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2006年7月9日 (日) 12:52時点における版
平部 嶠南(ひらべ きょうなん、寛政11年(1815年) - 明治23年(1890年)10月26日)は江戸・明治期の政治家。飫肥藩家老を務めた。現宮崎県清武町出身。
生涯
少年期は安井滄州・安井息軒父子に儒学を学ぶ。その後江戸に留学し古賀侗庵に師事する。帰国後の天保5年(1834)、飫肥藩の藩校である振徳堂の句読師となる。天保6年には同校教授に出世。
弘化元年(1844)には江戸留守居副役となる。慶応3年(1867)に家老、明治2年(1869)に飫肥藩大参事となる。
廃藩置県後は明治政府に出仕。明治8年(1875)には宮崎県地誌編集係に任命される。県内各地を巡り資料の収集・整理に努めた。明治17年(1884)地誌が完成。翌18年に編集功労手当を受ける。この地誌が『日向地誌』である。
明治23年(1890)、死去(享年76歳)。平部が19歳から66歳までの47年間にわたる日誌が『六鄰荘日誌』と呼ばれ現存している。
著作
参考文献