コンテンツにスキップ

「梅本和義」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
4行目: 4行目:
[[東京都]]出身。1977年[[東京大学大学院理学系研究科]]修士課程数学専門課程を修了し<ref>[http://docs.s.u-tokyo.ac.jp/pub/%E5%AD%A6%E5%A4%96/Pro/%E7%90%86%E5%AD%A6%E7%B3%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%A7%91%E3%83%BB%E7%90%86%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/19770000_9_2.pdf 東京大学理学部 廣報]</ref>、外務省入省。
[[東京都]]出身。1977年[[東京大学大学院理学系研究科]]修士課程数学専門課程を修了し<ref>[http://docs.s.u-tokyo.ac.jp/pub/%E5%AD%A6%E5%A4%96/Pro/%E7%90%86%E5%AD%A6%E7%B3%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%A7%91%E3%83%BB%E7%90%86%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/19770000_9_2.pdf 東京大学理学部 廣報]</ref>、外務省入省。


1994年[[外務大臣官房]]総務課企画官、同年北米局[[日米安保条約]]課長、1997年経済局国際機関第一課長、1999年アジア局北東アジア課長、2001年[[アジア大洋州局]]北東アジア課長、同年[[総合外交政策局]]総務課長、同年[[在英国日本国大使館]][[公使]]、2004年[[外務省大臣官房]][[参事官]]兼[[中東アフリカ局]]、同年外務省大臣官房参事官兼北米局、2006年外務省大臣官房[[審議官]]兼北米局、2007年外務省大臣官房審議官兼[[総合外交政策局]]、2008年[[大使]]、2009年[[北米局]]長、2011年官房付を経て駐[[スイス]]特命全権大使兼駐[[リヒテンシュタイン]]特命全権大使、2012年[[内閣官房副長官補]](外政担当)兼外務省[[参与]]、2013年1月17日付で国際連合日本政府代表部(国連代表部)特命全権大使、次席代表に就任。2014年8月5日から駐[[イタリア]]特命全権大使。2014年10月21日兼駐[[アルバニア]]兼駐[[サンマリノ]]兼駐[[マルタ]]特命全権大使。
1994年[[外務大臣官房]]総務課企画官、同年北米局[[日米安保条約]]課長、1997年経済局国際機関第一課長、1999年アジア局北東アジア課長、2001年[[アジア大洋州局]]北東アジア課長、同年[[総合外交政策局]]総務課長、同年[[在英国日本国大使館]][[公使]]、2004年[[外務省大臣官房]][[参事官]]兼[[中東アフリカ局]]、同年外務省大臣官房参事官兼北米局、2006年外務省大臣官房[[審議官]]兼北米局、2007年外務省大臣官房審議官兼[[総合外交政策局]]、2008年[[大使]]、2009年[[北米局]]長、2011年官房付を経て駐[[スイス]]特命全権大使兼駐[[リヒテンシュタイン]]特命全権大使、2012年[[内閣官房副長官補]](外政担当)兼外務省[[参与]]、2013年1月17日付で国際連合日本政府代表部(国連代表部)特命全権大使、次席代表に就任。2014年8月5日から駐[[イタリア]]特命全権大使。2014年10月21日兼駐[[アルバニア]]兼駐[[サンマリノ]]兼駐[[マルタ]]特命全権大使。2017年7月7日[[環太平洋経済連携協定]](TPP)首席交渉官


在[[イギリス]]公使時代の2002年に[[平壌]]に派遣され[[日朝首脳会談]]の現地準備本部長を務め、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の被害者である[[蓮池薫]]や、[[横田めぐみ]]の娘[[キム・ウンギョン]]らと面会した<ref>日本経済新聞2002年</ref>。横田の娘に面会した際、梅本による本人確認が不十分だった(確認のためのカメラやテープレコーダーも所持していなかった)ことが判明し、横田の父・[[横田滋]]から批判された<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002091801000528.html | title = カメラ持たずに面会 外務省を家族が批判 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2002-09-18 | accessdate = 2013-11-01 }}</ref>。梅本は、「北朝鮮との交渉の結果、決まったやり方で面会が実現した。許されれば写真を撮り、髪やつめを持ってくればよかったが、私は1組約30分という限られた時間の中で、面会を最後まで終えることが重要と判断した」と述べ、北朝鮮側が付けた条件に沿って面会を行ったことを説明した<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002092401000066.html | title = 写真撮影や会話に制限 生存者面会の駐英公使 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2002-09-24 | accessdate = 2013-11-01 }}</ref>。
在[[イギリス]]公使時代の2002年に[[平壌]]に派遣され[[日朝首脳会談]]の現地準備本部長を務め、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の被害者である[[蓮池薫]]や、[[横田めぐみ]]の娘[[キム・ウンギョン]]らと面会した<ref>日本経済新聞2002年</ref>。横田の娘に面会した際、梅本による本人確認が不十分だった(確認のためのカメラやテープレコーダーも所持していなかった)ことが判明し、横田の父・[[横田滋]]から批判された<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002091801000528.html | title = カメラ持たずに面会 外務省を家族が批判 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2002-09-18 | accessdate = 2013-11-01 }}</ref>。梅本は、「北朝鮮との交渉の結果、決まったやり方で面会が実現した。許されれば写真を撮り、髪やつめを持ってくればよかったが、私は1組約30分という限られた時間の中で、面会を最後まで終えることが重要と判断した」と述べ、北朝鮮側が付けた条件に沿って面会を行ったことを説明した<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002092401000066.html | title = 写真撮影や会話に制限 生存者面会の駐英公使 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2002-09-24 | accessdate = 2013-11-01 }}</ref>。

2017年7月9日 (日) 01:47時点における版

梅本 和義(うめもと かずよし、1951年4月27日[1] - )は、日本の外交官。外務省北米局長、内閣官房副長官補、駐イタリア特命全権大使を経て、環太平洋経済連携協定首席交渉官。

人物

東京都出身。1977年東京大学大学院理学系研究科修士課程数学専門課程を修了し[2]、外務省入省。

1994年外務大臣官房総務課企画官、同年北米局日米安保条約課長、1997年経済局国際機関第一課長、1999年アジア局北東アジア課長、2001年アジア大洋州局北東アジア課長、同年総合外交政策局総務課長、同年在英国日本国大使館公使、2004年外務省大臣官房参事官中東アフリカ局、同年外務省大臣官房参事官兼北米局、2006年外務省大臣官房審議官兼北米局、2007年外務省大臣官房審議官兼総合外交政策局、2008年大使、2009年北米局長、2011年官房付を経て駐スイス特命全権大使兼駐リヒテンシュタイン特命全権大使、2012年内閣官房副長官補(外政担当)兼外務省参与、2013年1月17日付で国際連合日本政府代表部(国連代表部)特命全権大使、次席代表に就任。2014年8月5日から駐イタリア特命全権大使。2014年10月21日兼駐アルバニア兼駐サンマリノ兼駐マルタ特命全権大使。2017年7月7日環太平洋経済連携協定(TPP)首席交渉官。

イギリス公使時代の2002年に平壌に派遣され日朝首脳会談の現地準備本部長を務め、北朝鮮による日本人拉致問題の被害者である蓮池薫や、横田めぐみの娘キム・ウンギョンらと面会した[3]。横田の娘に面会した際、梅本による本人確認が不十分だった(確認のためのカメラやテープレコーダーも所持していなかった)ことが判明し、横田の父・横田滋から批判された[4]。梅本は、「北朝鮮との交渉の結果、決まったやり方で面会が実現した。許されれば写真を撮り、髪やつめを持ってくればよかったが、私は1組約30分という限られた時間の中で、面会を最後まで終えることが重要と判断した」と述べ、北朝鮮側が付けた条件に沿って面会を行ったことを説明した[5]

同期

脚注

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.187
  2. ^ 東京大学理学部 廣報
  3. ^ 日本経済新聞2002年
  4. ^ “カメラ持たずに面会 外務省を家族が批判”. 共同通信社. 47NEWS. (2002年9月18日). http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002091801000528.html 2013年11月1日閲覧。 
  5. ^ “写真撮影や会話に制限 生存者面会の駐英公使”. 共同通信社. 47NEWS. (2002年9月24日). http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002092401000066.html 2013年11月1日閲覧。 

外部リンク

  • (日本語)大使挨拶(駐スイス日本国大使館ホームページ内)
先代
木寺昌人
内閣官房副長官補(外政担当)
2012年
次代
兼原信克