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'''ナザレのヨセフ'''ないし'''イオシフ'''<ref>ダヴィド水口優明 編著『正教会の手引』[[日本ハリストス正教会教団]] 全国宣教企画委員会、2004年、2013年改訂、191頁。</ref>({{lang-he|יוֹסֵף}}, {{lang-el|Ἰωσήφ}})は、[[新約聖書]]に登場する[[聖母マリア|マリア]]の婚約者、夫にして[[イエス・キリスト|イエス]]の養父。職業は[[大工]]<ref>木材加工業者([[佐藤研]]「イエス」『岩波キリスト教辞典』[[岩波書店]]、2002年、66頁)</ref>であったという<ref>『マタイ』13:55</ref>。[[カトリック教会]]、[[正教会]]、[[東方教会]]、[[聖公会]]及び[[ルーテル教会]]で崇敬されている。カトリック教会では、労働者の守護聖人とされ、幾つかの祝日がある。また、[[1870年]]に[[教皇]][[ピウス9世]]により、[[カトリック教会]]や幾つかの国家・地域の守護者であると宣言された。祝日(記憶日)は[[3月19日]]。 |
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2017年6月30日 (金) 01:30時点における版
ナザレのヨセフ | |
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![]() 聖ヨセフと幼子イエズス、グイド・レーニ (1635年) | |
死没 | ナザレ (伝承) |
記念日 | 3月19日 - マリアの浄配聖ヨセフの祝日(西方教会)・5月1日労働者聖ヨセフ(カトリック教会)・クリスマス後の日曜日(東方教会) |
象徴 | 鉋、大工道具、幼子イエス、百合の花 |
守護対象 | 教会、胎児、父親、移民、労働者、疑惑と躊躇に対して、幸福な死、及びベトナム、フィリピン、その他の国家:[1]を参照 |
ナザレのヨセフないしイオシフ[1](ヘブライ語: יוֹסֵף, ギリシア語: Ἰωσήφ)は、新約聖書に登場するマリアの婚約者、夫にしてイエスの養父。職業は大工[2]であったという[3]。カトリック教会、正教会、東方教会、聖公会及びルーテル教会で崇敬されている。カトリック教会では、労働者の守護聖人とされ、幾つかの祝日がある。また、1870年に教皇ピウス9世により、カトリック教会や幾つかの国家・地域の守護者であると宣言された。祝日(記憶日)は3月19日。
概要
『マタイによる福音書』(以下『マタイ』)によれば、ヨセフはダビデ家の子孫であり、父はヤコブという人物である。だが、『ルカによる福音書』(以下、「ルカ」とする。)にみられる家系図ではヨセフの父はエリという名前であることになっている[4]。
ヨセフは「義しい人」であったと『マタイ』はいう。彼は婚約者のマリアが孕んでいることを知ると、律法に忠実な義人であればマリアを不義姦通として世間に公表した上で離縁するところだが、そうせずひそかに縁を切ろうとした。が、『マタイ』では夢にあらわれた天使の受胎告知によってマリアと結婚した。『マタイ』及び『ルカ』ではマリアは聖霊によって身篭ったとあるため、ヨセフは伝統的に「イエスの父」ではなく「イエスの養父」と表現される。
また、このことは、旧約における同名の、ヤコブの子ヨセフの出生に由来する。ヨセフのヘブライ語の意味は、「加えるように」。彼の母は、彼を生むと「神がわたしの恥をすすいでくださった」(創世記30:23)と言い、「主がわたしにもう一人の男の子を加えてくださいますように」と願ったので、その子をヨセフと名づけた(創世記30:24)。このエピソードは、新約に至って、ヨセフが母マリアの恥をすすぎ、実子ではない一人の男の子を加える根拠となった。
現代の革新的キリスト教では、史的イエス(ナザレのイエス)の重視に伴い、イエスはマリアがレイプされたことにより生まれた私生児であることを認めている[要出典]が、いずれにせよヨセフが養父であることに変わりない[5]。
『マタイ』によれば、イエスがユダヤのベツレヘムで生まれたあと、ヘロデ大王によって幼児殺害の命令が出たため、天使の警告に従って、ヨセフは妻と子を連れてエジプトに避難する。ヘロデ大王の死後、夢に現れた天使のお告げに従い、エジプトから戻ってくるが、ヘロデ大王の子アルケラオスが治めるユダヤを避け[6]、同じヘロデの息子でもまだましなアンティパスが治めるガリラヤのナザレに行き、そこで暮らした。
ただし、旧約聖書にはナザレという地名は登場しない。ヤコブが息子ヨセフに「ナザレ人(ナジル人、聖別された人)となるよう」死の床で伝えた[7]ことが成就するために、新約聖書の時代に至ってナザレに向かったのである[8]。
『ルカ』では、もともとヨセフはナザレの人であったが、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に行われた住民登録のために身重の妻とベツレヘムへ赴いたことになっている。また、イエスが12歳のときに行われた過越祭のためエルサレムへ旅をした際、行方不明になったイエスをマリアと共に捜し、3日後にエルサレム神殿で学者たちと討論を展開している少年イエスを発見し、ナザレに連れ戻している。
各福音書には、養父ヨセフの人生の終わりに関する記録はない[9]が、伝承によれば、イエスが公生活を開始する直前に亡くなったという。
労働者の守護聖人であり、大工であったヨセフの像はしばしば大工道具を手に持っていることがある。
福音書の記述には、マリアとヨセフの子として、イエスのほかにヤコブ、ヨセフ、ユダ、シモンの4人と2人の女子の名前が上げられているが、カトリックではアラム語の慣用から甥・姪だったとする説が主流である。これらの人物がヨセフの子だとする場合も、母が誰かについては議論があり、伝統的に東方教会ではヨセフと前妻との間の子だと考えている。プロテスタント教会は、多くイエスと同じくマリアの子どもたちだとする。この問題は、カトリックのユダヤ教における言葉の時代的背景を考慮(当時のヘブライ語、アラマイ語(アラム語)には、兄弟、従兄弟も同じ言葉が使用されており、新約聖書の他の箇所に於いて、それがわかる)、逐語的に訳すプロテスタントにそれがないということだと思われる。
ヨーロッパの絵画ではヨセフはしばしば老人として描かれるが、これはマリアの間に肉体関係がなかったことを強調するために、ヨセフを生殖能力のない高齢男性としたものと考えられる。また、養父という立ち位置のため彼を重要視してしまえば信仰に多大な支障をきたすおそれがあるため長い間彼はキリスト教世界において重要視されず、列聖には長い年月を要した。
ギャラリー
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ヨセフとヨアキム、デューラー、1504年
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At work in the Mérode Altarpiece, 1420s
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レンブラント「聖ヨセフの夢」1645年
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聖処女の婚姻、ペルジーノ、1448年
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神殿奉献, バルトーロ・ディ・フレディ、1388年
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逃避行の夢、ダニエーレ・クレスピ、1625年
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エジプト逃避行、ジョット・ディ・ボンドーネ、14世紀
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聖家族、クラウディオ・コエリョ、1650年
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ヨセフの戴冠、ファン・デ・バルデス、1670年
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聖家族と聖霊、ムリーリョ、1675-1682年
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聖ヨセフと幼子イエズス、クスコ派、18世紀
脚注
- ^ ダヴィド水口優明 編著『正教会の手引』日本ハリストス正教会教団 全国宣教企画委員会、2004年、2013年改訂、191頁。
- ^ 木材加工業者(佐藤研「イエス」『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2002年、66頁)
- ^ 『マタイ』13:55
- ^ 『マタイ』1:1-16、『ルカ』3:23-38。なお歴代ユダ王たちとの分岐点も違い『マタイ』ではヨシア王の王位を継がなかった息子から分岐するのに対し、『ルカ』ではダビデ王の王位を継がなかった息子から分かれたとされる。
- ^ 『ルカ』3:23などに「人々はイエスをヨセフの子だと思っていた」というような説明がある。
- ^ アルケラオスは領主としてかなり評判が悪く、最終的に紀元後6年、領地没収・ガリアへ流刑にされている(『ユダヤ戦記』第2巻、111-113節。『ユダヤ古代誌』第17巻342-343節)。
- ^ ヘブライ語『創世記』49:26
- ^ 『マタイ』2:23
- ^ そもそも、ヨセフ本人がイエスの弟子たちと顔を合わせる話がない。