「山崎郡」の版間の差分
m →外部リンク |
編集の要約なし |
||
45行目: | 45行目: | ||
その年の鈴鹿選手権125ccクラスでチャンピオンになった。翌年の2006年には関西の名門チームである、[http://www.rckoshien.co.jp/ ヒットマンRC甲子園ヤマハ]より全日本選手権250ccクラスに参戦。成績は2006年ランキング9位、2007年ランキング4位、2008年ランキング5位であった。 |
その年の鈴鹿選手権125ccクラスでチャンピオンになった。翌年の2006年には関西の名門チームである、[http://www.rckoshien.co.jp/ ヒットマンRC甲子園ヤマハ]より全日本選手権250ccクラスに参戦。成績は2006年ランキング9位、2007年ランキング4位、2008年ランキング5位であった。 |
||
鈴鹿選手権の時代に競い合った[[谷川祐一]](登録番号4594)がボートレーサーに転向。その活躍に刺激され、後を追いボートレーサーを目指した。学業の方もおろそかにすることなく[[大阪産業大学短期大学部]]自動車工業科を卒業後、[[関西大学]]総合情報学部に編入。在学中に[[やまと学校]]に合格(3回目)、一時休学していたがプロになった後、復学。レースをしながら大学に通い、2014年3月、無事に卒業した。 |
鈴鹿選手権の時代に競い合った[[谷川祐一]](登録番号4594)がボートレーサーに転向。その活躍に刺激され、後を追いボートレーサーを目指した。学業の方もおろそかにすることなく[[大阪産業大学短期大学部]]自動車工業科を卒業後、[[関西大学]][[総合情報学部]]に編入。在学中に[[やまと学校]]に合格(3回目)、一時休学していたがプロになった後、復学。レースをしながら大学に通い、2014年3月、無事に卒業した。 |
||
==関連項目== |
==関連項目== |
||
54行目: | 54行目: | ||
{{デフォルトソート:やまさき くん}} |
{{デフォルトソート:やまさき くん}} |
||
[[Category:競艇選手]] |
[[Category:競艇選手]] |
||
[[Category:関西大学出身の人物]] |
|||
[[Category:大阪府出身の人物]] |
[[Category:大阪府出身の人物]] |
||
[[Category:1989年生]] |
[[Category:1989年生]] |
2017年1月29日 (日) 06:11時点における版
山崎 郡(やまざき ぐん、1989年12月8日 - )は、大阪府出身のボートレーサー。
登録番号は4760。112期、大阪支部所属。師匠は丸岡正典。同期には松尾充、山田祐也、今泉友吾、馬場剛らがいる。身長167cm。A型。
2016年度準地元スター候補選手
山崎 郡 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1989年12月8日(34歳) |
身長 | 167.0cm |
体重 | 51.0kg |
血液型 | A型 |
選手情報 | |
所属 | 大阪支部 |
登録番号 | 4760 |
登録期 | 112期 |
選手実績 | |
デビュー日 | 2013年5月 |
主要獲得タイトル | |
|
経歴
2005年 鈴鹿選手権GP125 シリーズチャンピオン
2006年 全日本ロードレース選手権GP250 シリーズランキング9位
2007年 全日本ロードレース選手権GP250 シリーズランキング4位
2008年 全日本ロードレース選手権GP250 シリーズランキング5位
2012年 ボートレーサー養成学校 やまと学校に入学
やまと学校時代はリーグ戦勝率7.26(準優出5 優出3 優勝1)、卒業記念競走は3着。112期の最優秀選手養成員。
2013年5月3日、ボートレース住之江でデビュー(5着)
2014年5月20日、ボートレース尼崎で初勝利(154走目)
2016年5月23日、ボートレース若松で初優出(6着)
人物・エピソード
郡(ぐん)という珍しい名前は、かつて少年マガジンに連載されていた人気バイク漫画「バリバリ伝説」の主人公の名前の巨摩郡(こまぐん)が由来。
5歳からモトクロスレースに参戦。その後ミニバイクレースを経て、2005年にロードレースに参戦。
その年の鈴鹿選手権125ccクラスでチャンピオンになった。翌年の2006年には関西の名門チームである、ヒットマンRC甲子園ヤマハより全日本選手権250ccクラスに参戦。成績は2006年ランキング9位、2007年ランキング4位、2008年ランキング5位であった。
鈴鹿選手権の時代に競い合った谷川祐一(登録番号4594)がボートレーサーに転向。その活躍に刺激され、後を追いボートレーサーを目指した。学業の方もおろそかにすることなく大阪産業大学短期大学部自動車工業科を卒業後、関西大学総合情報学部に編入。在学中にやまと学校に合格(3回目)、一時休学していたがプロになった後、復学。レースをしながら大学に通い、2014年3月、無事に卒業した。