「岡﨑太一」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
60行目: | 60行目: | ||
:[[3月25日]]には、中日との開幕戦([[京セラドーム大阪]])に「8番・捕手」としてスタメン出場。阪神生え抜きの捕手としては球団史上最も遅い入団12年目で、初めて一軍開幕戦のスタメンマスクを任された<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20160325/tig16032505020006-n1.html 12年目の岡崎、虎生え抜き最遅開幕マスクに「ガチガチ」](『[[サンケイスポーツ]]』[[2016年]][[3月25日]]付記事)</ref>。この試合で一軍公式戦自身4年振りの安打を記録<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1622053.html 超楽しい!阪神金本野球 開幕黒星もワクワク采配](『[[日刊スポーツ]]』[[2016年]][[3月26日]]付記事)</ref>すると、翌[[3月26日|26日]]の同カードでは、適時打によって自身7年(2545日)振りの打点を挙げた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/03/26/kiji/K20160326012287570.html 阪神 岡崎が7年ぶりの打点「打つのは二の次だけど…」 ](『[[スポーツニッポン]]』[[2016年]][[3月26日]]付記事)</ref>。[[4月10日]]の対巨人戦(東京ドーム)では、5回表1死満塁の打席で放った2点二塁打によって、一軍公式戦自身初の長打を記録<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1628244.html 阪神岡崎12年目初長打「恥ずかしい…書かないで」](『[[日刊スポーツ]]』[[2016年]][[4月7日]]付記事)</ref>。打力で勝る[[原口文仁]]が一軍の正捕手に抜擢された5月以降も、[[ランディ・メッセンジャー]]や能見が先発する試合を中心に、随時スタメンへ起用されていた。しかし、[[7月12日]]の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦([[長野オリンピックスタジアム]])で左手の有鉤骨を骨折。[[7月14日|14日]]に出場選手登録を抹消されると、[[7月15日|15日]]に骨折部分の除去手術を受けた<ref>[http://www.daily.co.jp/tigers/2016/07/16/0009289007.shtml 金本虎に激痛…岡崎が左手有鉤骨骨折で手術、今季絶望も](『[[デイリースポーツ]]』[[2016年]][[7月16日]]付記事)</ref>。 |
:[[3月25日]]には、中日との開幕戦([[京セラドーム大阪]])に「8番・捕手」としてスタメン出場。阪神生え抜きの捕手としては球団史上最も遅い入団12年目で、初めて一軍開幕戦のスタメンマスクを任された<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20160325/tig16032505020006-n1.html 12年目の岡崎、虎生え抜き最遅開幕マスクに「ガチガチ」](『[[サンケイスポーツ]]』[[2016年]][[3月25日]]付記事)</ref>。この試合で一軍公式戦自身4年振りの安打を記録<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1622053.html 超楽しい!阪神金本野球 開幕黒星もワクワク采配](『[[日刊スポーツ]]』[[2016年]][[3月26日]]付記事)</ref>すると、翌[[3月26日|26日]]の同カードでは、適時打によって自身7年(2545日)振りの打点を挙げた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/03/26/kiji/K20160326012287570.html 阪神 岡崎が7年ぶりの打点「打つのは二の次だけど…」 ](『[[スポーツニッポン]]』[[2016年]][[3月26日]]付記事)</ref>。[[4月10日]]の対巨人戦(東京ドーム)では、5回表1死満塁の打席で放った2点二塁打によって、一軍公式戦自身初の長打を記録<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1628244.html 阪神岡崎12年目初長打「恥ずかしい…書かないで」](『[[日刊スポーツ]]』[[2016年]][[4月7日]]付記事)</ref>。打力で勝る[[原口文仁]]が一軍の正捕手に抜擢された5月以降も、[[ランディ・メッセンジャー]]や能見が先発する試合を中心に、随時スタメンへ起用されていた。しかし、[[7月12日]]の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦([[長野オリンピックスタジアム]])で左手の有鉤骨を骨折。[[7月14日|14日]]に出場選手登録を抹消されると、[[7月15日|15日]]に骨折部分の除去手術を受けた<ref>[http://www.daily.co.jp/tigers/2016/07/16/0009289007.shtml 金本虎に激痛…岡崎が左手有鉤骨骨折で手術、今季絶望も](『[[デイリースポーツ]]』[[2016年]][[7月16日]]付記事)</ref>。 |
||
:8月にウエスタン・リーグ公式戦で実戦に復帰したが、自身の戦線離脱中に新人の[[坂本誠志郎]]が一軍に抜擢されたことなどから、一軍への復帰までには至らなかった。しかし、一軍公式戦全体では、自己最多の38試合に出場。打率は.200ながら、安打数(13)・打点(5)・犠打(3)などで自己記録を更新したほか、一軍初の犠飛や盗塁も記録した。 |
:8月にウエスタン・リーグ公式戦で実戦に復帰したが、自身の戦線離脱中に新人の[[坂本誠志郎]]が一軍に抜擢されたことなどから、一軍への復帰までには至らなかった。しかし、一軍公式戦全体では、自己最多の38試合に出場。打率は.200ながら、安打数(13)・打点(5)・犠打(3)などで自己記録を更新したほか、一軍初の犠飛や盗塁も記録した。 |
||
'''{{by|2017年}}''' |
|||
:2年連続で開幕一軍入りを果たすと、開幕戦からしばらくスタメンマスクを梅野に譲りながらも、一軍公式戦に随時スタメンで出場。「8番・捕手」としてスタメンに起用された甲子園球場での対[[北海道日本ハムファイターズ]]3連戦([[6月2日]] - [[6月4日|4日]])では、第2戦([[6月3日|3日]])以降のチームの2連勝に貢献したことから、2日連続で試合後にヒーローインタビューを受けた。第2戦4回裏の打席で逆転の2点本塁打<ref name="osozaki">[https://www.nikkansports.com/baseball/news/1834700.html 岡崎13年目1号がV弾 金本監督も「あぜん」](『[[日刊スポーツ]]』[[2017年]][[6月4日]]付記事)</ref>、4日の最終戦延長11回裏1死満塁で迎えた打席でサヨナラ安打<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/1834687.html 阪神岡崎延長サヨナラ打!マテオ5勝 日本ハム連敗](『[[日刊スポーツ]]』[[2017年]][[6月4日]]付記事)</ref>を放ったことによる。阪神での実働13年目に放った第2戦の本塁打は、NPBの一軍公式戦に出場した野手の実働年数では2番目、打席に立った経験のある投手を含めれば3番目に遅い初本塁打であった<ref name="osozaki" />。 |
|||
== 選手としての特徴 == |
== 選手としての特徴 == |
2017年6月4日 (日) 10:39時点における版
阪神タイガース #57 | |
---|---|
2009年8月28日、ナゴヤ球場にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 奈良県五條市 |
生年月日 | 1983年6月20日(41歳) |
身長 体重 |
180 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2004年 自由獲得枠 |
初出場 | 2009年4月4日 |
年俸 | 1,300万円(2017年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
岡﨑 太一(おかざき たいち、1983年6月20日 - )は、阪神タイガースに所属する奈良県五條市出身のプロ野球選手(捕手)。
経歴
プロ入り前
小学生時代、「牧野ジュニアーズ」で野球を始めて以降、常に捕手を務める。智弁学園高校時代は秦裕二とバッテリーを組み2001年の第73回選抜高等学校野球大会、第83回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場し、夏は16強入りに貢献。
高校卒業後は社会人野球の松下電器に入社。後にプロでもチームメイトとなる久保康友とバッテリーを組み、強肩を武器に活躍。2004年のプロ野球ドラフト会議において自由獲得枠で阪神に入団。
プロ入り後
- ウエスタン・リーグ公式戦48試合に出場。二軍の捕手では狩野恵輔に次いで出場機会が多く、打率.290, 出塁率.360という好成績を残した。また、通算で29本の安打のうち、二塁打を4本、三塁打・本塁打を2本ずつ放った。その一方で、マスクを被った9月25日の対中日ドラゴンズ戦では、中日の打者・幕田賢治が空振りから振り戻したバットが右肩を直撃。乱闘騒ぎにまで発展したが、右肩は後に完治している。
- 前年に続いて、ウエスタン・リーグの公式戦で、狩野に次ぐ64試合に出場。規定試合数に達した捕手ではリーグ唯一の無失策だった。打撃面では、前年を上回る4本塁打を放った一方で、打率や出塁率などが前年を下回った。
- ウエスタン・リーグ公式戦54試合に出場したが、ほとんどの面で前年より打撃成績を落とした。守備面でも清水誉・橋本良平の両新人が積極的に起用されたため、捕手としての出場は20試合で、一塁手としての起用も多かった。シーズン終了後には、12月1日に結婚する一方で、背番号を「57」に変更している。
- 前年まで捕手だった浅井良の外野コンバートや、故障による狩野の出遅れなどを背景に、ウエスタン・リーグ公式戦41試合に出場。しかし、清水が正捕手格として定着したため、捕手としての出場は23試合にとどまった。また、前年に続いて、打率が2割台の前半で低迷した。
- 松下電器時代にバッテリーを組んでいた久保が千葉ロッテマリーンズから移籍。岡﨑自身も、一軍の正捕手・矢野輝弘が故障で開幕に間に合わなかったことなどを背景に、プロ入り後初めて開幕を一軍で迎えた。4月4日に、東京ヤクルトスワローズとの開幕カード第2戦(京セラドーム大阪)で、スタメンマスクの狩野に代わる2番手捕手として一軍デビュー。同月7日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)では、移籍後初登板・初先発の久保とのバッテリーでスタメンに起用されると、一軍初安打を含む猛打賞と一軍初打点を達成した。シーズン通算では、一軍公式戦12試合の出場で打率.357を記録。ウエスタン・リーグ公式戦でも、47試合の出場で、打率.320、1本塁打、17打点という成績を残した。
- シアトル・マリナーズから移籍した城島健司が一軍の正捕手に定着。矢野に加えて、小宮山慎二も第3捕手として一軍のベンチに入る機会が増えた影響で、岡﨑に一軍昇格の機会はなかった。ウエスタン・リーグ公式戦では、56試合の出場で打率.262、2本塁打、13打点という成績を残した。
- FA権の行使によって移籍した藤井彰人が、故障で戦線を離脱した城島に代わって一軍の正捕手に定着。小宮山も第2捕手として出場機会を増やしたため、岡﨑は7試合にしか出場できなかった。ウエスタン・リーグ公式戦には25試合へ出場。打数は少ないながらも、打率.392(51打数20安打)、1本塁打、7打点を記録した。
- 前年に続いて、一軍の正捕手に藤井、第2捕手に小宮山を起用。シーズン中に捕手の今成亮太が北海道日本ハムファイターズから移籍したこともあって、岡﨑の一軍公式戦出場は19試合にとどまった。ウエスタン・リーグ公式戦では、32試合の出場で打率.221、4打点という成績を残した。
- 日高剛がFA権の行使によって移籍したため、一軍の捕手陣を「正捕手・藤井、第2捕手・日高」という布陣に変更。シーズン中に日高が故障で一軍を離れてからは、清水誉が第2捕手として一軍に定着した。この影響で、岡﨑には3年振りに一軍公式戦への出場機会がなかった。ウエスタン・リーグ公式戦でも、38試合の出場で打率.152、2打点にとどまった。
- 久保のFA移籍に伴う補償措置で加入した鶴岡一成や、新人の梅野隆太郎が一軍に定着。いずれも藤井と併用されたため、岡﨑には2年続けて一軍昇格の機会がなかった。さらに、ウエスタン・リーグ公式戦でも、一軍での実績が岡﨑を上回る小宮山が正捕手格として起用。岡﨑は、途中出場を中心に46試合(捕手としては29試合)へ出場するとともに、打率.244、1本塁打、7打点という成績を残した。
- 一軍で開幕からスタメンマスクを任されながら不調に陥った梅野に代わって、5月3日に出場選手登録を果たした。翌4日の対中日戦(甲子園)に、2番手捕手として3シーズン振りに一軍公式戦へ出場。打席にも1回立ったが、2日後の6日に登録を抹消されたため、一軍公式戦への出場はこの試合だけにとどまった。その一方で、ウエスタン・リーグ公式戦では、30試合の出場で打率.286を記録した。
- 前年の秋季キャンプでの動きが新任の首脳陣に高く評価されたことから、春季キャンプを一軍の「沖縄組」でスタート。正捕手格[2]で自身7年振りの開幕一軍入りを果たした。
- 3月25日には、中日との開幕戦(京セラドーム大阪)に「8番・捕手」としてスタメン出場。阪神生え抜きの捕手としては球団史上最も遅い入団12年目で、初めて一軍開幕戦のスタメンマスクを任された[3]。この試合で一軍公式戦自身4年振りの安打を記録[4]すると、翌26日の同カードでは、適時打によって自身7年(2545日)振りの打点を挙げた[5]。4月10日の対巨人戦(東京ドーム)では、5回表1死満塁の打席で放った2点二塁打によって、一軍公式戦自身初の長打を記録[6]。打力で勝る原口文仁が一軍の正捕手に抜擢された5月以降も、ランディ・メッセンジャーや能見が先発する試合を中心に、随時スタメンへ起用されていた。しかし、7月12日の対東京ヤクルトスワローズ戦(長野オリンピックスタジアム)で左手の有鉤骨を骨折。14日に出場選手登録を抹消されると、15日に骨折部分の除去手術を受けた[7]。
- 8月にウエスタン・リーグ公式戦で実戦に復帰したが、自身の戦線離脱中に新人の坂本誠志郎が一軍に抜擢されたことなどから、一軍への復帰までには至らなかった。しかし、一軍公式戦全体では、自己最多の38試合に出場。打率は.200ながら、安打数(13)・打点(5)・犠打(3)などで自己記録を更新したほか、一軍初の犠飛や盗塁も記録した。
- 2年連続で開幕一軍入りを果たすと、開幕戦からしばらくスタメンマスクを梅野に譲りながらも、一軍公式戦に随時スタメンで出場。「8番・捕手」としてスタメンに起用された甲子園球場での対北海道日本ハムファイターズ3連戦(6月2日 - 4日)では、第2戦(3日)以降のチームの2連勝に貢献したことから、2日連続で試合後にヒーローインタビューを受けた。第2戦4回裏の打席で逆転の2点本塁打[8]、4日の最終戦延長11回裏1死満塁で迎えた打席でサヨナラ安打[9]を放ったことによる。阪神での実働13年目に放った第2戦の本塁打は、NPBの一軍公式戦に出場した野手の実働年数では2番目、打席に立った経験のある投手を含めれば3番目に遅い初本塁打であった[8]。
選手としての特徴
二塁への送球で1.86秒を計測するほどの強肩が武器。その一方で、阪神への入団直後から、打力の低さを指摘されてきた[10]。
2015年の秋季キャンプでは、一軍監督に就任したばかりの元チームメイト・金本知憲の指導で、十分に間を取ってからボールを弾き返す打法を体得[11]。2016年の春季キャンプでは、「(以前とは)明らかに別人」と監督に評価される[12]ほどにまで打力を高めている[11]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | 阪神 | 14 | 16 | 14 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | .357 | .438 | .357 | .795 |
2011 | 7 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2012 | 19 | 13 | 10 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | .100 | .100 | .182 | .282 | |
2015 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2016 | 38 | 76 | 65 | 4 | 13 | 3 | 0 | 0 | 16 | 5 | 1 | 0 | 3 | 1 | 7 | 0 | 0 | 16 | 0 | .200 | .274 | .246 | .520 | |
NPB:5年 | 79 | 110 | 94 | 8 | 19 | 3 | 0 | 0 | 22 | 6 | 1 | 0 | 5 | 1 | 8 | 1 | 2 | 22 | 1 | .202 | .276 | .234 | .510 |
- 2016年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
捕手 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
捕 逸 |
企 図 数 |
許 盗 塁 |
盗 塁 刺 |
阻 止 率 | |
2009 | 12 | 48 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 5 | 2 | 3 | .600 |
2011 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 |
2012 | 18 | 35 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 2 | 1 | 1 | .500 |
2015 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- |
2016 | 38 | 212 | 16 | 0 | 3 | 1.000 | 1 | 8 | 6 | 2 | .250 |
通算5年 | 71 | 303 | 20 | 0 | 3 | 1.000 | 1 | 16 | 10 | 6 | .375 |
- 2016年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2009年4月4日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(京セラドーム大阪)、7回表に狩野恵輔に代わり捕手で出場
- 初先発出場:2009年4月7日、対広島東洋カープ1回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手で先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回裏に大竹寛から右前安打
- 初打点:同上、7回裏に林昌樹から中前適時打
- 初盗塁:2016年4月22日、対広島東洋カープ4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に二盗(投手:オスカル、捕手:會澤翼)
- 初本塁打:2017月6月3日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(阪神甲子園球場) 、4回裏にルイス・メンドーサから左越2ラン [13]
背番号
- 27 (2005年 - 2007年)
- 57 (2008年 - )
登場曲
- 「夢のツバサ」- 秋休(2009年)
- 「突っ走れっ!」- 秋休(2010年)
- 「ゴールデンタイムラバー」- スキマスイッチ(2011年)
- 「サンキュー!!」[14] - HOME MADE 家族(2016年)
脚注
- ^ 阪神岡崎450万円アップ「若い捕手に負けない」 - 野球日刊スポーツ、2016年11月17日閲覧。
- ^ 12年目岡崎、正捕手候補に急浮上(『デイリースポーツ』2016年2月18日付記事)
- ^ 12年目の岡崎、虎生え抜き最遅開幕マスクに「ガチガチ」(『サンケイスポーツ』2016年3月25日付記事)
- ^ 超楽しい!阪神金本野球 開幕黒星もワクワク采配(『日刊スポーツ』2016年3月26日付記事)
- ^ 阪神 岡崎が7年ぶりの打点「打つのは二の次だけど…」 (『スポーツニッポン』2016年3月26日付記事)
- ^ 阪神岡崎12年目初長打「恥ずかしい…書かないで」(『日刊スポーツ』2016年4月7日付記事)
- ^ 金本虎に激痛…岡崎が左手有鉤骨骨折で手術、今季絶望も(『デイリースポーツ』2016年7月16日付記事)
- ^ a b 岡崎13年目1号がV弾 金本監督も「あぜん」(『日刊スポーツ』2017年6月4日付記事)
- ^ 阪神岡崎延長サヨナラ打!マテオ5勝 日本ハム連敗(『日刊スポーツ』2017年6月4日付記事)
- ^ プロ野球 - 阪神タイガース - 岡﨑 太一 - スポーツナビ スポーツナビ、2014年10月3日。
- ^ a b 阪神岡崎、正妻奪取へ猛アピール 実戦6の5&鬼肩日刊スポーツ 2016年2月12日
- ^ 金本監督【練習後の一問一答】サンケイスポーツ 2016年2月11日
- ^ [阪神岡崎初本塁打]
- ^ 阪神の選手では、現在のチームメイトでもある鳥谷敬が、2006年に登場曲として使用。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 岡﨑太一 - NPB.jp 日本野球機構