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[[1985年]](昭和60年)に阪急の車両が全車冷房化された後も非冷房のままで阪急線を運行しており、夏場は乗客から大変不評で、地下鉄線内では冷房つきの阪急車を待つという光景も多く見受けられた。このため、冷房化の要望が交通局に多く寄せられ<ref>60系のアルミ軽量車体では天井に設置する冷房装置の荷重に耐えられないと判断されたため冷房化は長らく見送られていた。技術の進歩により冷房装置が軽量化されたため冷房化が実現している。冷房化にあたっては6001Fを川崎重工に送りテストを行い、問題がないことを確認の上行われている。なお、当時の大阪市営地下鉄は車両の制御装置から排出される熱に加え、冷房装置から排出される熱がトンネル内に溜まるという理由で、冷房車の新規投入は発熱量の少ない[[電機子チョッパ制御]]を採用した[[大阪市営地下鉄御堂筋線|御堂筋線]]向けの[[大阪市交通局10系電車|10系]]と、やはり発熱量の少ない[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]を採用した[[大阪市営地下鉄中央線|中央線]]向けの[[大阪市交通局20系電車|20系]]に限られ、むしろ駅とトンネルの冷房化に精力的であったが、堺筋線は架空線式でトンネル断面に余裕があったため、これが理由ではない。</ref>、[[1990年]](平成2年)から第01編成を筆頭に02、03、11、12編成に[[エア・コンディショナー|冷房装置]]の設置改造がなされた<ref>冷房装置の形態および冷凍能力は阪急の車両と同様であった。</ref>。
[[1985年]](昭和60年)に阪急の車両が全車冷房化された後も非冷房のままで阪急線を運行しており、夏場は乗客から大変不評で、地下鉄線内では冷房つきの阪急車を待つという光景も多く見受けられた。このため、冷房化の要望が交通局に多く寄せられ<ref>60系のアルミ軽量車体では天井に設置する冷房装置の荷重に耐えられないと判断されたため冷房化は長らく見送られていた。技術の進歩により冷房装置が軽量化されたため冷房化が実現している。冷房化にあたっては6001Fを川崎重工に送りテストを行い、問題がないことを確認の上行われている。なお、当時の大阪市営地下鉄は車両の制御装置から排出される熱に加え、冷房装置から排出される熱がトンネル内に溜まるという理由で、冷房車の新規投入は発熱量の少ない[[電機子チョッパ制御]]を採用した[[大阪市営地下鉄御堂筋線|御堂筋線]]向けの[[大阪市交通局10系電車|10系]]と、やはり発熱量の少ない[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]を採用した[[大阪市営地下鉄中央線|中央線]]向けの[[大阪市交通局20系電車|20系]]に限られ、むしろ駅とトンネルの冷房化に精力的であったが、堺筋線は架空線式でトンネル断面に余裕があったため、これが理由ではない。</ref>、[[1990年]](平成2年)から第01編成を筆頭に02、03、11、12編成に[[エア・コンディショナー|冷房装置]]の設置改造がなされた<ref>冷房装置の形態および冷凍能力は阪急の車両と同様であった。</ref>。


冷房改造と同時に側面方向幕の取り付けと方向幕の電動化も行われた。第02、03、11、12編成には同時に内装の更新工事が行われ、第1編成にも1995年に追加で車体更新が実施された。<ref>更新当時の第1編成の基本6両編成は冷房化のみ (車椅子スペースなし) と、後から8両編成化の為に増結された6101・6201は冷房化+内装更新 (営団と同じ、小型ガラスドアのままで、ガラスに車椅子マークが貼られた。) と、更新差がでていた。が、この2回目のリニューアル工事で、内装を増結車に合わせた上で、ドアを通常の縦長ガラス、基本6両編成のドアガラスに車椅子マーク貼り付けが行われた。</ref>なお、冷房装置の取付によって自重が増すことから、T車台車は廃車発生品のM台車に全車履き替えられた。
冷房改造と同時に側面方向幕の取り付けと方向幕の電動化も行われた。第02、03、11、12編成には同時に内装の更新工事が行われ、第1編成にも1995年に追加で車体更新が実施された。<ref>更新当時の第1編成の基本6両編成は冷房化のみ (車椅子スペースなし) と、後から8両編成化の為に増結された6101・6201は冷房化+内装更新 (営団と同じ、小型ガラスドアのままで、ガラスに車椅子マークが貼られた。) と、更新差がでていた。が、この2回目のリニューアル工事で、内装を増結車に合わせた上で、ドアを通常の縦長ガラス、基本6両編成のドアガラスに車椅子マーク貼り付けが行われた。</ref>なお、冷房装置の取付によって自重が増すことから、T車台車は廃車発生品のM台車に全車履き替えられた。

6003F・6011F・6012Fの基本6両編成は、リニューアル後も廃車まで、車椅子スペースは設置されなかった。<ref>但し、6100形 (2号車) と、6200形 (3号車) は、1992~1993年にかけての8両編成化用増結車の為、3番ドア付近の2番ドア寄りに車椅子スペースが設置されていた。</ref>


== 編成構成 ==
== 編成構成 ==

2017年4月12日 (水) 12:35時点における版

大阪市交通局60系電車
2000年7月、東吹田検車場にて(公道上より撮影)
基本情報
製造所 川崎重工業(6001~6003F)
日本車輌製造(6004~6008F)
汽車製造(6009~6014F)
日立製作所(6015~6018F)
主要諸元
編成 5両→6両→8両
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V架空電車線方式
最高運転速度 堺筋線内 70km/h
阪急線内 110 km/h
設計最高速度 100 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
編成定員 870人(6001F~03F・6013F~15F、6両)/ 880人(6004F~12F、6両)
1,160人(6001F~03F、最終状態)/ 1,170人(6011F・12F、最終状態)
車両定員 座席49・立席91(先頭車・簡易中間化改造車)
座席60・立席90(中間車)
座席57・立席93(中間車・車イススペース設置車)
車両重量 24.5t(6600形)~33.5t(6000形)
編成重量 242t(6001F・最終状態)
全長 18,900[1] mm
全幅 2,840(先頭車)
2,820(中間車) mm
全高 3,740(冷房改造前)→4,045(冷房改造後)
4,150(パンタグラフ装備車) mm
車体 アルミニウム合金
台車 S形ミンデン台車
M車(電装解除車):FS-373
T車:FS-073
主電動機 直流直巻電動機
東芝製SE-600/三菱電機製MB-3161A
主電動機出力 120kW
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 99:17 (5.82)
編成出力 120×24=2,880kW(6M2T)
制御装置 抵抗制御
日立製作所 MMC-HTB-20F
制動装置 発電制動併用電気指令式電磁直通空気制動(OEC-1)
保安装置 WS-ATC、阪急型ATS
保安ブレーキ
備考
第10回(1970年
ローレル賞受賞車両

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大阪市交通局60系電車(おおさかしこうつうきょく60けいでんしゃ)は、大阪市交通局に在籍していた高速電気軌道(地下鉄)用通勤形電車である。1970年(昭和45年)鉄道友の会ローレル賞受賞。

概要

1969年昭和44年)、大阪市営地下鉄堺筋線の開業および京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄京都線千里線との相互直通運転開始、そして翌年春に迫った日本万国博覧会にあわせて、川崎重工業日本車輌製造汽車製造日立製作所の4社で5両編成18本90両が一度に製造された。各車両が実際に落成したのは1969年10月から11月の間だが、車両形式銘板では全車「昭和44年10月」の表記で揃えられていた。

車体はアルミ合金製である。基本構造・電装機器類は30系アルミ車と共通するものが多く、屋根はモニター屋根であった[2]。天井近くまで高さのある窓ガラスとその内側に行先表示器尾灯を納めた、当時としては非常に斬新な前面デザインであり、後年の小田急9000形電車などにも多大な影響を与えた。側面の扉および窓の配置は、相互直通先である阪急の標準とは異なり、運転台付き車両がdD3D3D1、中間車が1D3D3D1(d:乗務員扉、D:客用扉)となっていた(これは後継車の66系も同様)。ローレル賞受賞後は6001・6501などの客室内乗務員室扉上にローレル賞受賞記念プレートが取り付けられていた。

製造当初は阪急線内における踏切用警戒色として前面腰部のアルマイト板を赤く着色していたことから「頬紅電車」と呼ばれていたが[3]、後年ラインカラーの制定により茶色(ビビッドブラウン)に変更され、1978年11月までに前面のカラー変更が完了、側面にも1979年7月までに交通局シンボルマーク入りの茶帯が入るようになった[4]。ただし、先頭車を中間車化したものは前面腰部の着色部は変更されず、保守されずに褪色していたが頬紅色のままであった[5]。また、前面窓下には乗り入れ先の阪急の車両に準じて行先表示板を受ける金具が取り付けられ、EXPO準急での運用の際に使用されていたが、後年撤去された。設計最高速度は100km/hであったが、阪急線内の運用に当たっては無改造で110km/hで運用されていた。

架線集電である特性を生かして、補助電源に当時最新鋭の静止形インバータ(SIV)を採用[6]し、保守点検の簡易化を図っている。また、大阪市営地下鉄では初めて、床下に暖房装置を搭載した。地上線での高速走行時の乗り心地を確保するために、台車に住友S型ミンデン式のFS-373(T台車:FS-073/局内MS-60)を採用するなど、当時の大阪市営地下鉄では「初物づくし」の車両であった。

内装

座席はロングシートであった。新製時は同年に製造を開始した30系などと同様に、人間工学に従って設計されたとされるFRP製の枠に発泡ウレタンを詰め物として使用し、ビニールレザーを張った座席を備えていた。また第14編成のみ、セパレートタイプの座席になっていた。

しかし、座り心地のよい阪急車両の座席と比べて極めて座り心地が悪く、乗客から不評だったために、後に通常のモケット張り座席に交換されている。天井にはファンデリアが運転台付き車両は7基、中間車は8基設置された。なお冷房改造時に車体更新が実施された編成は、内装化粧板を白系に張り替え、座席を66系とほぼ同等のものに交換し、一部車両には車いすスペースも設置している。

冷房改造

1985年(昭和60年)に阪急の車両が全車冷房化された後も非冷房のままで阪急線を運行しており、夏場は乗客から大変不評で、地下鉄線内では冷房つきの阪急車を待つという光景も多く見受けられた。このため、冷房化の要望が交通局に多く寄せられ[7]1990年(平成2年)から第01編成を筆頭に02、03、11、12編成に冷房装置の設置改造がなされた[8]

冷房改造と同時に側面方向幕の取り付けと方向幕の電動化も行われた。第02、03、11、12編成には同時に内装の更新工事が行われ、第1編成にも1995年に追加で車体更新が実施された。[9]なお、冷房装置の取付によって自重が増すことから、T車台車は廃車発生品のM台車に全車履き替えられた。

6003F・6011F・6012Fの基本6両編成は、リニューアル後も廃車まで、車椅子スペースは設置されなかった。[10]

編成構成

当初は5両編成だったが、1979年(昭和54年)に6両編成、1993年平成5年)から66系導入に伴い8両編成に組替えられた。このため一部先頭車は運転台を簡易撤去して中間車化されたほか、6両編成への組替え時に連結された付随車は大半が電動車から電装解除された車両である。編成組み換えは全て車両間の異動でまかなっており、増結用車両の追加新造は行っていない。

  • 以下は冷房改造・車体更新・8連化後の最終状態の構成とする。
  • 車両番号の表記体系は30系に準じている。すなわち千の位の「6[11]」で系列名を表し、百の位で車両形式、十と一の位で編成番号を表す。なお本形式の編成番号は落成した順番とは一致しない[12]
  • 両制御車の運転台側と、簡易運転台を備える6300形と6600形の間の連結器は密着連結器、それ以外は半永久連結器が搭載されている。
  • 「e」は蓄電池搭載車を表す、大阪市交通局独自の記号。
動物園前天下茶屋
6000形 (Mc1) パンタグラフや主制御器などの走行機器を搭載する制御電動車
6100形 (M2p) 8連化時に対象から外れた編成から抜き出した6300・6500形を改番した中間電動車。6500形が装備していた運転台・6300形が装備していた簡易運転台は使用できなくなっている。リニューアル車のみ、車椅子スペース設置。
6200形 (Mb1) 8連化時に対象から外れた編成から抜き出した6000・6400形を改番した中間電動車。
6000形が装備していた運転台は使用できなくなっている。リニューアル車のみ、車椅子スペース設置。
6300形 (M2e') 静止形インバータ (SIV) 、蓄電池などの補機類を搭載する中間電動車。
天神橋筋六丁目方の車端部に簡易運転台が設置されている。
6600形 (T) 補助電源装置などを搭載する付随車。
動物園前方の車端部に簡易運転台が設置されている。
6700形 (T') 6連化時に第16~18編成を解体し、主要機器撤去・M車の電装解除などの改造を施して用意した付随車。冷房改造時に補機類が追加された。
6400形 (M1) パンタグラフや主制御器などの走行機器を搭載する中間電動車。
6500形 (Mce2) 蓄電池などの補機類を搭載する制御電動車。
天神橋筋六丁目・阪急線
5両編成 6001F - 6018F
6000 6300 6600 6400 6500
Mc M' T M M'c
6両編成 6001F - 6015F
6000 6300 6600 6700 6400 6500
Mc M' T T(To) M M'c
8両編成 6001F - 6004F、6006F、6007F、6011F、6012F、6014F
6000 6100 6200 6300 6600 6700 6400 6500
Mc M'(M'o) M(Mo) M' T T(To) M M'c
  • 改番対照表
6700 6701 - 6703 6704 - 6706 6707 - 6709 6710 - 6712 6713 - 6715
種車 6016 - 6018 6316 - 6318 6616 - 6618 6416 - 6418 6516 - 6518
6100 6101 6102 6103 6104 6106 6107 6111 6112 6114
種車 6309 6313 6310 6315 6308 6515 6510 6513 6509
6200 6201 6202 6203 6204 6206 6207 6211 6212 6214
種車 6009 6013 6010 6015 6008 6415 6410 6413 6409

廃車

1990年(平成2年)に後継車両として66系が登場し、1992年(平成4年)から第05編成を皮切りに廃車が始まった。ほぼ同時期に8連への組み替えが行われ、第01~04、06、07、11、12、14の9編成に再編されるが、組み替えから漏れた余剰車と冷房改造・車体更新が施工されなかった4編成は1995年(平成7年)までに廃車となり、第01、02、03、11、12編成の8連5編成のみが残った。

その後暫く動きは無かったが、66系の6・7次車の登場で2002年(平成14年)から再び廃車が始まり、2003年(平成15年)11月7日を最後に運用を終了し[13]、後述の6014号車を残してあとの89両はすべて解体された。

運用

落成から廃車まで一貫して堺筋線と同線に相互直通運転する千里線の(天神橋筋六丁目 - 北千里間)および阪急京都線(淡路 - 高槻市間・一部列車は相川または正雀始発着)の普通で使用されていた。

特殊な運用としては1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)開催時の臨時EXPO準急運用(動物園前 - 北千里)に就き、またイベントでまで入線したことがある。また、引退前の2003年(平成15年)9月13日~21日の間、大阪市交通局100周年記念イベント列車「過去発→未来行タイムトレイン」に本形式が使用されている[14]

保存車

原形を保つ非冷房車の6014号車が森之宮車両管理事務所に静態保存されているが、通常は非公開である。2008年3月23日に開催された地下鉄開業75周年記念イベント「なつかし車両まつりin森之宮」において、初めて一般公開され、後に登場時の姿に復元された。この際側面ラインカラーは剥がされ、正面窓下の赤色、方向板フックが復元されている。下枠交差式パンタグラフも、元の菱形パンタグラフに戻されている。また6001号車に取り付けられていたナンバープレートとローレル賞受賞記念プレートも同所に保管されている。

脚注

  1. ^ 『6000が走る 紅いほっぺの電車30年の記録』75p ― 大阪市交通局互助組合鉄道研究部 著 1999年11月(平成11年)
  2. ^ 冷房改造後もパンタグラフ取付部のみモニター屋根が残された。
  3. ^ 鉄道ファン』1977年10月号 p.57
  4. ^ 同時に側面幕板部に設置されていたシンボルマーク入りプレートは撤去された。
  5. ^ 車体更新を受けた車両は更新時に銀色に塗装されている。
  6. ^ 日本では前年1968年製造開始の都営地下鉄6000形に次いで2例目の採用であった。
  7. ^ 60系のアルミ軽量車体では天井に設置する冷房装置の荷重に耐えられないと判断されたため冷房化は長らく見送られていた。技術の進歩により冷房装置が軽量化されたため冷房化が実現している。冷房化にあたっては6001Fを川崎重工に送りテストを行い、問題がないことを確認の上行われている。なお、当時の大阪市営地下鉄は車両の制御装置から排出される熱に加え、冷房装置から排出される熱がトンネル内に溜まるという理由で、冷房車の新規投入は発熱量の少ない電機子チョッパ制御を採用した御堂筋線向けの10系と、やはり発熱量の少ないVVVFインバータ制御を採用した中央線向けの20系に限られ、むしろ駅とトンネルの冷房化に精力的であったが、堺筋線は架空線式でトンネル断面に余裕があったため、これが理由ではない。
  8. ^ 冷房装置の形態および冷凍能力は阪急の車両と同様であった。
  9. ^ 更新当時の第1編成の基本6両編成は冷房化のみ (車椅子スペースなし) と、後から8両編成化の為に増結された6101・6201は冷房化+内装更新 (営団と同じ、小型ガラスドアのままで、ガラスに車椅子マークが貼られた。) と、更新差がでていた。が、この2回目のリニューアル工事で、内装を増結車に合わせた上で、ドアを通常の縦長ガラス、基本6両編成のドアガラスに車椅子マーク貼り付けが行われた。
  10. ^ 但し、6100形 (2号車) と、6200形 (3号車) は、1992~1993年にかけての8両編成化用増結車の為、3番ドア付近の2番ドア寄りに車椅子スペースが設置されていた。
  11. ^ 投入線区の路線番号(堺筋線は6号線)に由来している。
  12. ^ 落成日(全て1969年):10月1日→第02・03編成、10月2日→第04・16編成、10月3日→第05・09編成、10月4日→第04・16編成、10月11日→第10編成、10月20日→第17編成、10月21日→第18編成、10月29日→第06・11編成、11月4日→第12編成、11月10日→第07編成、11月21日→第13編成、11月24日→第08編成、11月26日→第14編成。
  13. ^ 解体されたのは翌2004年(平成16年)の3月であった。
  14. ^ これまでの100周年記念イベント - 大阪市交通局

参考文献

書籍

  • 赤松義夫・諸河久『日本の私鉄18 大阪市営地下鉄』保育社、1982年。 
  • 企画 飯島巌 解説 吉谷和典・鹿島雅美 写真 諸河久『私鉄の車両16 大阪市交通局』保育社、1986年。 

雑誌記事

  • 藤井信夫「大阪市営地下鉄 車両の歴史」『鉄道ピクトリアル2004年3月臨時増刊号』第744巻、電気車研究会、2004年3月、132 - 139頁。 
  • 石本隆一「現有車両プロフィール」『鉄道ピクトリアル2004年3月臨時増刊号』第744巻、電気車研究会、2004年3月、154 - 179頁。 
  • 石本隆一「大阪市交通局 車歴表」『鉄道ピクトリアル2004年3月臨時増刊号』第744巻、電気車研究会、2004年3月、186 - 204頁。