コンテンツにスキップ

「真蔭流」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
古武 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
古武 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
13行目: 13行目:
|源流=[[天神真楊流]]
|源流=[[天神真楊流]]
|派生流派=[[鷲尾流]]、[[神道六合流]]
|派生流派=[[鷲尾流]]、[[神道六合流]]
|主要技術=[[柔術]]、[[殺法]]、[[活法]]、[[乱取り|乱捕]]
|主要技術=[[柔術]]、[[殺法]]、[[活法]]、[[乱取り|乱捕]]、[[捕縄術]]
|オリンピック=
|オリンピック=
|公式ウェブサイト=
|公式ウェブサイト=
63行目: 63行目:
****並木忠太郎
****並木忠太郎
****菅野久
****菅野久
*****山田實  ('''鶴ヶ島弘武会''')
*****山田實 ('''鶴ヶ島弘武会''')
**今泉榮作(松本榮作)
**今泉榮作(松本榮作)
**鷲尾春雄 柳風斎 ([[鷲尾流]])
**鷲尾春雄 柳風斎 ([[鷲尾流]])
69行目: 69行目:
**須永力一郎
**須永力一郎
**宮田要之助
**宮田要之助
**能美金之助
**能美金之助<ref>『江戸ッ子百話 上』</ref>

== 注 ==
== 注 ==
{{Reflist}}
{{Reflist}}
88行目: 89行目:
*[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991721/264 東京百事便] p507
*[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991721/264 東京百事便] p507
*[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860053/62 柔術練習図解 早縄活法 一名警視拳法]
*[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860053/62 柔術練習図解 早縄活法 一名警視拳法]
*江戸ッ子百話 上 p133 昭和34年8月
*江戸ッ子百話 上 p133 昭和34年8月





2017年11月2日 (木) 19:21時点における版

眞蔭流柔術
しんかげりゅうじゅうじゅつ
発生国 日本の旗 日本
発生年 幕末
創始者 今泉八郎柳定斎定智
源流 天神真楊流
派生流派 鷲尾流神道六合流
主要技術 柔術殺法活法乱捕捕縄術
伝承地 埼玉県鶴ヶ島市
テンプレートを表示

真蔭流(しんかげりゅう)とは、幕末幕臣今泉八郎[1] 柳定斎)が天神真楊流をもとに開いた柔術の流儀。

第五代は菅野久師範である。

現在は弟子の山田實師範が埼玉(鶴ヶ島市)で伝承している。

歴史

今泉八郎の養父・今泉智明(号 柳雲斎)は、関口新心流楠流拳法、天神真楊流荒木流の4流の柔術を学んでいた。八郎は父より柔術を学び[2]、後に天神真楊流の家元・磯又右衛門柳関斎源正足に就いて柔術を学び、天神真楊流から真蔭流を開いた。

今泉八郎は下谷区同朋町一番地に演武館と称する道場を開いていた。。[3]

第5代の菅野久師範は大正9年宮城県に生まれる。 滝沢常三郎柳幹斎戸張喜兵衛柳振斎に師事し免許を得て道統を継いだ。[4]

現在は菅野久師範から免許皆伝を受けた山田實師範が埼玉県で伝承している。[5]

技法

源流の天神真楊流の技数は124手であったが、真蔭流では48手とコンパクトに纏め上げている。技そのものも、最初の段階では天神真楊流と似た技もあるが、極意の段階では独自の内容となっている。

当身については、空手道の突き技のように腕を捻り込みながら当てる。これは柔術の当身としては珍しい技法である。

稽古方法については、明治以降に広まった講道館柔道式と同質の乱取り法を伝えている。このため、明治期に隆盛した。


初段手解 六手
片手取 振解 逆手 逆指 小手返 両手捕
初段居捕 十手
居別絞 送襟絞 襟絞 小太刀捕 抜合 両手捕 小手返 片手胸取 折込 引立
中段立合 十手
行違 捨身投 腕搦 歸投 打手留 壁副捕 前立取 襟投 面蔭 鐘木
中段投捨 十二手
行違 引込 背負投 水月 折敷投 捨身投 片手胸取 両手捕 右腰投 後捕 襟投 巻落
極意上段 十手
大太刀捕 車返 鷲蹴返 肩車落 小太刀留 小太刀詰 帯引 捨身投 櫓落 大太刀留

系譜

  • 今泉八郎柳定斎定智 伊予松山の藩士
    • 就中山内侯
    • 渥美爲亮
      • 佐藤信二郎
      • 瀧澤常三郎 柳幹斎
        • 瀧澤勇
        • 三上賢次郎
        • 瀧澤雪恵
        • 並木忠太郎
        • 菅野久
          • 山田實 (鶴ヶ島弘武会
    • 今泉榮作(松本榮作)
    • 鷲尾春雄 柳風斎 (鷲尾流
    • 田中泰雄
    • 須永力一郎
    • 宮田要之助
    • 能美金之助[6]

  1. ^ 江戸時代には「八郎」は通称では「定智」であったが、明治に入ると、今泉自身が「今泉八郎」と名乗っている。
  2. ^ 荒木流については今泉智明からではなく、大木蔵之進に学んだとする説もある。
  3. ^ 拳法教範図解 : 早縄活法
  4. ^ 菅野久『実戦古武道 柔術入門』
  5. ^ 山田實『yawara―知られざる日本柔術の世界』
  6. ^ 『江戸ッ子百話 上』

今泉八郎は明治39年2月2日に亡くなり、墓は東京都港区三田、「長運寺」にあります。

関連項目

関連書籍