「エミリオ・セグレ」の版間の差分
Twodrifters (会話 | 投稿記録) |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{Infobox scientist |
|||
[[ファイル:Segre.jpg|right|250px|thumb|エミリオ・セグレ(1959年)]] |
|||
|name = Emilio Segrè<br>エミリオ・セグレ |
|||
|image = Segre.jpg |
|||
|image_size = 200px |
|||
|caption = エミリオ・セグレ(1959) |
|||
|birth_name = Emilio Gino Segrè |
|||
|birth_date = {{Birth date|df=yes|1905|1|30}} |
|||
|birth_place = {{ITA}} [[ティヴォリ]] |
|||
|death_date = {{Death date and age|df=yes|1989|4|22|1905|1|30}} |
|||
|death_place = {{USA}} [[カリフォルニア州]][[ラファイエット (カリフォルニア州)|ラファイエット]] |
|||
|nationality = {{USA}} |
|||
|fields = |
|||
|workplaces = [[ロスアラモス国立研究所]]<br>[[カリフォルニア大学バークレー校]]<br>[[ローマ・ラ・サピエンツァ大学]]<br>[[コロンビア大学]] |
|||
|alma_mater = ローマ・ラ・サピエンツァ大学 |
|||
|doctoral_advisor = [[エンリコ・フェルミ]] |
|||
|academic_advisors = |
|||
|doctoral_students = |
|||
|notable_students = |
|||
|known_for = |
|||
|awards = [[ノーベル物理学賞]](1959) |
|||
|signature = Emilio G Segrè signature.svg |
|||
}} |
|||
{{thumbnail:begin}} |
{{thumbnail:begin}} |
||
{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|1959年|ノーベル物理学賞|反陽子の発見}} |
{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|1959年|ノーベル物理学賞|反陽子の発見}} |
||
{{thumbnail:end}} |
{{thumbnail:end}} |
||
'''エミリオ・ジノ・セグレ'''('''Emilio Gino Segrè''' 、[[1905年]][[2月1日]] - [[1989年]][[4月22日]])は、[[イタリア]]生まれの[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[物理学者]]。[[1959年]]に「[[反陽子]]の発見」に対して[[ノーベル物理学賞]]を受賞した。写真家としても活動し、現代科学の歴史を記録した多くの写真を残した。 |
'''エミリオ・ジノ・セグレ'''('''Emilio Gino Segrè''' 、[[1905年]][[2月1日]] - [[1989年]][[4月22日]])は、[[イタリア]]生まれの[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[物理学者]]。[[1959年]]に「[[反陽子]]の発見」に対して[[ノーベル物理学賞]]を受賞した。写真家としても活動し、現代科学の歴史を記録した多くの写真を残した。 |
||
27行目: | 47行目: | ||
{{ノーベル物理学賞受賞者 (1951年-1975年)}} |
{{ノーベル物理学賞受賞者 (1951年-1975年)}} |
||
{{Authority control}} |
|||
{{DEFAULTSORT:せくれ えみりお G.}} |
{{DEFAULTSORT:せくれ えみりお G.}} |
2017年9月12日 (火) 11:36時点における版
Emilio Segrè エミリオ・セグレ | |
---|---|
![]() エミリオ・セグレ(1959) | |
生誕 |
Emilio Gino Segrè 1905年1月30日 ![]() |
死没 |
1989年4月22日 (84歳没)![]() |
国籍 |
![]() |
研究機関 |
ロスアラモス国立研究所 カリフォルニア大学バークレー校 ローマ・ラ・サピエンツァ大学 コロンビア大学 |
出身校 | ローマ・ラ・サピエンツァ大学 |
博士課程 指導教員 | エンリコ・フェルミ |
主な受賞歴 | ノーベル物理学賞(1959) |
署名 | |
プロジェクト:人物伝 |
|
エミリオ・ジノ・セグレ(Emilio Gino Segrè 、1905年2月1日 - 1989年4月22日)は、イタリア生まれのアメリカの物理学者。1959年に「反陽子の発見」に対してノーベル物理学賞を受賞した。写真家としても活動し、現代科学の歴史を記録した多くの写真を残した。
生涯
イタリアのティヴォリに生まれた。ローマ大学で工学を学んだが、1927年に物理学に転じ、フェルミのもとで学んだ。
ドイツやオランダでシュテルンやゼーマンと働いた後、1932年にローマ大学の助教授になった。1934-35年フェルミと協力して中性子反応の先駆的研究を行なった[1]。1936年から1938年までパレルモ大学の物理学研究所の所長を務めた。ローレンス・バークレー国立研究所を訪れた後、1937年、ペリエ(C.Perrier)とともに、モリブデンにサイクロトロンで加速した重陽子を照射し、最初の人工元素としてテクネチウムをつくりだした。テクネチウムには安定な核種は存在せず、放射性元素である[2]。
1938年、セグレがカリフォルニアにいる時、ムッソリーニ政権はユダヤ人を大学から追放する法律を成立させた。ユダヤ人のセグレはアメリカに残った。カリフォルニア大学に講師の職を得た。カリフォルニア大学でのアスタチンとプルトニウム239の発見に貢献した。
1943年から1946年までロスアラモス国立研究所でマンハッタン計画のグループ・リーダーとして働いた。1944年にアメリカに市民権を得、コロンビア大学、イリノイ大学等で教鞭を執った。1946年にカルフォルニア大学バークレー校に戻り物理学教授及び科学史教授として1972年まで務めた。この間、1955年にチェンバレンらと共に反陽子を発見し、1959年ノーベル物理学賞を受けた[3]。1974年にローマ大学に戻ると原子核物理学の教授になった。
1989年、カリフォルニア・ラファイエットで心臓発作により死去。
主な著作
- エミリオ・セグレ 著、久保亮五・矢崎裕二 訳『X線からクォークまで――二十世紀の物理学者たち』みすず書房、1982年。ISBN 978-4622024668。
- エミリオ・セグレ 著、久保亮五・矢崎裕二 訳『古典物理学を創った人々――ガリレオからマクスウェルまで』みすず書房、1992年。ISBN 978-4622040880。
- エミリオ・セグレ 著、久保亮五・久保千鶴子 訳『エンリコ・フェルミ伝――原子の火を点じた人』みすず書房、1976年。
- Segre, E. (1993). A Mind Always in Motion: The Autobiography of Emilio Segre. University of California Press. ISBN 978-0520076273. OCLC 25629433 Free Online – UC Press E-Books Collection