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「学校週5日制」の版間の差分

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* [[1975年]]2月 - 日本教職員組合が「学校五日制の展望にたった『隔週学校五日制』具体化のための試案」(草案)を発表。
* [[1975年]]2月 - 日本教職員組合が「学校五日制の展望にたった『隔週学校五日制』具体化のための試案」(草案)を発表。
* 中曽根政権が設置した[[臨時教育審議会]]は[[1986年]][[4月]]の第2次答申、[[1987年]]4月の第3次答申、1987年[[8月]]の第4次最終答申において、学校週5日制への移行を検討するよう提言したが、改正学習指導要領に学校週5日制が盛り込まれることはなかった。
* 中曽根政権が設置した[[臨時教育審議会]]は[[1986年]][[4月]]の第2次答申、[[1987年]]4月の第3次答申、1987年[[8月]]の第4次最終答申において、学校週5日制への移行を検討するよう提言したが、改正学習指導要領に学校週5日制が盛り込まれることはなかった。
* 1980年代後半、日本は[[経済協力開発機構|OECD]]や[[国際労働機関|ILO]](条約第47号「[http://www.oit.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/st_c047.htm 労働時間を1週40時間に短縮することに関する条約]」:日本未批准)などの国際機関欧米諸国から「労働者の労働時間を短縮するべき」という圧力をかけられていた。政府は1800労働時間<ref>経済企画庁総合計画局 (編集)『1800労働時間社会の創造-時短が変える、時短で変える、経済・意識・生活』大蔵省印刷局 、1989(ISBN 978-4172347002)</ref>を実現するために、1992年4月に国家公務員の給与法を改正し、同年5日1日から国家公務員について週5日労働(完全週休2日制)を実施、すべての行政機関において土曜日を休日とした。また政府は地方自治法を改正し、地方自治体に関係条例等について改正を求め、地方公務員についても週5日労働(完全週休2日制)が実施されることとなった。
* 1980年代後半、日本は[[貿易摩擦]]を起こしていたことにより、[[経済協力開発機構|OECD]]や[[国際労働機関|ILO]](条約第47号「[http://www.oit.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/st_c047.htm 労働時間を1週40時間に短縮することに関する条約]」:日本未批准)などの国際機関にとどまらず欧米諸国からも「日本人は働きすぎ」「労働者の労働時間を短縮するべき」という圧力をかけられていた。政府は1800労働時間<ref>経済企画庁総合計画局 (編集)『1800労働時間社会の創造-時短が変える、時短で変える、経済・意識・生活』大蔵省印刷局 、1989(ISBN 978-4172347002)</ref>を実現するために、1992年4月に国家公務員の給与法を改正し、同年5日1日から国家公務員について週5日労働(完全週休2日制)を実施、すべての行政機関において土曜日を休日とした。また政府は地方自治法を改正し、地方自治体に関係条例等について改正を求め、地方公務員についても週5日労働(完全週休2日制)が実施されることとなった。
* しかし文部省は、公立学校については例外的に、1992年9月から実施される学校週五日制の第二土曜日を除き、閉庁の対象とせず、事務の全部を行うものとすると通知した<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19920501001/t19920501001.html 公立学校の教職員の完全週休二日制の実施等について]</ref>。[[藤田英典]]は、学校で週5日制が導入された背景には1980年代の労働時間短縮をめぐる政治的動向があったと指摘し、「学校週5日制論が出てきたのは、教育上の理由ではなかった」と述べている<ref>藤田英典/大内裕和(聞き手)「学力とゆとりの構造的矛盾 変わりゆく教育現場」『現代思想』2008年4月 vol.36-4、青土社、79頁(ISBN 978-4791711789)</ref>。このように学校週5日制導入の経緯に関しては、ゆとり教育とまったく関係がなく、文部省が後付けでゆとり教育の一環とすることで学校週5日制の正当化を試みた可能性が指摘されている。
* しかし文部省は、公立学校については例外的に、1992年9月から実施される学校週五日制の第二土曜日を除き、閉庁の対象とせず、事務の全部を行うものとすると通知した<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19920501001/t19920501001.html 公立学校の教職員の完全週休二日制の実施等について]</ref>。[[藤田英典]]は、学校で週5日制が導入された背景には1980年代の労働時間短縮をめぐる政治的動向があったと指摘し、「学校週5日制論が出てきたのは、教育上の理由ではなかった」と述べている<ref>藤田英典/大内裕和(聞き手)「学力とゆとりの構造的矛盾 変わりゆく教育現場」『現代思想』2008年4月 vol.36-4、青土社、79頁(ISBN 978-4791711789)</ref>。このように学校週5日制導入の経緯に関しては、ゆとり教育とまったく関係がなく、文部省が後付けでゆとり教育の一環とすることで学校週5日制の正当化を試みた可能性が指摘されている。
* 国立大学の附属小・中学校では、同地域の他校に先行して第二、第四土曜休の先行実施を行い、他校が第二、第四土曜休としたところで完全週休2日制を実施し、教育指導要領の達成率や学力レベル、休日の過ごし方などが研究対象となった。
* 国立大学の附属小・中学校では、同地域の他校に先行して第二、第四土曜休の先行実施を行い、他校が第二、第四土曜休としたところで完全週休2日制を実施し、教育指導要領の達成率や学力レベル、休日の過ごし方などが研究対象となった。

2016年12月1日 (木) 18:07時点における版

学校週5日制(がっこうしゅういつかせい)とは、土曜日日曜日学校休業日とすることで、世界的に広く実施されている制度である。学校週休2日制(がっこうしゅうきゅうふつかせい)とも呼ばれる。

学校週5日制の経緯

占領下の週5日制

熊本県における週5日制

  • 熊本県の場合、1949年4月から1951年5月まで(一部は1952年3月まで)施行された。アメリカ軍の指示も強制的な考えではなく、全部の県ではおこなわれなかった。その目的は子供の、ひいては日本人の自主制を育てること、社会が教育に参加することであったが、一つは教員の研修時間を確保することであった(米国ではキリスト教のため日曜はそれに使うという考えもあった)。熊本市立必由館高等学校の百年史によると、土曜はまるまる職員研修にあてようとの趣旨であった[1]
  • キリスト教系の九州女学院(現:ルーテル学院中学校・高等学校)では1949年4月から1952年3月まで行われた。カリキュラムの総授業時間数は変えなかったので、他の週日の時間数が増えたとある[2]
  • 生徒に土曜生活の日誌をつけさせた。その後、学力が劣るという反対意見もあった。1951年4月、熊本県中学校長会で反対意見があり、教育委員会も1951年5月後に廃止を可とした。戦後、米国教育の色々な教育プランがあったが、評論家の一人は結局詰め込み教育に戻ってしまったと評した[3]。当時教育委員であった福田令寿は、「5日制の評判は決してよくなかった。家庭からは家におっては子供なんかが勉強せず、ただ、遊ぶことに熱中しやすくて母の家事にじゃまになってしかたがないというような意見がだいぶでて、昭和27年に廃止になってしまった」と述べている[4]

戦後の学校週5日制への流れ

  • ILOは戦前1930年代から週40時間労働を達成するべき目標と設定していた。
  • 1972年 - 日本教職員組合の定期大会(秋田大会)で学校週5日制が提起され、書記局内に「学校5日制、週休2日制研究会」が設けられた。
  • 1973年 - 日本教職員組合の定期大会(前橋大会)において、「学校5日制・週休2日制」実現のための方針が提案された。同年、文部大臣奥野誠亮が学校週5日制に踏み切るという発言を行った。
  • 1975年2月 - 日本教職員組合が「学校五日制の展望にたった『隔週学校五日制』具体化のための試案」(草案)を発表。
  • 中曽根政権が設置した臨時教育審議会1986年4月の第2次答申、1987年4月の第3次答申、1987年8月の第4次最終答申において、学校週5日制への移行を検討するよう提言したが、改正学習指導要領に学校週5日制が盛り込まれることはなかった。
  • 1980年代後半、日本は貿易摩擦を起こしていたことにより、OECDILO(条約第47号「労働時間を1週40時間に短縮することに関する条約」:日本未批准)などの国際機関にとどまらず欧米諸国からも「日本人は働きすぎ」「労働者の労働時間を短縮するべき」という圧力をかけられていた。政府は1800労働時間[5]を実現するために、1992年4月に国家公務員の給与法を改正し、同年5日1日から国家公務員について週5日労働(完全週休2日制)を実施、すべての行政機関において土曜日を休日とした。また政府は地方自治法を改正し、地方自治体に関係条例等について改正を求め、地方公務員についても週5日労働(完全週休2日制)が実施されることとなった。
  • しかし文部省は、公立学校については例外的に、1992年9月から実施される学校週五日制の第二土曜日を除き、閉庁の対象とせず、事務の全部を行うものとすると通知した[6]藤田英典は、学校で週5日制が導入された背景には1980年代の労働時間短縮をめぐる政治的動向があったと指摘し、「学校週5日制論が出てきたのは、教育上の理由ではなかった」と述べている[7]。このように学校週5日制導入の経緯に関しては、ゆとり教育とまったく関係がなく、文部省が後付けでゆとり教育の一環とすることで学校週5日制の正当化を試みた可能性が指摘されている。
  • 国立大学の附属小・中学校では、同地域の他校に先行して第二、第四土曜休の先行実施を行い、他校が第二、第四土曜休としたところで完全週休2日制を実施し、教育指導要領の達成率や学力レベル、休日の過ごし方などが研究対象となった。

学校週5日制導入後

  • 1992年度 - 2001年度
    • 1992年9月12日から公立小中学校及び高等学校の多くで毎月第2土曜日が休業日になった[8]
    • 1995年4月22日からは第2土曜日に加え第4土曜日も休業日となった[8]
  • 2002年度以降
    • 2002年4月6日から公立小中学校及び高等学校の多くで毎週土曜日が休業日となり完全な週5日制となった[8]。さらに「学校教育法施行規則」を改定し、公立学校に対しては法的拘束力を 持たせた。
    • 2003年 - 2008年民主党は、マニフェストに学校5日制の見直しを盛り込んだ。安倍晋三政権では、安倍教育改革の一環として、学力向上のための授業時間数増加を図るために、長期休暇の短縮、一日の授業時間数の増加のほか、土曜日の補習を検討した。また、教育再生会議は、今後の検討課題として、学校週5日制の見直しを提言に盛り込んだ。しかし、結局学校週5日制は見直されることはなかった。
    • 2010年 - 東京都教育委員会では条件や制限付きで小中学校の土曜日の授業を認めた[9]。但し、2011年現在でも学校教育法施行規則の休業日の項が改定されたというわけではないため、基本的に公立学校は学校週5日制のままである。
    • 2012年 - 大阪市教委が、学力向上や地域との連携を図るため、11月17日から市立小5校で土曜授業を導入。大阪では土曜授業は約10年ぶりの復活となる。土曜授業は、2011年秋の市長選で橋下徹大阪市長が公約に掲げており、2013年度から市立小中学校全429校で実施。

実施状況

公立学校
2002年度以降、公立学校において学校週5日制となっているのだが、条件内であれば休業日の授業は容認されていた[10]。そのため、2005年に公立高校で20府県が土曜日の授業を公認していたりと[11]、完全に土日が休業日だったというわけではない。特に2011年度以降、脱ゆとり教育が実施され授業時間が増加することから、授業時間確保のために条件内での土曜日の授業の容認の動きが広がっている。
私立学校
私立学校においては、学校教育法施行規則(第六十二条)において、休業日は学校側で判断することになっているため、公立学校の動きと合わせて学校週5日制にした学校もあれば、していない学校もあり、1991年度以前のように週6日制を続けている学校も少なくない。

脚注

  1. ^ 熊本市立必由館高校[2012:299]
  2. ^ 九州女学院[1976:]
  3. ^ 熊本市教育委員会『熊本県戦後教育史 通史編 1』,1994,p209-219
  4. ^ 」福田令寿『百年史の証言』 熊本日日新聞社 1971 p370
  5. ^ 経済企画庁総合計画局 (編集)『1800労働時間社会の創造-時短が変える、時短で変える、経済・意識・生活』大蔵省印刷局 、1989(ISBN 978-4172347002
  6. ^ 公立学校の教職員の完全週休二日制の実施等について
  7. ^ 藤田英典/大内裕和(聞き手)「学力とゆとりの構造的矛盾 変わりゆく教育現場」『現代思想』2008年4月 vol.36-4、青土社、79頁(ISBN 978-4791711789
  8. ^ a b c 文部科学省 学校週5日制に関するこれまでの経緯
  9. ^ 毎日jp 東京都教委:小中学校の土曜授業容認 月2回上限、市区町村に通知へ
  10. ^ 土曜日の正規授業、全国に広がるか?”. Benesse. 2011年10月1日閲覧。
  11. ^ asahi.com 土曜授業、20府県公認 公立高、本社調査

参考文献

  • 熊本市教育委員会『熊本県戦後教育史 通史編 1』,1994,p209-219
  • 日教組学校五日制研究協力者会議・海老原治善 編著『学校五日制読本』エイデル研究所、1991年(ISBN 978-4871681506
  • 藤田英典『市民社会と教育-新時代の教育改革・私案』世織書房、2000年(ISBN 978-4906388820
  • 藤田英典/大内裕和(聞き手)「学力とゆとりの構造的矛盾 変わりゆく教育現場」『現代思想』2008年4月 vol.36-4、青土社(ISBN 978-4791711789
  • 九州女学院 『九州女学院の50年』1976, 九州女学院
  • 熊本市立必由館高等学校 『熊本市立必由館高等学校百年史(上)』2012

関連項目

外部リンク