コンテンツにスキップ

「モアテン・オルセン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Taka382 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
20行目: 20行目:
|代表年1=1970-1989<ref>{{Cite news|title=Morten Olsen - Century of International Appearances|publisher=The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation|url=http://www.rsssf.com/miscellaneous/olsen-intl.html|language=英語}}</ref>|代表1={{DENf}}|代表出場1=102
|代表年1=1970-1989<ref>{{Cite news|title=Morten Olsen - Century of International Appearances|publisher=The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation|url=http://www.rsssf.com/miscellaneous/olsen-intl.html|language=英語}}</ref>|代表1={{DENf}}|代表出場1=102
|代表得点1=4
|代表得点1=4
|監督年1=1989-1992|監督チーム1={{flagicon|DEN}} [[ブレンビーIF]]
|監督年2=1992-1994|監督チーム2={{flagicon|GER}} [[1.FCケルン]]
|監督年3=1997-1998|監督チーム3={{flagicon|NED}} [[アヤックス・アムステルダム]]
|監督年4=2000-2015|監督チーム4={{flagicon|DEN}} [[サッカーデンマーク代表|デンマーク代表]]
}}
}}

'''モアテン・オルセン'''(Morten Per Olsen, [[1949年]][[8月14日]] - )は[[デンマーク]]出身の元同国代表[[サッカー|サッカー選手]]、ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|DF]](リベロ)。
'''モアテン・オルセン'''(Morten Per Olsen, [[1949年]][[8月14日]] - )は[[デンマーク]]出身の元同国代表[[サッカー|サッカー選手]]、ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|DF]](リベロ)。


29行目: 32行目:
[[サッカーデンマーク代表|デンマーク代表]]では名将、[[ゼップ・ピオンテック]]監督の下で主将を務め、ダニッシュ・ダイナマイトと評された攻撃的なチームを守備の面から支え、80年代の同国の躍進に大きく貢献した。
[[サッカーデンマーク代表|デンマーク代表]]では名将、[[ゼップ・ピオンテック]]監督の下で主将を務め、ダニッシュ・ダイナマイトと評された攻撃的なチームを守備の面から支え、80年代の同国の躍進に大きく貢献した。


1989年に39歳で現役引退すると直ぐに指導者の道を歩み、[[ブレンビーIF]]や[[アヤックス・アムステルダム|アヤックス]]で監督を務めた後、2000年にデンマーク代表の監督に就任する。[[ヨン・ダール・トマソン]]、[[イェスパー・グレンケア]]らを擁する好チームを作り上げ、2002年の[[2002 FIFAワールドカップ|ワールドカップ日韓大会]]と2004年の[[UEFA EURO 2004|UEFA EURO]]では本大会に進出し、共に決勝トーナメントに導いたが、2006年の[[2006 FIFA ワールドカップ|ワールドカップドイツ大会]]欧州予選ではウクライナやトルコ、ギリシャといった強豪が集う死のグループに属し予選3位の結果に終わっている
1989年に39歳で現役引退すると直ぐに指導者の道を歩み、[[ブレンビーIF]]や[[アヤックス・アムステルダム|アヤックス]]で監督を務めた後、2000年にデンマーク代表の監督に就任する。[[ヨン・ダール・トマソン]]、[[イェスパー・グレンケア]]らを擁する好チームを作り上げ、2002年の[[2002 FIFAワールドカップ|ワールドカップ日韓大会]]と2004年の[[UEFA EURO 2004|UEFA EURO]]では本大会に進出し、共に決勝トーナメントに導いたが、2006年の[[2006 FIFA ワールドカップ|ワールドカップドイツ大会]]欧州予選ではウクライナやトルコ、ギリシャといった強豪が集う死のグループに属し予選3位の結果に終わっ

[[2010年]]の[[2010 FIFAワールドカップ|ワールドカップ南アフリカ大会]]ではベテラン選手を中心としたチームを編成し[[サッカーオランダ代表|オランダ]][[サッカー日本代表|日本]][[サッカーカメルーン代表|カメルーン]]からなるグループEで3位に終わった。

[[2012年]]の[[UEFA EURO 2012|ヨーロッパ選手権ウクライナ・ポーランド大会]]では[[サッカードイツ代表|ドイツ]]、[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]、[[サッカーオランダ代表|オランダ]]からなるグループBで3位に終わった。

[[2015年]][[3月17日]]に[[UEFA EURO 2016|2016年ヨーロッパ選手権フランス大会]]後に監督職から引退することを表明した。

最終的に[[UEFA EURO 2016予選|2016年ヨーロッパ選手権フランス大会予選]]のプレーオフで[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン代表]]を相手に敗戦し、本大会出場権を逃した直後に監督職から引退した。


15年間代表監督を務めたオルセンは[[サッカーデンマーク代表|デンマーク代表]]の歴史上最も長く代表監督を務めた人物である(2位は同職を11年間務めた[[ゼップ・ピオンテック]])。
引き続き指揮した2010年の[[2010 FIFAワールドカップ|ワールドカップ南アフリカ大会]]ではベテラン選手を中心としたチームを編成しオランダ、日本、カメルーンからなるグループEで3位に終わった。


== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==
48行目: 59行目:
== タイトル ==
== タイトル ==
'''クラブ'''
'''クラブ'''
* [[ジュピラーリーグ|ベルギーリーグ]]:3回 (1980-81, 1984-85, 1985-86)
* [[ジュピラーリーグ|ベルギーリーグ]]'''優勝''':3回 (1980-81, 1984-85, 1985-86)
* [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]:1回 (1982-83)
* [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]'''優勝''':1回 (1982-83)
* [[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ・ブンデスリーガ]]準優勝:1回 (1988-89)


'''監督'''
'''監督'''
* [[デンマーク・スーペルリーガ]]:2回 (1990, 1991)
* [[デンマーク・スーペルリーガ]]'''優勝''':2回 (1990, 1991)
* [[エールディヴィジ]]:1回 (1997-98)
* [[エールディヴィジ]]'''優勝''':1回 (1997-98)
* [[KNVBカップ|オランダカップ]]:1回 (1997-98)
* [[KNVBカップ|オランダカップ]]'''優勝''':1回 (1997-98)


'''個人'''
'''個人'''

2017年5月12日 (金) 02:03時点における版

モアテン・オルセン
名前
ラテン文字 Morten Per Olsen
基本情報
国籍  デンマーク
生年月日 (1949-08-14) 1949年8月14日(74歳)
出身地 ボアシングボア
身長 183cm
体重 74kg
選手情報
ポジション DF
代表歴
1970-1989[1] デンマークの旗 デンマーク 102 (4)
監督歴
チーム
1989-1992 デンマークの旗 ブレンビーIF
1992-1994 ドイツの旗 1.FCケルン
1997-1998 オランダの旗 アヤックス・アムステルダム
2000-2015 デンマークの旗 デンマーク代表
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

モアテン・オルセン(Morten Per Olsen, 1949年8月14日 - )はデンマーク出身の元同国代表サッカー選手、ポジションはDF(リベロ)。

略歴

現役時代はベルギーのRSCアンデルレヒトなどに所属し「世界最高のリベロ」と評された世界屈指のセンターバックであった。同胞のアラン・シモンセンと比べると大器晩成型の選手で30代を過ぎてから世界的に注目されるようになった。

デンマーク代表では名将、ゼップ・ピオンテック監督の下で主将を務め、ダニッシュ・ダイナマイトと評された攻撃的なチームを守備の面から支え、80年代の同国の躍進に大きく貢献した。

1989年に39歳で現役引退すると直ぐに指導者の道を歩み、ブレンビーIFアヤックスで監督を務めた後、2000年にデンマーク代表の監督に就任する。ヨン・ダール・トマソンイェスパー・グレンケアらを擁する好チームを作り上げ、2002年のワールドカップ日韓大会と2004年のUEFA EUROでは本大会に進出し、共に決勝トーナメントに導いたが、2006年のワールドカップドイツ大会欧州予選ではウクライナやトルコ、ギリシャといった強豪が集う死のグループに属し予選3位の結果に終わった。

2010年ワールドカップ南アフリカ大会ではベテラン選手を中心としたチームを編成しオランダ日本カメルーンからなるグループEで3位に終わった。

2012年ヨーロッパ選手権ウクライナ・ポーランド大会ではドイツポルトガルオランダからなるグループBで3位に終わった。

2015年3月17日2016年ヨーロッパ選手権フランス大会後に監督職から引退することを表明した。

最終的に2016年ヨーロッパ選手権フランス大会予選のプレーオフでスウェーデン代表を相手に敗戦し、本大会出場権を逃した直後に監督職から引退した。

15年間代表監督を務めたオルセンはデンマーク代表の歴史上最も長く代表監督を務めた人物である(2位は同職を11年間務めたゼップ・ピオンテック)。

所属クラブ

指導歴

タイトル

クラブ

監督

個人

  • デンマーク年間最優秀選手:2回 (1983, 1986)

出典