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玄関ホールは東の並びにあり、レオーニによって改装された。玄関ホールは左右非対称で、巨大な付け柱と3本のフルーティングを施した円柱の仕切りがある。中庭への出入口にはオープンペディメントがある。壁にとめた絵を開くと、玄関ホールに向いたスキントが見えるようになっている{{sfn|Hartwell|Hyde|Hubbard|Pevsner|2011|pp=440–446}}。さらに玄関ホールには、1623年と1636年の間にモートレイクで織って作られた[[タペストリー]]がある。タペストリーは本来ベルグレイヴ・スクエアにあるレグ家のロンドンの家にあり、1903年にライムに移された。タペストリーを家にあわせるために、内装装飾者のアマディ・ヨーベルトはタバナクルの移動を含め、付け柱の4本を切る手直しをした{{sfn|Waterson|1973|pp=12–13}}。玄関ホールの南は図書館へ、東はワイアットの食堂へ繋がり、17世紀後半の様式の[[化粧しっくい]]の天井と彫刻を施した炉棚上の飾りがある。玄関ホールの装飾は珍しいクリストファー・レンのリバイバル様式の初期の例としてみなされる{{sfn|Hartwell|Hyde|Hubbard|Pevsner|2011|pp=440–446}}。 |
玄関ホールは東の並びにあり、レオーニによって改装された。玄関ホールは左右非対称で、巨大な付け柱と3本のフルーティングを施した円柱の仕切りがある。中庭への出入口にはオープンペディメントがある。壁にとめた絵を開くと、玄関ホールに向いたスキントが見えるようになっている{{sfn|Hartwell|Hyde|Hubbard|Pevsner|2011|pp=440–446}}。さらに玄関ホールには、1623年と1636年の間にモートレイクで織って作られた[[タペストリー]]がある。タペストリーは本来ベルグレイヴ・スクエアにあるレグ家のロンドンの家にあり、1903年にライムに移された。タペストリーを家にあわせるために、内装装飾者のアマディ・ヨーベルトはタバナクルの移動を含め、付け柱の4本を切る手直しをした{{sfn|Waterson|1973|pp=12–13}}。玄関ホールの南は図書館へ、東はワイアットの食堂へ繋がり、17世紀後半の様式の[[化粧しっくい]]の天井と彫刻を施した炉棚上の飾りがある。玄関ホールの装飾は珍しいクリストファー・レンのリバイバル様式の初期の例としてみなされる{{sfn|Hartwell|Hyde|Hubbard|Pevsner|2011|pp=440–446}}。 |
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主要なエリザベス朝様式の部屋が2つあり、客間とスタッグ・パーラーになっている。部屋としては、1階にストーン・パーラーがあり、東の並びの最上階にはロング・ギャラリーがある。ロング・ギャラリーにはまた、エリザベス1世の |
主要なエリザベス朝様式の部屋が2つあり、客間とスタッグ・パーラーになっている。部屋としては、1階にストーン・パーラーがあり、東の並びの最上階にはロング・ギャラリーがある。ロング・ギャラリーにはまた、エリザベス1世の腕金がついたマントルピースがある。大階段はレオーニによる改装が始まり<!-- date fromの訳語に難あり。 -->、バロック建築の天井になった{{sfn|Hartwell|Hyde|Hubbard|Pevsner|2011|pp=440–446}}。大広間は柱廊玄関の裏側の南の並びの2階にある{{sfn|Waterson|1973|p=4}}。大広間の天井は[[ロココ建築]]で装飾されており{{sfn|Waterson|1973|p=17}} 、部屋には[[グリンリング・ギボンズ]]の作品と考えられている木製の彫刻作品がある<ref name=images/>。礼拝堂は1階の北東の角にあり、また細やかな技を施した彫刻作品がある{{sfn|Hartwell|Hyde|Hubbard|Pevsner|2011|pp=440–446}}。 |
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===ライム・カクストン・ミサ典書=== |
===ライム・カクストン・ミサ典書=== |
2016年10月14日 (金) 05:08時点における版
ライム・パーク | |
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南の芝生と池が見える邸宅の南側 | |
所在地 | イギリス、チェシャー州、ディズリー |
座標 | 北緯53度20分17秒 西経2度03分17秒 / 北緯53.3381度 西経2.0548度座標: 北緯53度20分17秒 西経2度03分17秒 / 北緯53.3381度 西経2.0548度 |
英式座標 | SJ 964 823 |
建設 | 16世紀、1720年代 |
建築家 | ジャコモ・レオーニ |
建築様式 | エリザベス朝様式、パッラーディオ建築、バロック建築 |
指定建築物 – 等級 I | |
登録日 | 1983年11月17日 |
登録コード | 406869 |
ライム・パーク(英語: Lyme Park)は、チェシャー州ディズリーの南に位置する大きい屋敷である。ライム・パークはナショナル・トラストによって管理され、ピーク・ディストリクト国立公園のディアパークの幾何学的配置庭園に囲まれた邸宅から成り立つ[1]。 屋敷はチェシャー州で最も大きく[2]、グレード1に指定された重要文化財建築物として、イギリスの国家遺産リストに登録されている[3]。
屋敷は1346年にトーマス・デイニアーズ卿に譲渡され、結婚によって1388年にライムのレグ一族に渡った。 屋敷はナショナル・トラストに寄付された1946年まで、レグ家の所有であった。
歴史
現在ライム・パークによって占められる土地は、勅許に日付のある1398年1月4日に、 エドワード黒太子の息子リチャード2世によってピアース・レグと彼の妻マーガレット・デイニアーズに付与された。マーガレット・デイニアーズの祖父トーマス・デイニアーズ卿は、1346年のクレシーの戦いでエドワード黒太子の軍旗の挽回に参加した。そして、エドワード黒太子のチェシャの地所から入ってくる収入により年40マークの年金が与えられたが、この年金はエドワード黒太子が所有する同額の価値がある地所と交換できることになっていた。サー・トーマス卿は1354年に死に、年金は彼の最も近い存命の血縁者である彼の孫マーガレットに渡された。マーガレットは、1388年にピアース・レグ1世と結婚した。リチャード2世はピアース夫妻を気に入り、1397年に彼の家族に紋章を与え、1398年に年金の交換によりライム・ハンドリーの地所がピアーズ夫妻のものとなった。しかしピアース夫妻は、2年後リチャード2世が王位を争うライバル、ヘンリー・ボリングブルックによって処刑された[4]。
1415年にピアース・レグ2世がアジャンクールの戦いで負傷したとき、彼のマスチフは傍に立って見下ろし、戦いの間中何時間も彼を守った。マスチフは後にレグの家に戻り、ライム・ホール・マスチフの礎となった。ライム・ホール・マスチフは大広間で飼育され、他の血統から隔離された。そして、ライム・ホールマスチフは現代のイングリッシュ・マスティフの品種を築く上で非常に顕著な役割を果たした。種族は20世紀初頭頃に絶滅した[5][6]。
敷地上の屋敷の最初の記録は、1465年付けの二つ折りの手書きの本の中である。しかし16世紀の中頃、ピアース・レグ7世の人生の間に現在の建物の建設が始まった時、最初の屋敷が壊された[7]。 このデザイナー不明の屋敷は、東と北の並びでL字型という設計で、部分的な増築は17世紀中頃に行われた。1720年代にヴェネツィアから来た建築家ジャコモ・レオーニは、中庭の設計も含めて南の並びを加え他を改装した[3]。彼は屋敷のエリザベス朝様式の特徴のいくつかを保持した一方で、彼の改装の多くはパッラーディオ建築とバロック様式の混合であった[2]。18世紀後半を通して、 ピアース・レグ8世は今日の屋敷にある家具の大多数を購入した。しかしレグ家の財産は減少し、屋敷は荒廃し始めた。19世紀初頭、地所はトーマス・レグによって所有され、彼はルイス・ワイアットに1816年から1822年の間家屋を修復する権限を与えた。ワイアットの修復は主に内装であり、彼は全ての部屋を改築した[8]。レオーニは丸天井を南の並びに加えるつもりであったが、これは一度も実現されなかった[9]。その代わりに、ワイアットは使用人たちのための寝室を備え付けるために塔状構造物(「四角かご」と呼ばれる部分)を加えた。彼はまた、食堂が入っている1階建ての塔を東の並びに加えた[2]。 世紀後半に、ニュートン男爵1世であるウィリアム・レグは、地所に馬小屋と他の建造物を加えオランダ式庭園を造った[8]。さらなる修正は、20世紀初頭の間にニュートン男爵2世であるトーマス・レグと彼の妻によって庭に造られた[10]。1946年にニュートン男爵3世であるリチャード・レグは、ナショナル・トラストにライム・パークを寄付した[11]。
家屋
外観
ライム・パークは、丸い中庭の設計の全体が130フィート(40m)から190フィート (58 m)の広さがあり、チェシャー州で最も大きい。古い部分は砂岩の化粧石材のはいった四角い黄褐色の砂岩の粗石の段で囲まれている。屋敷全体がウェールズ粘板岩の屋根で覆われている。左右対称の北壁は3階建てで15本の柱間があり、中心の柱間はわずかに突き出た入口から成り立っている。この柱間にあるアーチ型の出入り口には、両側にニッチがついたド―リス地方の円柱がある。出入り口の上方にはペディメントが付いたド―リス地方の円柱が3本以上あり、円柱の上方に3本の追加的な円柱がある。全ての円柱の上にミネルウァの像を有するオープンペディメントが付いた4本の追加的な円柱がある。建築学の歴史家ニコラウス・ペヴズナーは、この入口について「最も気が狂ったエリザベス朝様式の正面」と言及した[12]。
内装
玄関ホールは東の並びにあり、レオーニによって改装された。玄関ホールは左右非対称で、巨大な付け柱と3本のフルーティングを施した円柱の仕切りがある。中庭への出入口にはオープンペディメントがある。壁にとめた絵を開くと、玄関ホールに向いたスキントが見えるようになっている[2]。さらに玄関ホールには、1623年と1636年の間にモートレイクで織って作られたタペストリーがある。タペストリーは本来ベルグレイヴ・スクエアにあるレグ家のロンドンの家にあり、1903年にライムに移された。タペストリーを家にあわせるために、内装装飾者のアマディ・ヨーベルトはタバナクルの移動を含め、付け柱の4本を切る手直しをした[13]。玄関ホールの南は図書館へ、東はワイアットの食堂へ繋がり、17世紀後半の様式の化粧しっくいの天井と彫刻を施した炉棚上の飾りがある。玄関ホールの装飾は珍しいクリストファー・レンのリバイバル様式の初期の例としてみなされる[2]。
主要なエリザベス朝様式の部屋が2つあり、客間とスタッグ・パーラーになっている。部屋としては、1階にストーン・パーラーがあり、東の並びの最上階にはロング・ギャラリーがある。ロング・ギャラリーにはまた、エリザベス1世の腕金がついたマントルピースがある。大階段はレオーニによる改装が始まり、バロック建築の天井になった[2]。大広間は柱廊玄関の裏側の南の並びの2階にある[14]。大広間の天井はロココ建築で装飾されており[15] 、部屋にはグリンリング・ギボンズの作品と考えられている木製の彫刻作品がある[3]。礼拝堂は1階の北東の角にあり、また細やかな技を施した彫刻作品がある[2]。
ライム・カクストン・ミサ典書
ライム・カクストン・ミサ典書は、少なくとも1508年からレグ家によって所有されてきた。ライム・カクストン・ミサ典書は、まだ存在しているセーラム式典礼によれば、ミサ典書の初期版のほぼ完璧な複写として唯一知られている。レグ家が1946年に屋敷から越してきた時ミサ典書も一緒に持ってきて、マンチェスターのジョン・ライランズ図書館に保管されていた。2000年代後半にナショナル・トラストはライム・カクストン・ミサ典書を手に入れ、ライム・パークへ返却することに決めた。この図書館の内装を賛美することは、19世紀の間までの様式に復元された。この復元は、図書館の天井の木目模様再現、室内装飾品とカーテン用のベルベットの再生産、さらには当初の設計に基づいた部屋の複写の壁紙の張り直しを含めたものであった[16]。
敷地
ライム・パークは、ナショナルレジスターオブヒストリックパークスアンドガーデンズに2等級と載せられている、約550ヘクタール (1,359エーカー)のディアパークの中にある6ヘクタール (15エーカー)の整然とした庭園に囲まれている[17][18]。庭園とディアパークには多くの建造物がある。
庭園
屋敷の西側は初期の水車用貯水池である。芝生の南側から、暇つぶしとして石の橋がある小さい峡谷の向こうのもう1つの池の方に坂になる。芝生の西側は周囲より低いオランダ式庭園であり、ウィリアム・レグによって造られた。オランダ式庭園は、中央にある泉がある整然とした整形式庭園から成り立っている。オレンジ温室栽培園の西、南、東側にはさらに整形式庭園があり、バラ園も含んでいる[10]。
ディアパーク
ディアパークは14世紀にピアーズ・レグ1世によって囲い込みが行われた。17世紀に、リチャード・レグはアメリカスズカケノキとライムの木を並木道に植えた。リチャードの息子ピーター・レグ7世は公園内でより広大な緑化を実行し、現代のような外観になった[10]。
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「ケージ」と呼ばれる塔が見えるディアパークの一部
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景色を見るためのベルヴェデーレ、通称「ランタン」
現代
ライム・パークはナショナル・トラストによって所有され、行政管理されている。庭園や公園を含む屋敷は宣伝された時間に公開される[19]。
ライム・パークとその大広間は、いくつかの映画やテレビ番組で使用されている。大広間の外観は、ジェーン・オースティンの小説「高慢と偏見」の1995年BBC製作のテレビドラマ『高慢と偏見』でダーシー氏の屋敷であるペンバリーとして使用された[10]。
脚注
- ^ The Peak District: Dark Peak area. Outdoor Leisure map 1, Ordnance Survey
- ^ a b c d e f g Hartwell et al. 2011, pp. 440–446.
- ^ a b c Historic England, "Lyme Park, Lyme Handley (1231685)", National Heritage List for England (英語), 2012年8月4日閲覧。
- ^ Waterson 1973, p. 5.
- ^ A brief history of the Mastiff, Mastiff Association 5 August 2012閲覧。
- ^ Mastiff History, Rockport Mastiffs 5 August 2012閲覧。
- ^ Waterson 1973, p. 9.
- ^ a b Lyme Park, The Heritage Trail 30 October 2008閲覧。
- ^ Waterson 1973, p. 11.
- ^ a b c d Groves 2004, pp. 50–57.
- ^ Bilsborough 1983, pp. 123–124.
- ^ Pevsner & Hubbard 2003, p. 259.
- ^ Waterson 1973, pp. 12–13.
- ^ Waterson 1973, p. 4.
- ^ Waterson 1973, p. 17.
- ^ Turning the pages of history, Heritage Lottery Fund, (24 July 2009) 23 January 2010閲覧。
- ^ “U.K. Database of Historic Parks and Gardens: Lyme Park”. Parks & Gardens Data Services. 27 January 2010閲覧。
- ^ Historic England, "Lyme Park (1000642)", National Heritage List for England (英語), 2012年8月5日閲覧。
- ^ Lyme Park, National Trust 5 August 2012閲覧。
参考文献
- Beard, Geoffrey (1966), Georgian Craftsmen and Their Work, Country Life
- Bilsborough, Norman (1983), The Treasures of Cheshire, Manchester: North West Civic Trust, ISBN 0-901347-35-3
- Groves, Linden (2004), Historic Parks & Gardens of Cheshire, Ashbourne: Landmark, ISBN 1-84306-124-4
- Hartwell, Claire; Hyde, Matthew; Hubbard, Edward; Pevsner, Nikolaus (2011) [1971], Cheshire, The Buildings of England, New Haven and London: Yale University Press, ISBN 978-0-300-17043-6
- Pevsner, Nikolaus; Hubbard, Edward (2003) [1971], Cheshire, The Buildings of England, New Haven and London: Yale University Press, ISBN 0-300-09588-0
- Waterson, Merlin (1973), Lyme Park, National Trust
参考文献
- Newton, Lady (1917), The House of Lyme: From Its Foundation to the End of the Eighteenth Century, New York: G. P. Putnam's Sons
- Newton, Lady (1925), Lyme Letters 1660–1760, London: William Heinemann
- Rothwell, James (1998), Lyme Park. National Trust.
外部リンク
- Lyme Park – official site at National Trust
- Lyme Park as Pemberley in Pride and Prejudice
- Lyme Park – a Gardens Guide review
- 360° view of the south front of the hall
- Lyme Park (Discovercheshire website)
- Information about the stained glass from the Corpus Vitrearum Medii Aevi (CVMA) of Great Britain
- Aerial view of the house
- Aerial view of the gardens