「アルフレッド・ハウゼ」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
31行目: | 31行目: | ||
自身がバンドリーダーであるアルフレッド・ハウゼ楽団を[[1942年]]に結成。それを一度潰したが、[[1948年]]にアルフレッド・ハウゼ・タンゴ・オーケストラを結成して、それを率いて活躍。同楽団は[[1965年]]に初来日し、マランド楽団と人気を二分した。この際、楽器類を[[全日空貨物機失踪事件|事故]]で逸失している。 |
自身がバンドリーダーであるアルフレッド・ハウゼ楽団を[[1942年]]に結成。それを一度潰したが、[[1948年]]にアルフレッド・ハウゼ・タンゴ・オーケストラを結成して、それを率いて活躍。同楽団は[[1965年]]に初来日し、マランド楽団と人気を二分した。この際、楽器類を[[全日空貨物機失踪事件|事故]]で逸失している。 |
||
楽団のメンバーは殆どがハノーファー及び近辺の放送局のオーケストラから集められたものであり、一定ではないが、時として著名なクラシック演奏家が参加している事がある。また、そうした事情から、楽団の編成は他のものと比べて大きめであり、[[オーボエ]]や[[イングリッシュ・ホルン]]を加えた響きが「シンフォニック・タンゴ」と呼ばれる事がある。 |
楽団のメンバーは殆どがハノーファー及び近辺の放送局のオーケストラから集められたものであり、一定ではないが、時として著名なクラシック演奏家が参加している事がある。クラシック曲のアレンジもかなりの割合で披露している。また、そうした事情から、楽団の編成は他のものと比べて大きめであり、[[オーボエ]]や[[イングリッシュ・ホルン]]を加えた響きが「シンフォニック・タンゴ」と呼ばれる事がある。 |
||
フォン・ゲッツィやフアン・ジョサスほかのジャーマン・タンゴの音楽家の活動が戦後途絶えてしまい、入れ替わるようにして1960年代にコンチネンタル・タンゴのスターとして日本に迎えられた。ポリドールが全力でフォローした日本には1965年から1989年まで、長期間にわたって来訪した。放送音源は大量に遺された。 |
[[バルナバス・フォン・ゲッツィ]]やフアン・ジョサスほかのジャーマン・タンゴの音楽家の活動が戦後途絶えてしまい、入れ替わるようにして1960年代にコンチネンタル・タンゴのスターとして日本に迎えられた。ポリドールが全力でフォローした日本には1965年から1989年まで、長期間にわたって来訪した。放送音源は大量に遺された。 |
||
== ヒットナンバー == |
== ヒットナンバー == |
2017年2月10日 (金) 21:34時点における版
アルフレッド・ハウゼ | |
---|---|
生誕 | 1921年8月8日 |
出身地 |
![]() ヴェストファーレン |
死没 |
2005年1月14日(83歳没)![]() ハンブルク |
ジャンル | コンチネンタル・タンゴ |
職業 | 指揮者、ヴァイオリニスト、作曲家 |
担当楽器 | 指揮、ヴァイオリン |
活動期間 | 1942年 - 2005年 |
アルフレッド・ハウゼ[1](Alfred Hause, 1920年8月8日 - 2005年1月14日) は、ドイツ・ヴェストファーレン(ベストファーレン、ウェストファリア)出身のコンチネンタル・タンゴ演奏家。
略歴
元々はワイマール音楽院でバイオリニストとして勉強していた。
自身がバンドリーダーであるアルフレッド・ハウゼ楽団を1942年に結成。それを一度潰したが、1948年にアルフレッド・ハウゼ・タンゴ・オーケストラを結成して、それを率いて活躍。同楽団は1965年に初来日し、マランド楽団と人気を二分した。この際、楽器類を事故で逸失している。
楽団のメンバーは殆どがハノーファー及び近辺の放送局のオーケストラから集められたものであり、一定ではないが、時として著名なクラシック演奏家が参加している事がある。クラシック曲のアレンジもかなりの割合で披露している。また、そうした事情から、楽団の編成は他のものと比べて大きめであり、オーボエやイングリッシュ・ホルンを加えた響きが「シンフォニック・タンゴ」と呼ばれる事がある。
バルナバス・フォン・ゲッツィやフアン・ジョサスほかのジャーマン・タンゴの音楽家の活動が戦後途絶えてしまい、入れ替わるようにして1960年代にコンチネンタル・タンゴのスターとして日本に迎えられた。ポリドールが全力でフォローした日本には1965年から1989年まで、長期間にわたって来訪した。放送音源は大量に遺された。
ヒットナンバー
- 碧空(日本語では「あおぞら」と読むとされる) Blauer Himmel ・・・元々は戦前のドイツで演奏された人気曲で、オリジナルはバルナバス・フォン・ゲッツィによるもの。
- 小さな喫茶店 In einer kleinen Konditorei 戦前からディック・ミネによる日本語のカバーが知られていた。
- ラ・クンパルシータ La cumparsita
- ミリタリータンゴ(『バックグラウンド・ミュージック』(キユーピー提供当時)のテーマ)
- バンドネオンの嘆き
- 淡き光に
ディスコグラフィー
- 1961 - Die grossen deutschen Tanzorchester
- 1963 - Tango in Tokyo
- 1964 - The Best of Continental Tango (2LPs)[2]
- 1966 - Kiss of Fire
- 1967 - The Best of Tango
- 1968 - La Violetera
- 1969 - Romantic Classics
- 1970 - Christmas Come Together
- 1970 - Folksongs of the World
- 1972 - Bonjour, Paris
- 1972 - Film-Themes
- 1973 - Les Plus Beaux Tangos Du Monde (2 LP)
- 1973 - Tango Dancing
- 1975 - Melodien zwischen Tag und Traum
- 1976 - The Four Seasons Of Japan
- 1978 - Melodien zwischen Tag und Traum vol.5
- 1979 - Tango
- 1980 - Yesterday
- 1982 - Tango Concert
- 1983 - Tango a la Carte
- 1988 - Classic Dreams vol.1
- 1988 - Classic Dreams vol.2
- 1989 - Ein festliches Weihnachtskonzert
- 1993 - Strictly Dancing Tango
- 1993 - White Christmas
- 1994 - Panflöten-Weihnacht
- 1995 - Alfred Hause & sein großes Tango-Orchester
- 1997 - Tanz Mal Wieder Walzer
- 1998 - Beautiful Dreamer
- 1998 - Bilitis
- 1998 - Liebestraum
- 1998 - Plaisir D'Amour
- 1998 - Romanze
- 1998 - Träumerei
- 2001 - On The Dancefloor
- 2005 - Tango-König
- 2009 - Tango
- 2011 - Seine Schönsten Tangos