日 - 1975年3月27日)
フジテレビ系列 金曜12:00枠
いじわる問答 「男と女」
(1968年1月5日 - 1968年3月29日)
※12:00 - 12:15
お笑いヤマト魂
(1968年1月5日 - 1968年3月29日)
※12:15 - 12:45
お昼のゴールデンショー
(1968年4月5日 - 1971年9月24日)
※金曜放送分
ハイヌーンショー
(1971年10月1日 - 1975年3月28日)