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21歳の時に、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]のスカウトからは「もし[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]で指名されるならば1巡目だ」と評価されている<ref>John Manuel, "[http://www.baseballamerica.com/today/features/060302wbccuba3b.html World Baseball Classic: Cuba's Yuliesky Gourriel]," ''Baseball America'', March 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。</ref>。
21歳の時に、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]のスカウトからは「もし[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]で指名されるならば1巡目だ」と評価されている<ref>John Manuel, "[http://www.baseballamerica.com/today/features/060302wbccuba3b.html World Baseball Classic: Cuba's Yuliesky Gourriel]," ''Baseball America'', March 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。</ref>。


打球のほとんどが左方向に飛ぶプルヒッター<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2008|title=[[野球太郎|野球小僧]] 世界野球選手名鑑2008|publisher=[[白夜書房]]|pages=205頁|id=ISBN 978-4-86191-374-7}}</ref>。長打力に定評がある<ref>http://www.si.com/mlb/2016/06/13/yulieski-gourriel-mlb-free-agency-cuba-defector Yulieski Gourriel: Cuban prospect now MLB free agent (SI.com)</ref>。
打球のほとんどが左方向に飛ぶプルヒッター<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2008|title=[[野球太郎|野球小僧]] 世界野球選手名鑑2008|publisher=[[白夜書房]]|pages=205頁|id=ISBN 978-4-86191-374-7}}</ref>。長打力に定評がある<ref name="sicom">http://www.si.com/mlb/2016/06/13/yulieski-gourriel-cuba-mlb-free-agent Yulieski Gourriel: What to know about Cuban MLB hopeful (SI.com)</ref>。


=== 守備 ===
=== 守備 ===
キューバ国内リーグでは[[三塁手]]としてプレー。代表では当初は[[二塁手]]だったが、2004年頃から代表でも主に三塁を守るようになった。DeNAへの入団が決まった際には[[遊撃手]]としての起用も想定された<ref name=sponichi140531>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/31/kiji/K20140531008267470.html|title=DeNAグリエル 父子鷹だ!サポート役の父は日本でプレー経験あり |work=スポーツニッポン|author=|date=2014-05-31|accessdate=2014-05-31}}</ref>。入団当初に出場した[[セ・パ交流戦]]では、[[指名打者]]を採用しなかったパ・リーグ球団主催試合で、[[石川雄洋]]に遊撃や外野を守らせることを条件に二塁手として起用されていた<ref>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/02/kiji/K20140602008288020.html|title=グリエルを二塁で起用なら石川を左翼にコンバートも|work=スポーツニッポン|author=|date=2014-06-02|accessdate=2014-06-04}}</ref>。一塁を守っていた主砲の[[トニ・ブランコ]]が故障で戦線を離れた交流戦の後半(6月中旬)からは、レギュラー三塁手の[[アーロム・バルディリス]]を一塁や代打に起用する一方で、もっぱら三塁手として出場した。DELTA社算出の[[アルティメット・ゾーン・レーティング|UZR]]では、2014年は二塁手では289イニングでUZR-2.6、三塁手では228イニングでUZR-4.8を喫した<ref>{{Cite book|和書|author=岡田友輔、道作、三宅博人、morithy, 蛭川皓平、高多薪吾、Student, 水島仁、神事務、市川博久、大南淳|year=2015|title=プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート4|publisher=水曜社|pages=175頁|id=ISBN 978-4-88065-319-8}}</ref>。
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== 人物 ==
== 人物 ==

2016年9月10日 (土) 14:55時点における版

ユリエスキ・グリエル
Yuliesky Gourriel
ヒューストン・アストロズ #10
 横浜DeNAベイスターズ時代
(2014年7月13日、明治神宮野球場にて)
基本情報
国籍ハイチの旗 ハイチに亡命)
出身地  キューバ
サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス
生年月日 (1984-06-09) 1984年6月9日(40歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手二塁手
プロ入り 2016年
初出場 NPB / 2014年6月8日
MLB / 2016年8月21日
最終出場 NPB / 2014年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム キューバの旗 キューバ
五輪 2004年2008年
WBC 2006年2009年2013年
プレミア12 2015年
オリンピック
野球
2004 野球
2008 野球
映像外部リンク
2009年WBCの対日本戦(2回目)
イチローの犠打を失敗させたダイビングキャッチ(MLB.comによる動画)
映像外部リンク
2013年WBCの対オランダ戦(1回目)
レオン・ボイドから放った本塁打
(MLB.comによる動画)

ユリエスキ・グリエル・カスティーヨYulieski Gourriel Castillo , 1984年6月9日 - )は、キューバ共和国サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。現在はMLBヒューストン・アストロズに所属。

経歴

キューバ球界時代

17歳であった2001年に、ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの選手として、キューバの国内リーグ(セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル)にデビューした。

2003年10月に、第35回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。

2004年8月に、アテネオリンピックにおける野球競技キューバ代表に選出された。

2005年9月に、第36回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。この大会では、8本塁打を記録した。

2005-2006シーズンには本塁打打点の二冠王を獲得したほか、当時国内リーグ史上初の20本塁打・20盗塁を達成した[1]

3月に、この年から開催される事となったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のキューバ代表に選出された[2]。この大会では、二塁手として出場し、打率.273・出塁率.342・長打率.515の成績で大会ベストナインに選ばれた。

2006-2007シーズンは本塁打数が半減してしまったが、これはこのシーズンから公式戦で使用されるボールが、ミズノ製のものから自国製のもの(いわゆる「飛ばないボール」)へ変更され、リーグ全体の打撃成績が低くなった影響と見られる[3]

2013年WBCにおけるグリエル

2006年7月末には「コロンビアで開催されている国際大会に遠征中、エドゥアルド・パレとともに亡命した」とESPNのウェブサイトで報じられ[4]ニューヨーク・ヤンキースが獲得に興味との噂が出たが、その後本人が否定した[5]

2008年8月に、北京オリンピックにおける野球競技のキューバ代表に選出され2大会連続2度目の選手となった。決勝戦では1点ビハインドの9回に1アウト満塁のチャンスで鄭大炫から併殺打を打ち、キューバは韓国に敗北、銀メダルに終わった。

2009年3月に、第2回WBCのキューバ代表に選出され[6]2大会連続2度目の選出となった。

2012年7月に開催された第26回ハーレムベースボールウィークのキューバ代表に選出された。この大会では、出塁率.500を記録、MVPに選ばれた。11月6日には、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」のキューバ代表が発表され[7]代表入りした[8]。同日、台湾で行われたサンダーシリーズのため来台した[9]。サンダーシリーズ終了後の、14日に来日した[10]

2013年3月に、第3回WBCのキューバ代表に選出され[11]3大会連続3度目の選出となった。この大会では、オランダとの決勝ラウンド進出決定戦で最終回の表に盗塁走塁ミスを二回繰り返しビクトル・メサ監督に激怒され、裏にエラーをしてそのランナーがホームをふむなど、大会打率.280の不振で終えた。チームはオランダに敗れ、決勝ラウンド進出を逃した。また、国内リーグでは、所属チームをサンクティ・スピリトゥスからレオネス・デ・インダストリアレスに変更している。

2014年2月4日には、MLB.comの取材に対して、「12年間キューバでプレーしてきたが、今は国外でプレーしたい」との意向を示した[12]

キューバ国外移籍解禁後

2014年5月13日に、NPB横浜DeNAベイスターズへの入団が発表された[13]。前年末にDeNAの球団社長の池田純がキューバを視察した際に、同国の球界関係者から「優秀な選手を日本に出したい」という意向を明かされたことを背景に、国外でのプレーを望むグリエルの獲得交渉に着手したという[14]。また、キューバ代表監督のビクトル・メサとDeNA監督の中畑清が似たタイプだと聞いて頭を抱えるということが報道された[15]

5月31日に来日[16]6月2日に入団記者会見を行い、日本球界へ挑戦する理由に「キューバで長年プレーを続けているうちに、相手投手の配球を読むことの難しさが薄れてきたこと」を挙げたうえで、「横浜DeNAを初めてのクライマックスシリーズ進出に必ず導きます。信じて下さい」と述べている[17]。また、ユニフォームの背ネームは本来の英語表記からOをとった「GURRIEL」。6月3日からは、実戦での調整を目的に、2日続けてイースタン・リーグ埼玉西武ライオンズ戦で先発出場。3番指名打者で出場した3日の試合で、4回裏の第2打席で中崎雄太から来日初本塁打を放った[18]6月6日に来日後初の一軍出場登録[19]6月8日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(横浜スタジアム)に3番三塁手で一軍初出場、3回裏の第2打席で初安打を放ち、3打席連続安打で猛打賞を記録した[20]6月11日オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では、6回表の第3打席で適時打を放って一軍初打点を挙げると、8回表の第4打席で佐藤達也からバックスクリーン左へ一軍初本塁打を記録した[21]

2015年3月19日、キューバ国内リーグで所属するインダストリアレスがプレーオフ準決勝進出を逃したため、2015年3月27日東京ドームでの開幕戦(対読売ジャイアンツ)までに、この年から同じくDeNAと契約した弟のルルデス・ジュニアとともにチームへ合流できるとの報道が出た[22]。しかし、左腿裏痛の治療をキューバ国内で行うため、兄弟そろって来日が延期になった(弟のユニエルキスは左手首痛)。これに対し、DeNAは日本国内での治療のため、診断書の提出と来日を要求したが、診断書を含めてキューバ政府から明確な返答がなく、球団職員が話し合いのために現地入りするなど均衡状態が続いていた。4月2日高田繁GMが契約違反のため契約を解除したと発表した[23]。キューバ政府もこれを了承したため、正式に退団が確定した。なお、ルルデス・ジュニアについては、制限選手としての処分にとどまった[24]。2015年度、最初の自由契約選手となった[25]。11月にはWBSCプレミア12キューバ代表として出場。

2016年2月にはシエゴ・デ・アビラの補強選手としてカリビアンシリーズに出場。準決勝で敗退後に、弟のルルデス・ジュニアと共に開催国のドミニカ共和国内からハイチへ亡命した[26]。三兄弟の長男のユニエスキはカリビアンシリーズに出場していないためキューバ国内に留まっており、「カリビアンシリーズでの最後の試合の後に2人と連絡が取れなくなった。それまでは毎晩連絡を取りあっていたのに。私達もみんなと同じニュースで亡命を知り、2人のことは何もわからない」と語っている[27]

アストロズ時代

2016年7月16日ヒューストン・アストロズと総額4750万ドルの5年契約を結んだことが発表された[28][29]。マイナー(AA級コーパスクリスティ・フックス、AAA級フレズノ・グリズリーズ)での調整を経て、8月21日にメジャー昇格し、同日のボルチモア・オリオールズ戦で6番・指名打者で先発出場して初打席で初安打を放った(2打数1安打1四球)[30]

選手としての特徴

打撃

バッティングフォーム

21歳の時に、MLBのスカウトからは「もしドラフトで指名されるならば1巡目だ」と評価されている[31]

打球のほとんどが左方向に飛ぶプルヒッター[32]。長打力に定評がある[33]

守備

地肩の強い内野手[33]。キューバ国内リーグでは三塁手としてプレー。代表では当初は二塁手だったが、2004年頃から代表でも主に三塁を守るようになった。DeNAへの入団が決まった際には遊撃手としての起用も想定された[34]。入団当初に出場したセ・パ交流戦では、指名打者を採用しなかったパ・リーグ球団主催試合で、石川雄洋に遊撃や外野を守らせることを条件に二塁手として起用されていた[35]。一塁を守っていた主砲のトニ・ブランコが故障で戦線を離れた交流戦の後半(6月中旬)からは、レギュラー三塁手のアーロム・バルディリスを一塁や代打に起用する一方で、もっぱら三塁手として出場した。DELTA社算出のUZRでは、2014年は二塁手では289イニングでUZR-2.6、三塁手では228イニングでUZR-4.8を喫した[36]

人物

ニックネームは「ユリー(Yuly)[37]、DeNA時代には主にDeNAファンを中心に応援等で「ユーリ」と呼ばれていた[38]。なお、ユリエスキ自身は来日時の会見で「あだ名はあまりなかったが、キューバでは「ユリー」と呼ばれていたのでそのように呼んでほしい」とコメントしていた[39]

ホセ・コントレラスホセ・アブレイユらと同じくキューバ人特有の飛行機嫌いとして知られる[40]。DeNA時代の2014年7月7日には、沖縄県平成26年台風第8号が接近する状況での飛行機移動に対する不安を理由に読売ジャイアンツとの2連戦(沖縄セルラースタジアム那覇)に向けた遠征への参加を見合わせた。その後に病院で検査を受けたところ、飛行機恐怖症と診断された[41]

日本食が苦手。2013年WBCへの出場で来日した際には、2週間で5kgも体重が落ちたという[42]。また、トマト以外の野菜も食べられないことから、DeNAではグリエルのためにキューバ風の献立を特別に用意していた[43]。好物はパイナップル

キューバに野球用具を送るというプロジェクト「ペロタDEアニモ」を主催するホリプロのタレントのSHEILAとは友人であり、彼女を通して、BEN社のグローブや当時西武に所属していた中島裕之のバットをもらい愛用していた。

家族

野球一家であり、実父のルルデスは、いすゞ自動車硬式野球部などの社会人野球でのプレー経験を通じて日本の野球事情やプレースタイルを熟知していることを背景に、ユリエスキのDeNA入団を後押ししたとされる[34]

ユリエスキは三人兄弟の真ん中で、兄弟はいずれも野球選手であり、弟のルルデス・ジュニアも2015年にDeNAと契約。二つ年上の兄のユニエスキも2014年からカナディアン・アメリカン・リーグケベック・キャピタルズへ派遣されている[44]

また、叔父のルイス・エンリケ・グリエル[45]、大叔父のホセ・デルガド、いとこのヨアンニ・デルガドも野球選手である。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001-2002 SSP 87 376 353 59 106 26 5 7 163 50 7 6 4 6 8 1 5 33 3 .300 .320 .462 .781
2002-2003 90 385 333 57 97 20 4 16 173 65 12 3 0 3 45 7 4 41 5 .291 .379 .520 .899
2003-2004 55 241 215 49 77 14 7 9 132 42 7 3 0 2 19 0 5 25 4 .358 .419 .614 1.033
2004-2005 89 411 370 80 126 16 7 23 225 86 11 1 0 6 29 5 6 47 10 .341 .392 .608 1.000
2005-2006 90 413 349 89 114 19 11 27 236 92 21 4 0 6 51 11 7 30 3 .327 .416 .676 1.093
2006-2007 88 410 348 65 120 28 0 13 187 46 12 5 0 1 50 13 11 23 13 .345 .441 .537 .979
2007-2008 79 359 295 68 89 14 1 22 171 71 3 0 0 7 48 11 9 20 15 .302 .407 .580 .986
2008-2009 84 381 328 77 131 22 7 22 233 90 11 5 0 4 48 12 1 23 14 .399 .472 .710 1.183
2009-2010 89 407 344 90 125 17 2 30 236 105 5 4 0 3 54 12 6 29 11 .363 .455 .686 1.141
2010-2011 87 390 327 74 111 21 2 20 196 81 3 0 0 4 48 9 11 17 12 .339 .436 .599 1.035
2011-2012 89 396 321 58 104 18 0 22 188 85 14 4 0 7 61 19 7 34 10 .324 .434 .586 1.020
2012-2013 79 333 280 51 91 18 3 8 139 52 8 5 0 3 44 13 6 20 5 .325 .423 .496 .920
2013-2014 IND 81 361 297 63 93 21 3 16 168 69 10 8 1 3 54 12 6 31 7 .313 .425 .566 .991
2014-2015 49 206 175 40 60 18 1 7 101 35 11 2 0 2 27 6 2 18 6 .343 .432 .577 1.009
2014 DeNA 62 258 239 46 73 22 0 11 128 30 3 0 0 2 15 0 2 40 4 .305 .349 .536 .884
CNS:14年  1136 5069 4335 920 1444 272 53 242 2548 969 135 50 5 57 586 131 86 391 118 .333 .418 .588 1.006
NPB:1年 62 258 239 46 73 22 0 11 128 30 3 0 0 2 15 0 2 40 4 .305 .349 .536 .884
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • キューバで通常用いられる個人通算成績はプレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない

記録

NPB

背番号

  • 10 (2014年 - )

代表歴

脚注

  1. ^ キューバシリーズ 2005-2006 ペナントレースの終了、並びにプレーオフ開始、及び個人タイトルについて」 『日本野球連盟』、2006年4月26日。2007年7月29日閲覧。
  2. ^ 2006 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月15日閲覧
  3. ^ 第46回キューバリーグ(06-07シーズン) プレーオフ」 『日本野球連盟』、2007年3月26日。2007年7月29日閲覧。
  4. ^ ESPN.com news services, "Report: Cuban baseball players defect in Colombia," ESPN.com, July 28, 2006. 2007年7月29日閲覧。
  5. ^ Enrique Rojas, "Cuban star Gourriel has no interest in deserting," ESPN.com, August 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。
  6. ^ 2009 Tournament Roster WBC公式サイト英語 2015年3月15日閲覧
  7. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧
  8. ^ キューバ代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧
  9. ^ Cuba arrives for Thunder Series in Taichung and Taoyuan IBAF公式サイト 英語 (2012年11月7日) 2015年4月19日閲覧
  10. ^ キューバ代表来日 MLB関係者も熱視線 スポニチアネックス (2012年11月15日) 2015年4月19日閲覧
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関連項目

外部リンク