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==父の著作との関係==
==父の著作との関係==
大江健三郎は、光が[[知的障害者]]で生まれた時の苦悩を『[[個人的な体験]]』として、作品にした。"A Personal Matter"の題で英訳、その人道主義的な内容は評価を受け、『[[万延元年のフットボール]]』などと共にノーベル賞受賞の道筋をつけた。健三郎はその後も、『[[新しい人よ眼ざめよ]]』のように自分と光をモチーフにした作品をいくつも執筆、「イーヨー」や「アカリ」といった様々な名を与えられ、大半の作品にキーパーソンとして登場する、大江にとって重要な存在である。
大江健三郎は、光が[[知的障害者]]で生まれた時の苦悩を『[[個人的な体験]]』として、作品にした。"A Personal Matter"の題で英訳、その人道主義的な内容は評価を受け、『[[万延元年のフットボール]]』などと共にノーベル賞受賞の道筋をつけた。健三郎はその後も、『[[新しい人よ眼ざめよ]]』のように自分と光をモチーフにした作品をいくつも執筆、「イーヨー」や「アカリ」といった様々な名を与えられ、大半の作品にキーパーソンとして登場する、大江健三郎の文学にとって重要な存在である。


==作風==
==作風==

2017年4月1日 (土) 22:45時点における版

大江 光(おおえ ひかり、1963年6月13日 - )は日本作曲家。作家の大江健三郎は父。映画監督の伊丹十三は伯父。映画監督の伊丹万作は祖父。

人物

知的障害[1]。幼少時から野外の鳥の声を正確に聞き分けて鳥の名前を当てたり[2]、クラシック音楽に極めて強い関心を示したりしたこと[3]から、11歳のときピアノの教師、田村久美子からピアノレッスンを受け始める。13歳で作曲を始める。作曲理論を加羽沢美濃に師事。 1992年10月に発表した最初のCD「大江光の音楽」、1994年9月にリリースした第2集「大江光ふたたび」が日本ゴールドディスク大賞を受賞した。1996年には伯父の伊丹十三監督の「静かな生活」で、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞した。1998年に第3集のCD「新しい大江光」を、そして7年の時を経て2005年に第4集のCD「もう一度 大江光」をリリースした。父の講演に付いて行き、出ることも多い。

父の著作との関係

大江健三郎は、光が知的障害者で生まれた時の苦悩を『個人的な体験』として、作品にした。"A Personal Matter"の題で英訳、その人道主義的な内容は評価を受け、『万延元年のフットボール』などと共にノーベル賞受賞の道筋をつけた。健三郎はその後も、『新しい人よ眼ざめよ』のように自分と光をモチーフにした作品をいくつも執筆、「イーヨー」や「アカリ」といった様々な名を与えられ、大半の作品にキーパーソンとして登場する、大江健三郎の文学にとって重要な存在である。

作風

主として調性によるメロディー伴奏による作品が多い。“ノーベル賞作家の息子が作曲した”という話題性から、父親の文学との関連で取り上げられることが多く、ドイツSWRなどのFM放送でも取り上げられている。

大江光(をモデルとした人物)を演じた俳優

脚注

  1. ^ Cameron, Lindsley (1998). The Music of Light: The Extraordinary Story of Hikari and Kenzaburo Oe. New York: Free Press. pp. pp. 132-133. ISBN 0684824094 
  2. ^ 大江の『静かな生活 』に父親の講演として出てくる話である。鳥の声を録音したNHKのレコードをテープにとって繰り返し聞かせていたが、鳥の鳴き声と共に、鳥の声を紹介するアナウンサーの声が入っていた。避暑で訪れた軽井沢の杜の中を、息子の光を肩車して散策している時に、鳥にの鳴き声が聞こえて、その後に、頭の上から「クイナ、です。」と、アナウンサー口調の声が聞こえたという。一瞬何が起こったのか…わからなかったが、生まれて初めて聞いた息子の「声」だったが、幻聴かもしれないと思い、もう一度クイナが鳴かないかな、と祈った。
  3. ^ 絶対音感があった。