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| 事務所 = オフィスポエム
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'''藤村 志保'''(ふじむら しほ、[[1939年]][[1月3日]] - )は、日本の[[俳優|女優]]。[[神奈川県]][[川崎市]]出身。本名'''静永 操'''しずなが みさお<ref name="bunka121122" />旧姓'''薄'''すすき)。芸名は、デビュー作『[[破戒 (小説)#映像作品|破戒]]』の役名「志保」とその作品の原作者[[藤村]]に由来している。所属事務所はオフィスポエム。
'''藤村 志保'''(ふじむら しほ、本名'''静永 操'''<しずなが みさお><ref name="bunka121122" />旧姓'''薄'''<すすき>、[[1939年]][[1月3日]] - )は、日本の[[俳優|女優]][[神奈川県]][[川]]出身。所属事務所はオフィスポエム。[[フェリス女学院中学校・高等学校|フェリス女学院]]卒業


== 歴 ==
== 人物・来歴 ==
[[1961年]]、[[大映京都撮影所]]演技研究所に入所。
[[フェリス女学院中学校・高等学校|フェリス女学院]]卒業。1961年[[大映京都撮影所]]演技研究所に入所。1962年に『[[破戒 (小説)#映像作品|破戒]]』に出演し、各種新人賞を受賞。以降、[[大映]]のスター女優として主に時代劇で活躍。テレビドラマにも進出し、1965年の[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]『[[太閤記 (NHK大河ドラマ)|太閤記]]』の[[高台院|ねね]]役を演じる。その後も、各種ドラマ・映画・舞台など幅広く活躍。『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』での演技が認められ第59回[[NHK放送文化賞]]を受賞した。

[[1962年]]、『[[破戒 (小説)#映像作品|破戒]]』に出演して各種新人賞を受賞。以降、[[大映]]のスターとして主に時代劇で活躍。

テレビドラマにも進出し、[[1965年]]、『[[太閤記 (NHK大河ドラマ)|太閤記]]』の[[高台院|ねね]]役を演じたのをきっかけに[[大河ドラマ]]で活躍。

『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』での演技が認められ、第59回[[NHK放送文化賞]]を受賞した。


また『[[欽ちゃんのどこまでやるの!?]]』、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』[[テレフォンショッキング]]、『[[徹子の部屋]]』、『[[スタジオパークからこんにちは]]』など[[バラエティ番組]]や[[トーク番組]]にも多数出演し、軽妙なトークや撮影秘話などを披露。ドラマ・映画・舞台からは窺い知ることのできない素顔を見せている。
また『[[欽ちゃんのどこまでやるの!?]]』、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』[[テレフォンショッキング]]、『[[徹子の部屋]]』、『[[スタジオパークからこんにちは]]』など[[バラエティ番組]]や[[トーク番組]]にも多数出演し、軽妙なトークや撮影秘話などを披露。ドラマ・映画・舞台からは窺い知ることのできない素顔を見せている。
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2014年にはNHK[[大河ドラマ]]『[[軍師官兵衛]]』でナレーションを務め、演出意図から独特な語り口調が賛否両論を起こした。しかし、放送開始直前の同年1月3日に[[背骨]]を[[圧迫骨折]]する大けがを負い、医師から絶対安静と診断され、今後の収録は困難になったとの理由からナレーションを降板することが同年1月29日に発表された。ナレーションは同年2月16日放送分の第7回から元NHK[[アナウンサー]][[広瀬修子]]に交代し、しばらく治療に専念<ref>[http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140129/ent14012915170008-n1.htm 「軍師官兵衛」のナレーション交代 藤村志保さんが骨折、絶対安静で]MSN産経ニュース 2014年1月29日</ref>。同年8月までに全快し、同月12日に快気祝いが催されたという<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/08/13/0007232023.shtml 藤村志保 背骨の圧迫骨折治り快気祝い(1)]デイリースポーツ 2014年8月13日</ref><ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/08/13/1p_0007232023.shtml 藤村志保 背骨の圧迫骨折治り快気祝い(2)]デイリースポーツ 2014年8月13日</ref>。
2014年にはNHK[[大河ドラマ]]『[[軍師官兵衛]]』でナレーションを務め、演出意図から独特な語り口調が賛否両論を起こした。しかし、放送開始直前の同年1月3日に[[背骨]]を[[圧迫骨折]]する大けがを負い、医師から絶対安静と診断され、今後の収録は困難になったとの理由からナレーションを降板することが同年1月29日に発表された。ナレーションは同年2月16日放送分の第7回から元NHK[[アナウンサー]][[広瀬修子]]に交代し、しばらく治療に専念<ref>[http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140129/ent14012915170008-n1.htm 「軍師官兵衛」のナレーション交代 藤村志保さんが骨折、絶対安静で]MSN産経ニュース 2014年1月29日</ref>。同年8月までに全快し、同月12日に快気祝いが催されたという<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/08/13/0007232023.shtml 藤村志保 背骨の圧迫骨折治り快気祝い(1)]デイリースポーツ 2014年8月13日</ref><ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/08/13/1p_0007232023.shtml 藤村志保 背骨の圧迫骨折治り快気祝い(2)]デイリースポーツ 2014年8月13日</ref>。


芸名の由来は、デビュー作である『[[破戒 (小説)#映像作品|破戒]]』の役名「志保」と原作者の[[島崎藤村]]から。
== 出演作品 ==
== 出演作品 ==
=== テレビドラマ ===
=== テレビドラマ ===

2016年6月24日 (金) 02:49時点における版

ふじむら しほ
藤村 志保
本名 静永 操(しずなが みさお)[1]
生年月日 (1939-01-03) 1939年1月3日(85歳)
出生地 日本の旗 日本神奈川県川崎市
職業 女優
活動内容 1962年 -
配偶者 あり(静永純一)
事務所 オフィスポエム
公式サイト 藤村志保OFFICIAL HOME PAGE
主な作品
テレビドラマ
太閤記
千姫
三姉妹
てるてる家族
風林火山
映画
破戒
 
受賞
第59回NHK放送文化賞
第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞
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藤村 志保(ふじむら しほ、本名;静永 操<しずなが みさお>[1]、旧姓;<すすき>、1939年1月3日 - )は、日本の女優神奈川県川崎市出身。所属事務所はオフィスポエム。フェリス女学院卒業。

人物・来歴

1961年大映京都撮影所演技研究所に入所。

1962年、『破戒』に出演して各種新人賞を受賞。以降、大映のスターとして主に時代劇で活躍。

テレビドラマにも進出し、1965年、『太閤記』のねね役を演じたのをきっかけに大河ドラマで活躍。

風林火山』での演技が認められ、第59回NHK放送文化賞を受賞した。

また『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、『森田一義アワー 笑っていいとも!テレフォンショッキング、『徹子の部屋』、『スタジオパークからこんにちは』などバラエティ番組トーク番組にも多数出演し、軽妙なトークや撮影秘話などを披露。ドラマ・映画・舞台からは窺い知ることのできない素顔を見せている。

1985年には臓器移植を取材して『脳死をこえて』を書き上げ第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞を受賞、同著はテレビドラマ化もされている。放送文化資源・資料の保存にも関心を持っており、2011年には日本脚本アーカイブズ(後の一般社団法人日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム)に対し自身の出演作等の台本576冊を寄贈している[2]

2014年にはNHK大河ドラマ軍師官兵衛』でナレーションを務め、演出意図から独特な語り口調が賛否両論を起こした。しかし、放送開始直前の同年1月3日に背骨圧迫骨折する大けがを負い、医師から絶対安静と診断され、今後の収録は困難になったとの理由からナレーションを降板することが同年1月29日に発表された。ナレーションは同年2月16日放送分の第7回から元NHKアナウンサー広瀬修子に交代し、しばらく治療に専念[3]。同年8月までに全快し、同月12日に快気祝いが催されたという[4][5]

芸名の由来は、デビュー作である『破戒』の役名「志保」と原作者の島崎藤村から。

出演作品

テレビドラマ

映画

CM

脚注

関連項目

外部リンク