コンテンツにスキップ

「雷銅」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
オクヤマ (会話 | 投稿記録)
オクヤマ (会話 | 投稿記録)
21行目: 21行目:


== 生涯 ==
== 生涯 ==
[[張任]]の配下。[[黄忠]]に追い詰められ、[[劉備]]に降服した。その後、[[張飛]]の配下となった。張飛命を受けて、3000の手勢を率いて、魏将[[張コウ|張郃]]と戦い、張郃を助けるために来た[[夏侯尚]]・[[曹洪]]・[[曹休]]の援軍に囲まれて、激戦の末に戦死したという説もある。
[[張任]]の配下。[[黄忠]]に追い詰められ、[[劉備]]に降服した。その後、[[張飛]]の配下となった。張飛命を受けて、3000の手勢を率いて、魏将[[張コウ|張郃]]と戦い、張郃をた[[夏侯尚]]・[[曹洪]]・[[曹休]]の援軍に囲まれて、激戦の末に戦死したという説もある。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2017年3月31日 (金) 11:34時点における版

雷銅
後漢
出生 生年不詳
死去 218年建安23年)
拼音 Léi Tóng
別名 雷同
主君 劉備
テンプレートを表示

雷 銅(らい どう、? - 218年)は、中国後漢末期の武将。『三国志』蜀書先主伝・周羣伝にのみ記述がある。「雷同」とも呼ばれる。

生涯

張任の配下。黄忠に追い詰められ、劉備に降服した。その後、張飛の配下となった。張飛の命を受けて、3000の手勢を率いて、魏将張郃と戦い、張郃を援助した夏侯尚曹洪曹休の援軍に囲まれて、激戦の末に戦死したという説もある。

参考文献