「フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ」の版間の差分
m編集の要約なし |
|||
38行目: | 38行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
=== ウディネーゼ === |
=== ウディネーゼ === |
||
13歳までは5人制サッカー([[フットサル]])の選手としてプレーしていたが、そのプレースタイルを評価した当時のウディネーゼのスポーツディレクターであるマヌエル・ゲロリンによってスカウトされ15歳で渡伊、ウディネーゼの下部組織に所属する。2003年4月6日に行われた対[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]戦において、18歳でセリエAデビューを果たす。デビューシーズンは4試合出場に留まったが、翌シーズンの2003- |
13歳までは5人制サッカー([[フットサル]])の選手としてプレーしていたが、そのプレースタイルを評価した当時のウディネーゼのスポーツディレクターであるマヌエル・ゲロリンによってスカウトされ15歳で渡伊、ウディネーゼの下部組織に所属する。2003年4月6日に行われた対[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]戦において、18歳でセリエAデビューを果たす。デビューシーズンは4試合出場に留まったが、翌シーズンの2003-04シーズンは控えながらも16試合に出場し、10代の頃からトップリーグで経験を積んだ。2004-05シーズンには20歳でレギュラーを掴み31試合に出場、このシーズンのウディネーゼの快進撃に貢献し、チームと共に[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を得られるリーグ戦4位の座を手に入れた。クラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場を果たした2005-06シーズンはレギュラーとしてリーグ戦に35試合出場、プロデビュー後初となる得点も決め(計3得点)、チャンピオンズリーグでは[[FCバルセロナ]]戦でも得点、こちらもレギュラーとして7試合出場した。順調に評価を高め若手ながらリーグ屈指のディフェンダーに成長を果たしたフェリペであったが、2006-07シーズンは[[鼠径ヘルニア]]の手術をしたために長期間の離脱を強いられ、12試合に出場するに留まった。翌年の2007-08シーズンにもリーグ戦終盤(2008年3月)に左の足首の靭帯をねじり長期離脱、22試合出場に終わる。その後、2008年11月30日に、自身のデビュー戦と同じカードとなる[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]戦にてチームに復帰し得点も決め<ref>[http://www.gazzetta.it/Calcio/SerieA/Squadre/Udinese/Primo_Piano/2008/11/30/udi_chi.shtml フェリペが復帰戦を飾る]gazzetta.it</ref>、2008-09シーズンはリーグ戦16試合、UEFAカップには6試合出場した。2009-10シーズンに入ると[[アンドレア・コーダ]]や[[クリスティアン・サパタ]]がセンターバックのポジションに入り、フェリペはサイドバックとしてプレーするが前半戦は3試合出場するに留まっていた。 |
||
=== フィオレンティーナ === |
=== フィオレンティーナ === |
||
66行目: | 66行目: | ||
* [http://www.transfermarkt.com/felipe/profil/spieler/17127 transfermarkt] |
* [http://www.transfermarkt.com/felipe/profil/spieler/17127 transfermarkt] |
||
⚫ | |||
{{Footybio-stub}} |
{{Footybio-stub}} |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
[[Category:ブラジルのサッカー選手]] |
[[Category:ブラジルのサッカー選手]] |
||
[[Category:イタリアのサッカー選手]] |
[[Category:イタリアのサッカー選手]] |
2017年11月14日 (火) 08:17時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ Felipe Dias da Silva dal Belo | |||||
ラテン文字 | Felipe | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ブラジル イタリア | |||||
生年月日 | 1984年8月31日(39歳) | |||||
出身地 | グアラティンゲタ | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | SPAL | |||||
ポジション | DF (CB, SB) | |||||
背番号 | 27 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1999-2002 | ウディネーゼ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2010 | ウディネーゼ | 139 | (5) | |||
2010 | → フィオレンティーナ (loan) | 18 | (0) | |||
2010-2013 | フィオレンティーナ | 8 | (0) | |||
2011 | → チェゼーナ (loan) | 7 | (0) | |||
2012-2013 | → シエナ (loan) | 34 | (0) | |||
2013-2015 | パルマ | 33 | (1) | |||
2015 | インテル | 4 | (0) | |||
2015-2017 | ウディネーゼ | 58 | (2) | |||
2017- | SPAL | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年7月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フェリペことフェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ(Felipe Dias da Silva dal Belo、1984年8月31日 - )はブラジル出身サッカー選手。SPAL所属。ポジションはディフェンダー。
経歴
ウディネーゼ
13歳までは5人制サッカー(フットサル)の選手としてプレーしていたが、そのプレースタイルを評価した当時のウディネーゼのスポーツディレクターであるマヌエル・ゲロリンによってスカウトされ15歳で渡伊、ウディネーゼの下部組織に所属する。2003年4月6日に行われた対ACキエーヴォ・ヴェローナ戦において、18歳でセリエAデビューを果たす。デビューシーズンは4試合出場に留まったが、翌シーズンの2003-04シーズンは控えながらも16試合に出場し、10代の頃からトップリーグで経験を積んだ。2004-05シーズンには20歳でレギュラーを掴み31試合に出場、このシーズンのウディネーゼの快進撃に貢献し、チームと共にUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得られるリーグ戦4位の座を手に入れた。クラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場を果たした2005-06シーズンはレギュラーとしてリーグ戦に35試合出場、プロデビュー後初となる得点も決め(計3得点)、チャンピオンズリーグではFCバルセロナ戦でも得点、こちらもレギュラーとして7試合出場した。順調に評価を高め若手ながらリーグ屈指のディフェンダーに成長を果たしたフェリペであったが、2006-07シーズンは鼠径ヘルニアの手術をしたために長期間の離脱を強いられ、12試合に出場するに留まった。翌年の2007-08シーズンにもリーグ戦終盤(2008年3月)に左の足首の靭帯をねじり長期離脱、22試合出場に終わる。その後、2008年11月30日に、自身のデビュー戦と同じカードとなるACキエーヴォ・ヴェローナ戦にてチームに復帰し得点も決め[1]、2008-09シーズンはリーグ戦16試合、UEFAカップには6試合出場した。2009-10シーズンに入るとアンドレア・コーダやクリスティアン・サパタがセンターバックのポジションに入り、フェリペはサイドバックとしてプレーするが前半戦は3試合出場するに留まっていた。
フィオレンティーナ
2009年12月、レギュラーを獲得した2005年頃からフェリペを評価し、その動向を追い続けていたACFフィオレンティーナが正式に獲得をオファーする。同12月28日にチーム練習に合流し[2]、2010年1月2日にクラブから買取オプション付のローンで獲得すると公式発表された[3]。 2011年1月31日、ACチェゼーナにレンタル移籍。
パルマ
2013年7月、パルマへ完全移籍[4]。給料未払い問題により、アントニオ・カッサーノに続き、契約解除が発表された。
インテル
2015年2月、インテル・ミラノとシーズン終了までの契約を結んだことが発表された[5]。
ウディネーゼ復帰
2015-16シーズンからは、古巣のウディネーゼに復帰することとなった。
エピソード
- フィオレンティーナへ移籍した際、元所属クラブのジャンニ・デ・ビアージ監督は「本人の夢のためとはいえ、重要な選手の移籍を残念に思う。ファンが一番悲しむだろう。」と発言[6]、下部組織からの生え抜き選手の退団を惜しんだ。
人物
若い頃からセリエAやチャンピオンズリーグで活躍し、ACミランなどのビッグクラブからもパオロ・マルディーニの後継者に成り得るとの評価を受けてきた選手。フットサル出身という経歴を持ちキックの精度が高く、センターバックではあるがサイドバックもこなせるユーティリティプレーヤーである。フットサルでプレーしていた13歳のときに才能に注目したウディネーゼによって引き抜かれ、下部組織時代も含め10年間プレーし成長する。怪我で伸び悩んだものの[7]一時期はリーグで最も優れたディフェンダーの一人と評されていた[8]。
脚注
- ^ フェリペが復帰戦を飾るgazzetta.it
- ^ フェリペが練習に参加フィオレンティーナ公式
- ^ ウディネーゼよりフェリペをローンで獲得フィオレンティーナ公式
- ^ Ufficiale: arriva in crociato a titolo definitivo Felipe. Il difensore ha firmato un quadriennale Parma FC
- ^ Benvenuto Felipe! Internazionale Milano
- ^ DE BIASI, Peccato non avere più Felipefirenzeviola.it
- ^ ビオラ、フェリペを期限付きで獲得uefa.com
- ^ フェリペが間もなくヴィオラにgoal.com
外部リンク
- フェリペ - Soccerwayによる個人成績
- transfermarkt