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「第1海兵師団 (アメリカ軍)」の版間の差分

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'''第1海兵師団'''(だいいちかいへいしだん、{{lang|en|''1st Marine Division''}})は、[[アメリカ海兵隊]]の[[師団]]の一つ。アメリカ海兵隊の現役部隊としては最も古くかつ規模が大きく、兵力は約19,000人である。司令部は[[カリフォルニア州]]、{{仮リンク|キャンプ・ペンドルトン|en|Marine Corps Base Camp Pendleton}}に置かれている。
'''第1海兵師団'''(だいいちかいへいしだん、{{lang|en|''1st Marine Division''}})は、[[アメリカ海兵隊]]の[[師団]]の一つ。アメリカ海兵隊の現役部隊としては最も古くかつ規模が大きく、兵力は約19,000人である。司令部は[[カリフォルニア州]]、{{仮リンク|キャンプ・ペンドルトン|en|Marine Corps Base Camp Pendleton}}に置かれている。


== 戦歴 ==
== 戦歴 ==
師団編制となったのは1941年のことである。[[太平洋戦争]]で活躍し、[[ガダルカナル島の戦い]][[西部ニューブリテン島の戦い]][[リューの戦い]]、[[沖縄戦]]に投入された。[[硫黄の戦い]]は[[第3海兵師団 (アメリカ軍)|3]][[第4海兵師団 (アメリカ軍)|4]][[第5海兵師団 (アメリカ軍)|5]]海兵師団が投入され、参加していない。その後、[[朝鮮戦争]]、[[ベトナム争]]にも投入されてる。朝鮮戦争では4,000を超える戦死者を出した。
師団編制となったのは[[1941年]][[2月]]のことである。[[太平洋戦争]]開戦後、第1海兵連隊と第5海兵連隊は[[ニュージーランド]]の[[ウェリントン]]、第7海兵連隊は[[西サモア]]、第11海兵連隊は[[フィジー]]の駐屯地に移動ていたが、[[ガダルカナル島の戦い]]の準備のため、[[1942年]][[7月28日]]から[[7月30日]]にかけてフィジーの{{仮ンク|コロ島 (フィジ)|en|Koro Island|label=コロ島}}に集結した。こ時点でコロ島には89隻の[[輸送船]]と16,000の兵力が集結し、11日間の航海ののち、[[8月7日]]に[[ガダルカナル島]]に上陸した。ガダルカナル島では[[12月9日]][[アメリカ軍|陸軍]][[第23歩兵師団 (アメリカ軍)|第23歩兵師団]]と交代するまで戦い、650戦死者と1,278人の負傷者を出した。

ガダルカナル島の戦いの後、第1海兵師団は休養と再編成のため[[オーストラリア]]の[[メルボルン]]に駐屯したが、[[カートホイール作戦]]開始に伴って{{仮リンク|オーストラリア委任統治領ニューギニア|en|Territory of New Guinea|label=東部ニューギニア}}の[[ニューブリテン島]]に移動した。[[1943年]][[12月26日]]、第1海兵師団はニューブリテン島の[[グロスター岬]]付近に上陸し、{{仮リンク|グロスター岬の戦い|en|Battle of Cape Gloucester}}が開始された。戦闘は翌[[1944年]]2月まで続き、310人の戦死者と1,083人の負傷者を出した。グロスター岬の戦いの後、第1海兵師団は[[ルッセル諸島]]の{{仮リンク|パヴヴ島|en|Pavuvu}}に移動し、休養と再編成を行った。

9月15日、第1海兵師団は[[パラオ]]の[[ペリリュー島]]に上陸した。[[日本軍]]はペリリュー島において、従来の戦術から[[ゲリラ]]戦と[[縦深防御]]戦術に転換しており、第1海兵師団は苦戦を強いられることになった。[[ペリリューの戦い]]で、第1海兵師団は[[中隊]]長クラスの[[将校]]を含む1,252人の戦死者と5,274人の負傷者を出し、師団長の{{仮リンク|ウィリアム・リュパータス|en|William H. Rupertus}}[[少将]]は師団長を[[更迭]]された。10月、第1海兵師団は再び休養のためにパヴヴ島に戻り、そこで新年を迎えた。そのため、[[硫黄島の戦い]]には第[[第3海兵師団 (アメリカ軍)|3]]・[[第4海兵師団 (アメリカ軍)|4]]・[[第5海兵師団 (アメリカ軍)|5]]海兵師団が投入され、参加していない。

翌[[1945年]][[4月1日]]、第1海兵師団は[[第6海兵師団 (アメリカ軍)|第6海兵師団]]とともに[[沖縄本島]]に上陸した。[[沖縄戦]]において、第1海兵師団は大名高地の戦いや[[シュガーローフの戦い]]に参戦したのち、[[首里城]]を制圧した。6月23日の戦闘終結の時点で第1海兵師団は1,655人の戦死者を出した。

[[日本の降伏]]の後、1945年9月30日に第1海兵師団は[[中国]]の[[大沽]]に上陸し、[[河北省]]を中心に[[北京市|北平]]や[[天津市|天津]]、[[山東半島]]に展開した。しかし、[[国共内戦]]の激化に伴い、[[1947年]][[9月1日]]に中国から撤退した。

その後第1海兵師団は[[朝鮮戦争]]、[[ベトナム戦争]]にも投入されている。朝鮮戦争では、4,000人を超える戦死者を出した。


== 部隊編成 ==
== 部隊編成 ==
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* [[アメリカ海兵隊]]
* [[アメリカ海兵隊]]
* [[ザ・パシフィック]] - 第1海兵師団と太平洋戦争での日本軍との戦いをノンフィクション作品を基に描いたテレビドラマ。
* [[ザ・パシフィック]] - 第1海兵師団と太平洋戦争での日本軍との戦いをノンフィクション作品を基に描いたテレビドラマ。
** {{仮リンク|ペリリュー・沖縄戦記|en|With the Old Breed}} - 上記ドラマの原作。
* [[ジェネレーション・キル]]- イラク戦争に従軍した第1海兵師団・第1偵察大隊の兵士らの戦闘と戦場での日常を描いたテレビドラマ。
* [[ジェネレーション・キル]]- イラク戦争に従軍した第1海兵師団・第1偵察大隊の兵士らの戦闘と戦場での日常を描いたテレビドラマ。



2016年5月29日 (日) 16:42時点における版

第1海兵師団
第1海兵師団の記章
創設 1941年 2月1日
所属政体 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所属組織 アメリカ合衆国海兵隊の旗 アメリカ海兵隊
兵種/任務 水陸両用戦
人員 約19,000名
所在地 カリフォルニア州 キャンプ・ペンドルトン
愛称 オールド・ブリード
"The Old Breed"
ブルー・ダイアモンド
"Blue Diamond"
標語 より善き友、強き敵
No Better Friend, No Worse Enemy
上級単位 第1海兵遠征軍
戦歴 第二次世界大戦
*ガダルカナル島の戦い
*グロスター岬の戦い
*ペリリューの戦い
*沖縄戦
朝鮮戦争
*釜山橋頭堡の戦い
*仁川上陸作戦
*ソウル会戦 (第二次)英語版
*長津湖の戦い
*第1次・第2次原州の戦い
*パンチボウルの戦い英語版
キューバ危機
ベトナム戦争
*テト攻勢
*スターライト作戦
湾岸戦争
*カフジの戦闘
*クウェート解放作戦英語版
ソマリア内戦
アフガニスタン紛争 (2001年-)
*不朽の自由作戦
イラク戦争
*2003年イラク侵攻英語版
*ファルージャの戦闘
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第1海兵師団(だいいちかいへいしだん、1st Marine Division)は、アメリカ海兵隊師団の一つ。アメリカ海兵隊の現役部隊としては最も古くかつ規模が大きく、兵力は約19,000人である。司令部はカリフォルニア州キャンプ・ペンドルトンに置かれている。

戦歴

師団編制となったのは1941年2月のことである。太平洋戦争開戦後、第1海兵連隊と第5海兵連隊はニュージーランドウェリントン、第7海兵連隊は西サモア、第11海兵連隊はフィジーの駐屯地に移動していたが、ガダルカナル島の戦いの準備のため、1942年7月28日から7月30日にかけてフィジーのコロ島英語版に集結した。この時点でコロ島には89隻の輸送船と16,000の兵力が集結し、11日間の航海ののち、8月7日ガダルカナル島に上陸した。ガダルカナル島では12月9日陸軍第23歩兵師団と交代するまで戦い、650人の戦死者と1,278人の負傷者を出した。

ガダルカナル島の戦いの後、第1海兵師団は休養と再編成のためオーストラリアメルボルンに駐屯したが、カートホイール作戦開始に伴って東部ニューギニア英語版ニューブリテン島に移動した。1943年12月26日、第1海兵師団はニューブリテン島のグロスター岬付近に上陸し、グロスター岬の戦いが開始された。戦闘は翌1944年2月まで続き、310人の戦死者と1,083人の負傷者を出した。グロスター岬の戦いの後、第1海兵師団はルッセル諸島パヴヴ島英語版に移動し、休養と再編成を行った。

9月15日、第1海兵師団はパラオペリリュー島に上陸した。日本軍はペリリュー島において、従来の戦術からゲリラ戦と縦深防御戦術に転換しており、第1海兵師団は苦戦を強いられることになった。ペリリューの戦いで、第1海兵師団は中隊長クラスの将校を含む1,252人の戦死者と5,274人の負傷者を出し、師団長のウィリアム・リュパータス少将は師団長を更迭された。10月、第1海兵師団は再び休養のためにパヴヴ島に戻り、そこで新年を迎えた。そのため、硫黄島の戦いには第345海兵師団が投入され、参加していない。

1945年4月1日、第1海兵師団は第6海兵師団とともに沖縄本島に上陸した。沖縄戦において、第1海兵師団は大名高地の戦いやシュガーローフの戦いに参戦したのち、首里城を制圧した。6月23日の戦闘終結の時点で第1海兵師団は1,655人の戦死者を出した。

日本の降伏の後、1945年9月30日に第1海兵師団は中国大沽に上陸し、河北省を中心に北平天津山東半島に展開した。しかし、国共内戦の激化に伴い、1947年9月1日に中国から撤退した。

その後第1海兵師団は朝鮮戦争ベトナム戦争にも投入されている。朝鮮戦争では、4,000人を超える戦死者を出した。

部隊編成

関連項目

外部リンク