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19世紀までの戦闘(とくに正規軍同士の中規模・大規模な会戦)は、わずかな例外を除き[[白兵戦|接近戦]]であった。また前近代の火器に用いられる火薬は[[黒色火薬]]が主流であり、激戦時には硝煙で視界が不自由になることも稀ではなかった。そのため混戦での敵味方の識別、および指揮官の所在地把握などを容易にするため、派手な原色の軍服が主流であった。しかし[[ライフル銃]]の登場や[[無煙火薬]]の普及をはじめとした銃器の性能向上や軍事技術・科学技術の発展によって、戦闘が白兵戦から遠距離の射撃戦に移行すると、原色の軍服は目立ちやすく、[[狙撃]]され易い弊害が生じた。このため19世紀後半から、目立たないアースカラーの戦闘服が提唱された。しかし中世ヨーロッパの甲冑の衣鉢を継ぐ磨き上げられた胸甲や兜、金モールや肩章で飾り立てられた派手で美麗な軍服は、[[騎士道]]の伝統に由来した精神的美意識と密接に結びついていたため、各国の保守的な軍上層部は、泥や枯れ草の色をした軍服を身につけるなど軍人としての名誉を棄損するものであるとして強硬に反発した。このため地味な色の軍服の普及は、19世紀から20世紀初頭にかけての数次の戦役で、目立ち易く派手な軍服の弊害が繰り返し証明されてからのことであった。 |
19世紀までの戦闘(とくに正規軍同士の中規模・大規模な会戦)は、わずかな例外を除き[[白兵戦|接近戦]]であった。また前近代の火器に用いられる火薬は[[黒色火薬]]が主流であり、激戦時には硝煙で視界が不自由になることも稀ではなかった。そのため混戦での敵味方の識別、および指揮官の所在地把握などを容易にするため、派手な原色の軍服が主流であった。しかし[[ライフル銃]]の登場や[[無煙火薬]]の普及をはじめとした銃器の性能向上や軍事技術・科学技術の発展によって、戦闘が白兵戦から遠距離の射撃戦に移行すると、原色の軍服は目立ちやすく、[[狙撃]]され易い弊害が生じた。このため19世紀後半から、目立たないアースカラーの戦闘服が提唱された。しかし中世ヨーロッパの甲冑の衣鉢を継ぐ磨き上げられた胸甲や兜、金モールや肩章で飾り立てられた派手で美麗な軍服は、[[騎士道]]の伝統に由来した精神的美意識と密接に結びついていたため、各国の保守的な軍上層部は、泥や枯れ草の色をした軍服を身につけるなど軍人としての名誉を棄損するものであるとして強硬に反発した。このため地味な色の軍服の普及は、19世紀から20世紀初頭にかけての数次の戦役で、目立ち易く派手な軍服の弊害が繰り返し証明されてからのことであった。 |
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現代は戦場の埴生や冬季・夏季の季節に応じた多種な迷彩服が多用される。[[ヘルメット]](鉄帽)にも同様の迷彩柄を施した「迷彩カバー」を被せることが一般的である。 |
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Image:Flecktarn.jpg|戦後の新生[[ドイツ連邦軍]]の迷彩柄([[:de:Flecktarn|Flecktarn]]) |
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Image:Oesterreich Erbsentarn.jpg|かつてのオーストリア陸軍の「エンドウ豆」迷彩柄 |
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Image:Pla camo.svg|[[中国人民解放軍]]の迷彩 リーフパターンと呼ばれる |
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Image:Camouflage.svg|一般的な迷彩の例 |
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[[幕末]]の近代化策において、戦闘服の合理性が重視され、[[薩長]]軍においては実用本位のだん袋、筒袖の戦闘服が採用されるようになった。[[勝海舟]]はこれを「紙くず拾い」のような服装と揶揄している<ref>吉本襄『氷川清話』</ref>。また必ずしも迷彩を意図したものではないが、幕府軍も菜っ葉隊(若菜隊)とよばれる緑色の軍装を採用した部隊を設立している。 |
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===スウェーデン=== |
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2015年10月4日 (日) 13:15時点における版
戦闘服(せんとうふく、英語: Battledress/ Combat Dress、ドイツ語: Kampfanzug)とは、戦闘用に作られた衣服である。
アメリカ陸軍では2014年からACU(英語: Army Combat Uniform、陸軍戦闘服)と呼ぶようになった。
概要
軍服には当初TPOのよる区別はなかったが、兵士の作業服や将校の略装として通常勤務服が定められるようになった。やがて、通常勤務服が戦闘にも使われるようになったが、迷彩、衛生等の必要性から、これまで戦闘の際に着用されてきた正装や通常勤務服、或は作業服とは別に、専用の戦闘服を採用するようになった。迷彩の戦闘服の場合、季節や状況に合わせて複数の被服を支給しなければならないため、軍にとって費用の負担は重くなる。費用節約の目的のみならず急激な季節変化に対応するために裏表で異なる図柄や色彩を施したリバーシブルの戦闘服を採用する場合もある。
現代陸軍の戦闘服では、主に次のような着用品からなっている。
- ヘルメット(鉄帽)
- ファスナー又はボタン留めの上衣(下は一般に国防色のTシャツ)
- ピストルベルト(弾帯:ズボンを絞るのではなく装備品を下げるガンベルト)
- カーゴパンツ(大腿部にもマチ付きのポケットがあるズボン。ベトナムズボンとも言う)
- ブーツ(戦闘靴、半長靴)
これらを基本とし、各種状況や環境に合わせた装備を装着する。
歴史
19世紀までの戦闘(とくに正規軍同士の中規模・大規模な会戦)は、わずかな例外を除き接近戦であった。また前近代の火器に用いられる火薬は黒色火薬が主流であり、激戦時には硝煙で視界が不自由になることも稀ではなかった。そのため混戦での敵味方の識別、および指揮官の所在地把握などを容易にするため、派手な原色の軍服が主流であった。しかしライフル銃の登場や無煙火薬の普及をはじめとした銃器の性能向上や軍事技術・科学技術の発展によって、戦闘が白兵戦から遠距離の射撃戦に移行すると、原色の軍服は目立ちやすく、狙撃され易い弊害が生じた。このため19世紀後半から、目立たないアースカラーの戦闘服が提唱された。しかし中世ヨーロッパの甲冑の衣鉢を継ぐ磨き上げられた胸甲や兜、金モールや肩章で飾り立てられた派手で美麗な軍服は、騎士道の伝統に由来した精神的美意識と密接に結びついていたため、各国の保守的な軍上層部は、泥や枯れ草の色をした軍服を身につけるなど軍人としての名誉を棄損するものであるとして強硬に反発した。このため地味な色の軍服の普及は、19世紀から20世紀初頭にかけての数次の戦役で、目立ち易く派手な軍服の弊害が繰り返し証明されてからのことであった。
多くの陸軍の戦闘服の生地は、仮想戦場が森林、平原、密林、砂漠等の地理的条件により目立たない色合が選ばれることが多い。第2次世界大戦頃まで最も多く使用されていた色合いはカーキ色である。これは、インドの自然条件を背景にインド駐箚英軍で採用されはじめ、イギリス正規軍の真紅の制服が仇となりゲリラ戦に苦しめられた第2次ボーア戦争が終結に向かう1902年ころに、英軍全体で使用されるようになった。これにならって各国にも採用されるようになった。 最も成功した迷彩は冬季に降雪地帯で着用する白のオーバーオールであり、これは絶大な効果を発揮した。また純白の戦闘服は他の迷彩服よりは優美であったため、各国においてほとんど反対なく採用されている。
その後、生地に複数の色彩で雲形や斑点の模様(パターン)をプリントした迷彩生地が登場した。 そして1929年にイタリア軍が迷彩生地を用いたテントを採用、同じ頃ドイツ軍でも研究が進められ、1930年代初頭には迷彩テント及び迷彩服(スモック)が採用された。
この当時の戦闘服は、制服と兼務されており、派手な徽章がついていたが、それを着用したまま、迷彩効果を上げるため、どうしても通常の軍服の上に重ね着するスモックという形を採らざるを得なかったと思われる。 このスモックは上着のみで、あくまで応急的な処置であった。
その後ドイツ軍は1944年頃に、迷彩生地でできた制服を開発、正式に配備した。これが迷彩服のルーツであると考えている研究家も多い。
これにさかのぼる1940年初頭に、アメリカ軍は各種迷彩生地でできた戦闘服を開発、一部が少数採用され、限定的に使用されたが、試作、研究の域から脱することはなかった。
現代は戦場の埴生や冬季・夏季の季節に応じた多種な迷彩服が多用される。ヘルメット(鉄帽)にも同様の迷彩柄を施した「迷彩カバー」を被せることが一般的である。
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砂漠向きの迷彩柄 デザート(砂漠)パターンとも呼ばれる
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かつてのオーストリア陸軍の「エンドウ豆」迷彩柄
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中国人民解放軍の迷彩 リーフパターンと呼ばれる
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一般的な迷彩の例
各国の戦闘服
日本
幕末の近代化策において、戦闘服の合理性が重視され、薩長軍においては実用本位のだん袋、筒袖の戦闘服が採用されるようになった。勝海舟はこれを「紙くず拾い」のような服装と揶揄している[1]。また必ずしも迷彩を意図したものではないが、幕府軍も菜っ葉隊(若菜隊)とよばれる緑色の軍装を採用した部隊を設立している。
明治期に入り、本格的に洋式の軍装が採用されるようになると、実用性より格式や装飾が重視されるようになった。
日本陸軍では、日露戦争に際して戦時服が定められ、その後それが通常勤務服(45式)に採用された例もある。
警察予備隊・保安隊を前身とする陸上自衛隊では、戦闘・戦争を連想させる迷彩服は周辺諸国を刺激する可能性があることから、非軍事的な作業服とも解釈しうるオリーブドラブ(OD)一色の戦闘服が長らく用いられ、この旧タイプの戦闘服も正式名称は「作業服」とされていた。また、階級章も白色の線等で表されていたが、その場合には階級章が迷彩効果を大幅に削ぐ問題点があった。そこで、1973年頃に北海道における大規模な(とくにソ連との)地上戦を想定し、北海道の植生において迷彩効果の高い迷彩服1型を採用した。これに加え、1985年頃から階級章も同時期の米軍に倣い、より目立たないOD地に黒線の物に変更された。
その後、冷戦終結後の1991年頃に日本全国の植生において迷彩効果の高い新型迷彩服(迷彩服2型)を採用するに至った。以前は恒常業務にはOD色の作業服を着用し、迷彩服は演習時のみ着用していたが、現在では、ほとんどの部隊で恒常業務でも迷彩服を着用している。
2007年以降、迷彩服2型のマイナーチェンジモデルである迷彩服3型が配備されている。
航空自衛隊でも、青磁緑色の「作業服」のほか、迷彩柄の「迷彩服」(陸自とは別パターン)が用いられる。なお海上自衛隊は警備職種等、迷彩服を着用する必要性の高い隊員のみ、陸上自衛隊と同様のパターンの迷彩服を着用している。
米国
アメリカ海兵隊は第二次世界大戦中の太平洋戦線で1942年にジャングル戦用のカモフラージュを初めて少数であるが採用した。アメリカ陸軍では、2005年4月以降、ACU(Army Combat Uniform、陸軍戦闘服)と呼ばれる全地域型迷彩服の配備を始めている。なお、米軍の通常勤務服装については軍服 (アメリカ合衆国)を参照。
海軍は軍艦を、空軍は航空機を用いた戦闘が主になるので、戦闘服は作業服として用いられる事が多い。
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朝鮮戦争当時の戦闘服。迷彩柄ではなく、OD色。
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海兵隊中尉(右)とイラクのICDC兵士(左)。2004年6月11日。
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陸軍第1騎兵師団。ファルージャ。2004年。
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陸軍第101空挺師団。イラク。2003年。
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海兵隊の偵察隊兵士。戦闘服と同色のブッシュハットを着用。迷彩効果により背景に溶け込んでいる。2003年。
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空軍の戦闘服(Airman Battle Uniform)
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海兵隊のデジタル迷彩パターン
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共同訓練中の米兵と露兵。1998年9月28日。
ロシア
帝政ロシア時代は、近衛兵部隊はカラフルな被服も用いられたが、一般の軍は白又は濃緑の被服が用いられた。もっとも、コサック連隊は、クリミア戦争の間、基本的なカモフラージュパターン技術を使用した。全軍は、1908年からカーキ色を使うこととなった。ソ連軍、新生ロシア連邦軍では、特殊部隊と一般部隊とで、使用される迷彩柄が異なっていることが多い。米軍などは戦闘服の階級章や各種徽章も目立たないような色を用いるが、ロシア軍では比較的目立つ色も用いられる。
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海軍歩兵。2003年。
ドイツ
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アフガニスタンに派兵されたドイツ連邦軍兵士。
砂漠用フレックタン柄の戦闘服を着用している。
スウェーデン
スウエーデン軍では1990年より独自の迷彩パターンM90の戦闘服を使用している。このパターンはドイツのスプリンター迷彩からの影響を受けている。砂漠地域向けのM90K柄の戦闘服も存在しており、こちらも砂漠地域で活動する兵士が着用している。
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戦闘服を着用するスウェーデン海軍の水陸両用部隊兵士。
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M90K柄の戦闘服を着用しMarmal基地を訪れるカール16世グスタフ国王(右から2人目)
タイ王国
以下は、2006年のタイ軍事クーデター時の同国陸軍兵士の戦闘服である。
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鉄帽は耳を保護するフリッツタイプとなっている。通常の戦闘服の上にチョッキを羽織っている。
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弾帯をサスペンダーで吊るしている。
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シャツスタイルの憲兵
オーストラリア
オーストラリア軍は、AUSCAMと呼ばれている多色カモフラージュを着用する。これは米軍のBDUと類似しているが、コンピュータープログラムによりオーストラリアの景色の色を入れることによって開発された。現在ではマルチカムベースのオリジナル柄AMP OCUに更新作業が進んでおり、今後数年で統一される見込みである。
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AUSCAMの砂漠用を着用する女性兵士
中華人民共和国
2007年に軍服および戦闘服のデザインが一新された。戦闘服の迷彩パターンはデジタルを思わせる現代的な仕上がりとなっている。[1]森林、砂漠地帯、都市部、海岸部の4種類のパターンの戦闘服を持つ。
その他
フランス軍では第1次世界大戦中の1914年頃まで、明るい青・赤の目立つ服装であったが、狙撃などの被害が多発したため、1915年頃にカーキ色の戦闘服に切り替えた。迷彩服は第2次世界大戦後に採用された。
派生語
なお、戦闘服という言葉は「勝負服」としてホステスなどを中心に仕事着の意味を持って使われていた時代もあった(今も稀に使う者がいるが、事実上廃語に近い)。
関連項目
- ^ 吉本襄『氷川清話』