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2016年11月20日 (日) 21:02時点における版
フォー・セインツ | |
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別名 | フォー・クローバース |
出身地 |
![]() |
ジャンル | フォークソング |
活動期間 |
1968年 - 1973年 2006年 - |
レーベル |
エキスプレス/東芝音楽工業 Kit/日本コロムビア ユニバーサルミュージック |
メンバー |
上原徹(ボーカル、ギター) 志賀正浩(ベース) |
旧メンバー |
加賀一兄(ピアノ) 荒木しげる(ドラムス) ダニー石尾(ボーカル、バンジョー、ギター) |
フォー・セインツは、1968年から1972年に活動し、2006年に活動を再開した日本のフォークグループ。
概要
1960年代後半に一世を風靡したカレッジ・フォーク・グループの草分け的存在。成蹊高等学校の文化祭で結成された。ラジオ番組『フォーク・ビレッジ』で実力派として注目され、1968年のデビュー・シングル「小さな日記」が20万枚[1]の大ヒット。しかし直後に加賀一兄が脱退。
後に、レコード会社の移籍に伴い、フォー・クローバースと改名するが、1973年に解散。 のちにメンバーであった荒木生徳は、荒木しげるとして俳優に転身した。
2006年、NHK BS-2「BSまるごと日本のフォーク&ロック大全集」にて33年ぶりにメンバーが集まり、「小さな日記」「希望」を披露。翌年11月にはデビュー40周年を迎えたことをきっかけに、東京・六本木のライブハウスでコンサートを開催。そして2008年には新曲「この街で」をリリースし、本格的に再結成を果たす。2010年1月には、ミニアルバム・「共に見し夢を 〜『仰げば尊し〜』より」をリリースした。
メンバー
元メンバー
- 加賀一兄(ピアノ)
- 荒木しげる(ドラムス) - 第1期は荒木生徳名義で活動。解散後は俳優に転身。2012年4月14日没。
- ダニー石尾(ボーカル、バンジョー、ギター)- その後も活動を続け、1993年のJリーグ発足から鹿島アントラーズのホームゲームのスタジアムDJを2013年まで務めた。2014年4月15日没。
楽曲
- 小さな日記 (1968.10.10) - デビュー曲。5人時代唯一のシングル。
- c/w ふりかえらないで
- 希望 (1969.5.1) - 翌1970年、岸洋子がカバーして大ヒット(元々のオリジナルは倍賞千恵子)。
- c/w お前だけはギター
- 涙の手紙 (1970.1)
- c/w 嵐の丘に立つとき
- この道は暗いけど (1970.11)
- c/w 夕陽と少年
- 僕たちの夢 (1971.6) - このシングルからフォー・クローバーズへ改称。
- c/w 少女
- 黙示録 (1971.9)
- c/w 明日になれば
- あなたへの讃歌 (1972.1)
- c/w 赤いアネモネ
- 冬物語 (1972.10.10)
- c/w 時のいたずら
- 悲しい童話 (1972.4)
- c/w ぼく
- ツバメの自由を求めて (1973.6)
- c/w 風に聞いてごらん
- 異人館 (1974.6)
- この街で(2008.5.7)
- c/w 小さな日記
- 愛する君へのひとりごと(2010.10.27)
- c/w いつしか逢わんや ~「蛍の光」より~
- たまには仲間で(with 松坂慶子、2015.10.14)
- c/w 子供らよ
テレビ出演
脚注
- ^ 富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、49頁。ISBN 978-4-636-82548-0