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「西六郷少年少女合唱団」の版間の差分

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== 西六郷鎌田記念合唱団 ==
== 西六郷鎌田記念合唱団 ==
第一期西六郷少年少女合唱団の解団後に、「伝統の合唱団を街からなくさないで」という団員や地域住民の強い声に押され[[OB・OG]]有志により'''西六郷鎌田記念合唱団'''が結成された。町工場が多い土地柄ゆえ、旧「西六郷少年少女合唱団」のOB・OGの多くが今も西六郷に住んでおり、旧合唱団員の子供の世代も参加している。<ref>「読売新聞」2011年12月26日朝刊・都民版「東京の記憶 下町から天使の歌声 西六郷少年少女合唱団」</ref>
第一期西六郷少年少女合唱団の解団後に、「伝統の合唱団を街からなくさないで」という団員や地域住民の強い声に押され、[OB・OG]]有志により'''西六郷鎌田記念合唱団'''が結成された。
都心に近く、また町工場が多い土地柄でもあり、旧「西六郷少年少女合唱団」のOB・OGの多くが今も西六郷に住んでいる。
<ref>旧合唱団員のこどもの世代も参加している。(そんな事実はありません。)「読売新聞」2011年12月26日朝刊・都民版「東京の記憶 下町から天使の歌声 西六郷少年少女合唱団」</ref>


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2017年2月27日 (月) 01:20時点における版

西六郷少年少女合唱団(にしろくごうしょうねんしょうじょがっしょうだん)は、東京都合唱団

概要

1951年東京都大田区立西六郷小学校に赴任した鎌田典三郎(のりさぶろう)教諭が、1955年に当時来日していたウィーン少年合唱団の歌声に触発されて児童合唱団を設立した[1]

1950年代には、日本の小学校合唱コンクールで次々と受賞し、全国に知られるようになる。NHKの『歌のメリーゴーラウンド』『みんなのうた』やアニメソングでも常連の合唱団となる。1960年代には、テレビ番組の『鉄人28号』『狼少年ケン』『少年忍者風のフジ丸』『海賊王子』『ハッスルパンチ』『キャプテン・スカーレット』など数々のテーマソングのレコーディングにも参加した。 1960年代に『みんなのうた』でも歌われた「ぼくらの町は川っぷち』を団歌として歌い続けてきたことでも知られる。

1964年インドネシアより準国賓としてスカルノ大統領により招かれる。(デヴィ・スカルノの推薦)

1974年、加藤登紀子作詞・作曲作品『土耳古行進曲』のコーラスを担当する。[要出典]

1999年3月、合唱団の創立者である鎌田氏の死去にともない、故人の遺志によって同年5月3日の演奏会をもって、解団することとなった。 同年5月 解散後、有志により上記団体とは別の団体として再結成。 西六郷少年少女合唱団(第一期)の解団後、新たに新西六郷少年少女合唱団が結成された。

同合唱団は2005年西六郷少年少女合唱団(第二期)に改名した[1]

また、同年9月 OBによる「西六郷鎌田記念合唱団」が発足した。(後述)


西六郷鎌田記念合唱団

第一期西六郷少年少女合唱団の解団後に、「伝統の合唱団を街からなくさないで」という団員や地域住民の強い声に押され、[OB・OG]]有志により西六郷鎌田記念合唱団が結成された。

都心に近く、また町工場が多い土地柄でもあり、旧「西六郷少年少女合唱団」のOB・OGの多くが今も西六郷に住んでいる。 [2]

脚注

  1. ^ a b 公式ウェブサイト平成27年10月27日閲覧
  2. ^ 旧合唱団員のこどもの世代も参加している。(そんな事実はありません。)「読売新聞」2011年12月26日朝刊・都民版「東京の記憶 下町から天使の歌声 西六郷少年少女合唱団」

外部リンク