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===DeNA退団後===
===DeNA退団後===
NPB他球団での現役続行を希望していることから、[[2016年]][[11月12日]]には、[[阪神甲子園球場]]で開催の[[12球団合同トライアウト]]に参加。[[打撃 (野球)#練習|シートバッティング]]形式の対戦で、5人の投手を相手に、4打数1安打盗塁1(1四球2三振)という結果を残した<ref>{{Citenews|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.htmlv|title=65人が参加/12球団合同トライアウト詳細|newspaper=日刊スポーツ|date=2016-11-12|accessdate=2016-11-13}}</ref>。
NPB他球団での現役続行を希望していることから、[[2016年]][[11月12日]]には、[[阪神甲子園球場]]で開催の[[12球団合同トライアウト]]に参加。[[打撃 (野球)#練習|シートバッティング]]形式の対戦で、5人の投手を相手に、4打数1安打盗塁1(1四球2三振)という結果を残した<ref>{{Citenews|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.htmlv|title=65人が参加/12球団合同トライアウト詳細|newspaper=日刊スポーツ|date=2016-11-12|accessdate=2016-11-13}}</ref>。

2017年からは[[ジェイファムコーポレーション]]のクラブチーム「REVENGE99」に所属する傍ら正社員として勤務している。


== 選手としての特徴 ==
== 選手としての特徴 ==

2017年3月27日 (月) 01:44時点における版

内村 賢介
2014年8月17日、横須賀スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都大田区
生年月日 (1986-03-17) 1986年3月17日(38歳)
身長
体重
163 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 二塁手遊撃手外野手
プロ入り 2007年 育成ドラフト1巡目
初出場 2008年8月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

内村 賢介(うちむら けんすけ、1986年3月17日 - )は、東京都大田区出身のプロ野球選手内野手外野手)。

経歴

アマチュア時代

小学1年で野球を始めるが、現在に至るまで4番を打った経験は無い。中学時代は硬式野球チーム・大田シニアに所属、1年間投手を務めたことはあった。中学生活最後の夏の全国大会予選は、直前の中学校の運動会の練習で右腕を骨折してしまい試合に出られなかった。走力と守備力を売りに、進学した山梨学院大付でも1年夏からベンチ入りして、秋には背番号6で内野を守った。高校の同期には明石健志がいたが、甲子園出場は無かった。高校通算本塁打は1本だったと語っている。それでも、中学3年生の時に離婚した母親を楽にさせたい一心でプロへの願望は高かった[1]

テストで合格し加入したJFE西日本時代は社会人野球日本選手権大会で優勝を経験しているが、自身の出場機会は少なかった。出番を得るためにスイッチヒッターへ転向するなど試行錯誤を繰り返したが、これが裏目に出て迷路に落ち込み、実力が発揮できなくなってしまった。社会人3年目には無断で抜け出し、街中を彷徨う中、携帯電話で母親に泣きながら「辞める」と話した。会社は引き止めたが退社し、2か月間フリーターで過ごした[1]

BCリーグ・石川時代

JFE西日本を辞めて、東京に戻って中学時代所属していた硬式野球チーム・大田シニア監督の阿部一之に「やめて帰ってきました」と報告してから数日後、阿部から「来年から始まる北信越BCリーグっていうのあるから、トライアウト受けてみろ!」と勧められて、2007年から始まるBCリーグの存在を知り、石川ミリオンスターズのテストを受けて合格した。ここで監督の金森栄治から右打席に絞った打撃の指導を受け、才能が開花した。遊撃手のレギュラー、リードオフマンとして活躍する。打率.271、31盗塁の成績でリーグの初代盗塁王となった[1]

2007年の育成ドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目で指名された。金森からは「もう1年チームにとどまり、正規のドラフトを待ってはどうか」とのアドバイスを受けたが、NPBへ挑戦する姿勢を優先したことから、育成選手として入団することを決意。BCリーグ球団所属の選手では初めてのNPB入りを果たした[1]

楽天時代

2008年
開幕から二軍で結果を残し、7月23日に支配下選手として登録され、背番号は育成時代の「121」から「98」に変更となった[2]。監督の野村克也は俊足を生かすためスイッチヒッターへ再転向させ、さらに赤星憲広にも使わせた重い「つちのこバット」で内野安打を稼ぐ打法を指示した[1]8月3日に一軍戦初出場。一軍に登録されてからはレギュラーの高須洋介の怪我による離脱もあって「2番・二塁手」として積極的に起用された。47試合に出場し、打率.289、9盗塁を記録。
楽天時代(2012年)
2009年
背番号を「0」に変更し、シーズン50盗塁を目標に掲げた。春季キャンプでは、それまで使っていた重いバットから少し細くて軽いものに代え、強い打球を放つことと次につなぐバッティングをすることを課題に挙げていた。開幕一軍のメンバーに選ばれ、4月16日のロッテ戦ではリック・ショートの代走として出場し、その回の守りで小学生以来となる外野レフト)の守備についた。5月13日の日本ハム戦の4回に嶋基宏の犠打で1死後、聖澤諒のセーフティスクイズを内野手がエラーした後にスクイズを決めたため、プロ野球タイ記録となるチーム1イニング3犠打を記録した。しかし、その後の打撃面で結果を残せず6月9日に登録抹消された。
2010年
粘り強い打撃を生かして準レギュラーに定着。守備でも二遊間以外にたびたび外野手として起用されレフトやセンターを守り、出場機会を増やした。終盤には安打を量産し、規定打席不足ながら打率.304を記録した。
2011年 - 2012年
新しく監督に就任した星野仙一の目指す機動力野球[3]のもと、シーズン当初は主に代走・守備固め要員として起用されたが、同年に入団し正三塁手として起用された岩村明憲の不調から、正二塁手であった高須洋介が三塁手として起用されるようになったことに伴ってシーズン中盤以降は「2番・二塁手」として定着。9月24日のソフトバンク戦では、プロ初本塁打をランニングホームランで記録した[注釈 1]。自己最多の123試合に出場し、打率.271、31盗塁と飛躍のシーズンとなった。シーズン終了後、背番号を「6」に変更。
2012年も開幕直後は正二塁手として出場するが、打撃不振に陥り、次第に二塁手として銀次がスタメンで出場する試合が増えていった。

DeNA時代

2012年
6月24日に横浜DeNAベイスターズ藤田一也とのトレードが発表された。背番号は藤田が着用していた「23」に決定。移籍後は正二塁手の石川雄洋が怪我をしたことも重なり、二塁手のレギュラーを獲得。また、途中加入にもかかわらず、チーム2位となる18盗塁を記録した。一方で、打撃面ではシーズンを通しての打率が.215、移籍後のみでも.237と精彩を欠いた。この年の8月15日の阪神タイガース戦では盗塁を決めたが、その打席に立っていた中村紀洋から盗塁したことを激怒されることがあった。内村はグリーンライトの権利を持っていたため、首脳陣がサインを出さなくても自分の判断で盗塁できた。そのため、中村の叱責は采配批判にあたり、中畑清監督によって中村は登録抹消された[5]
2013年
前年の正二塁手であった石川が遊撃手に再転向し、内村が2番・二塁として開幕からスタメン出場を続けていたが、次第に打撃不振に陥った。6月9日のオリックス戦から、それまで懲罰降格していた石川が一軍復帰すると同時に二塁手に転向し、その日以降は石川が1番・二塁に定着した。これにより弾き出される形で内村のポジションが奪われてしまい、石川が8月に故障離脱した際も二遊間双方を守れる山崎憲晴がスタメン出場し、事実上の代走要員となってしまった。89試合の出場に留まり、打率も前年を下回る.206に終わった。
2014年
この年は、二遊間のスタメンに石川と山崎がほぼ定着し、さらに白崎浩之の台頭やユリエスキ・グリエルの加入で1軍での出場機会が激減し、わずか4試合の出場に終わってしまった。また、2軍でも打率.236、盗塁成功率.353(盗塁企図17回中成功6回)と持ち味の俊足巧打を発揮できなかった。
2015年
代走、守備固め要員として一軍に昇格すると、9月1日には2番・二塁として2年ぶりの出場を果たし、通算100盗塁も達成した。打率.179と打撃では結果を残せなかった。しかし、28試合のうち、17試合を代走、守備固めで出場するなど、足や守備に関しては信頼が厚かった。
2016年
一軍公式戦への出場機会がないまま、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[6]。12月2日、自由契約公示された[7]

DeNA退団後

NPB他球団での現役続行を希望していることから、2016年11月12日には、阪神甲子園球場で開催の12球団合同トライアウトに参加。シートバッティング形式の対戦で、5人の投手を相手に、4打数1安打盗塁1(1四球2三振)という結果を残した[8]

2017年からはジェイファムコーポレーションのクラブチーム「REVENGE99」に所属する傍ら正社員として勤務している。

選手としての特徴

内村のスイング
(2013年3月17日、横浜スタジアム)
二塁守備に就く内村(2011年)

身長は163cmで[1]2016年時点で水口大地埼玉西武ライオンズ)と並び12球団中最も背の低い選手である。

入団当初は右打ちであったが、2008年の一軍昇格直後に、監督の野村克也の提案でスイッチヒッターに転向し、2010年までの通算の対左打率.243に対して対右打率.294と右投手を得意とする。

しかし、2013年8月20日には三浦大輔代打として阪神の右投手、ランディ・メッセンジャーと対戦したが、右打席に入った。この頃から、内村自身は右打ちだけでやりたいという意思があった。ただ、9月半ば以降はまた左打席にも立つようになった。

50メートル走5.7秒、一塁到達3.8秒の俊足を武器とし[9]、2008年には打った安打のうち半分が内野安打を記録するなど内野安打が多く[1]、2010年までの内野安打率は32パーセントを誇る。

守備ではスピードを生かした二塁守備を持ち味とし、2010年には守備イニングが300イニング程であったがレンジファクターは6点台を記録した[10]。一方で遊撃守備では失策の多さが目立つ。外野手として起用されることもある。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2008 楽天 47 177 152 21 44 5 0 0 49 13 9 3 15 1 6 0 3 21 2 .289 .327 .322 .649
2009 62 85 68 14 11 2 0 0 13 5 10 2 7 0 10 0 0 14 2 .162 .269 .191 .460
2010 111 270 230 43 70 5 2 0 79 12 10 7 14 2 23 0 1 32 3 .304 .367 .343 .710
2011 123 390 321 37 87 5 3 1 101 30 31 10 42 1 23 0 3 53 5 .271 .325 .315 .640
2012 55 131 113 10 19 1 1 0 22 12 8 1 11 0 6 0 1 23 0 .168 .217 .195 .412
DeNA 77 289 236 30 56 6 0 0 62 18 18 4 21 1 31 0 0 40 4 .237 .325 .263 .588
'12計 132 420 349 40 75 7 1 0 84 30 26 5 32 1 37 0 1 63 4 .215 .291 .241 .532
2013 89 269 223 33 46 3 1 0 51 6 12 8 22 2 20 0 2 43 2 .206 .275 .229 .504
2014 4 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2015 28 46 39 8 7 0 0 0 7 1 2 1 5 0 2 0 0 9 0 .179 .220 .179 .399
NPB:8年 596 1659 1384 196 340 27 7 1 384 97 100 36 137 7 121 0 10 235 18 .246 .309 .277 .588
  • 2016年度シーズン終了時

年度別守備成績


二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2008 39 73 91 2 14 .988 - 9 10 7 2 2 .895 -
2009 37 52 81 5 17 .964 - 7 10 9 0 0 1.000 2 0 0 0 0 ----
2010 69 89 114 0 24 1.000 - 31 36 86 7 21 .946 11 9 1 0 1 1.000
2011 111 213 279 5 49 .990 1 0 0 0 0 ---- 9 7 23 2 3 .938 -
2012 120 248 317 7 54 .988 - 8 3 16 0 2 1.000 3 1 0 0 0 1.000
2013 65 144 174 0 28 1.000 - 2 0 1 1 1 .500 6 4 0 0 0 1.000
2014 - - 1 0 0 0 0 ---- -
2015 21 30 34 2 10 .970 - - -
通算 462 849 1090 21 196 .989 1 0 0 0 0 ---- 67 66 142 12 29 .945 22 14 1 0 1 1.000
  • 2016年度シーズン終了時

表彰

記録

節目の記録
その他の記録
  • プロ初本塁打がランニング本塁打:同上 ※2リーグ制以後5人目

独立リーグ時代の成績













































O
P
S
2007 石川 72 280 56 76 9 2 0 30 28 41 9 7 3 31 13 10 79 .271 .378 .318 .696
通算:1年 72 280 56 76 9 2 0 30 28 41 9 7 3 31 13 10 79 .271 .378 .318 .696

背番号

  • 121 (2008年 - 同年途中)
  • 98 (2008年途中 - 同年終了)
  • 0 (2009年 - 2011年)
  • 6 (2012年 - 同年途中)
  • 23 (2012年途中 - 2016年)

登場曲

脚注

注釈

  1. ^ 左翼線際に上がった飛球を左翼手の内川聖一が後逸し、外野フェンスまで到達した打球を処理する間に一気に本塁を陥れたものであった。内村はヒーローインタビューで「ラッキーだった。自分らしいホームラン」とコメントした[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g 「チャレンジ精神 内村賢介」『週刊ベースボール』2009年6月22日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20444-6/22、35-39頁。
  2. ^ 内村賢介選手 支配下登録について」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2008年7月23日)、2011年11月20日閲覧。
  3. ^ 星野イズム「機動力野球」早くも全開」 デイリースポーツ(2011年2月12日)、2011年11月20日閲覧。
  4. ^ 2011/09/24(土)vs 福岡ソフトバンクホークス」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2011年9月24日)、2011年11月20日閲覧。
  5. ^ 中村紀 2軍落ちは懲罰降格だった!采配批判に中畑監督が決断 Sponichi Annex
  6. ^ 2017年度 選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト (2016年10月2日). 2016年10月2日閲覧。
  7. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  8. ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.htmlv 2016年11月13日閲覧。 
  9. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、231頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8 
  10. ^ 守備「選手別」二塁手データ」 SMR Baseball Lab、2011年11月20日閲覧。

関連項目

外部リンク