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「琉球独立運動」の版間の差分

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現在、琉球独立運動は一般の沖縄県民の支持を得るに至っていない。<!--(それは、琉球独立運動家の主張にも原因がある。)←論評-->琉球独立の支持者や賛同する市民団体のなかには、<!--'''琉球共和国'''及び-->地域の名称として'''沖縄特別自治省'''、元首(首長)の役職として'''沖縄省主席'''<!--(用語自体は沖縄自治研究会のWebページに掲載、本土復帰前の台湾・中国に同名の役職があったともいわれるが公的ソースが未確認。また復帰前の首長役職は、琉球政府行政主席である。)--><!--を主張したり、民主党の「'''[[一国二制度]]'''」論-->など、中国的な地方行政用語を使用する例が目立つため、「何か別の思惑([[中華人民共和国|中国]]への帰属願望)があるのではないか」と疑われる<!--本当!?-->{{要出典}}要因となっている。<!-- 日本において、「省」とは中央政府の行政機構を指し、地方行政区画の名称としては用いることはない。 --><!--日本語では「共和国」は共和制国家を表す名称として普通に用いられており、「共和国」の使用が必ずしも中国への帰属願望があるとはいえない--><!--「一国二制度」も日本語の単語に漢語が大きく関わっている以上、日本語でも同じような呼び方にしかならない-->
現在、琉球独立運動は一般の沖縄県民の支持を得るに至っていない。<!--(それは、琉球独立運動家の主張にも原因がある。)←論評-->琉球独立の支持者や賛同する市民団体のなかには、<!--'''琉球共和国'''及び-->地域の名称として'''沖縄特別自治省'''、元首(首長)の役職として'''沖縄省主席'''<!--(用語自体は沖縄自治研究会のWebページに掲載、本土復帰前の台湾・中国に同名の役職があったともいわれるが公的ソースが未確認。また復帰前の首長役職は、琉球政府行政主席である。)--><!--を主張したり、民主党の「'''[[一国二制度]]'''」論-->など、中国的な地方行政用語を使用する例が目立つため、「何か別の思惑([[中華人民共和国|中国]]への帰属願望)があるのではないか」と疑われる<!--本当!?-->{{要出典}}要因となっている。<!-- 日本において、「省」とは中央政府の行政機構を指し、地方行政区画の名称としては用いることはない。 --><!--日本語では「共和国」は共和制国家を表す名称として普通に用いられており、「共和国」の使用が必ずしも中国への帰属願望があるとはいえない--><!--「一国二制度」も日本語の単語に漢語が大きく関わっている以上、日本語でも同じような呼び方にしかならない-->

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また、復帰後の琉球独立運動は[[左翼団体]]との結びつきが強く、琉球独立の理想を説くよりも[[反日]][[反米]]を訴える者が多いため、左派勢力を支持しない者には支持し難い運動になっているのが現状である。-->
また、復帰後の琉球独立運動は[[左翼団体]]との結びつきが強く、琉球独立の理想を説くよりも[[反日]][[反米]]を訴える者が多いため、左派勢力を支持しない者には支持し難い運動になっているのが現状である。


支持を得ていない理由には主張の非現実性も挙げられる。川満信一が発表した「[http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/bunkenshiryo.htm#kawamitsushinichi 琉球共和社会憲法C私(試)案]」<ref>『新沖縄文学』沖縄タイムス社、1981年6号</ref>には、軍備の廃止のみならず、「司法機関([[警察]]・[[検察]]・[[裁判所]])の廃止」「私有財産の否定」「情報の統制」「商行為の禁止」も謳うなど、[[共産主義]]的な[[イデオロギー]]を持つ用語が散見され、現実を見据えた自立(独立)に向けた政策の研究を怠ってきたことである。
支持を得ていない理由には主張の非現実性も挙げられる。川満信一が発表した「[http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/bunkenshiryo.htm#kawamitsushinichi 琉球共和社会憲法C私(試)案]」<ref>『新沖縄文学』沖縄タイムス社、1981年6号</ref>には、軍備の廃止のみならず、「司法機関([[警察]]・[[検察]]・[[裁判所]])の廃止」「私有財産の否定」「情報の統制」「商行為の禁止」も謳うなど、[[共産主義]]的な[[イデオロギー]]を持つ用語が散見され、現実を見据えた自立(独立)に向けた政策の研究を怠ってきたことである。

2006年7月17日 (月) 04:45時点における版

琉球独立運動(りゅうきゅうどくりつうんどう)は、1945年太平洋戦争終結後に沖縄県の帰属が不明となり論議されるなか、アメリカ合衆国への編入や日本あるいは中国への帰属ではなく、琉球の国家としての独立を求めて興されている運動。

沿革

琉球民族意識が高揚し、紙面には「祖国沖縄の再建」や「民族を救う」などの文句も飛び交った。沖縄出身言論人が「祖国」や「民族」といったことばを使用する際にも、ほとんどが日本ではなく沖縄および琉球民族を意味していた。また、沖縄においても日本への復帰の声は当初は大きなものではなかった。たとえば1947年には、宮古島の新聞記者団がアメリカの軍政官に対し「琉球人は琉球という独立国家で、アメリカの保護の下に生きのびていくことを望んでいる」と訴え、1948年与那国島で実施された町長選挙では、立候補した3人のうち1人は琉球独立を唱え、もう1人は台湾帰属を訴えていた(小熊英二『〈日本人〉の境界』、485頁)。

琉球独立運動では、日琉同祖論に倣い琉球民族日本民族の傍系であるとは認めつつも、琉球民族は歴史的に独自の発展を遂げて独立した民族になったと主張し、明治時代より強引に同化政策を施されはしたが、日本の敗戦により再び琉球人になり、アメリカ信託統治を経て独立国家になるだろう、と予測した。本土でも戦後の日本共産党日本社会党は、琉球民族を大日本帝国に抑圧されていたと規定し、沖縄独立を支持していた時期もあった。

1972年の復帰時にも米軍基地の多くが返還されぬまま残され、日本政府に対して「本土並み」を期待した沖縄県民の落胆は大きく、独立を指向する言論の中には米軍基地の返還交渉を自由に行なうための主権獲得を独立のメリットとする言論もある。1995年に沖縄県で米軍基地に対する反対運動が起こったときなどに、琉球独立論が取り上げられる傾向がある。

2004年琉球大学法文学部講師の林泉忠がおこなった調査によると、独立の是非を問う質問に「独立すべきだ」と答えたのは24.9%で4人に1人は独立を考えている。

将来への展望

現在全国的に導入が論議されている道州制と結びつけ、沖縄を単独の道州とすることで大幅な自治権を獲得する案も議論されている。内閣総理大臣の諮問機関である地方制度調査会2006年に発表した答申[1]に示された道州制区割り案では、いずれも沖縄を単独の道州としている。ただし、そのことが独立論に直接に結びつく訳ではない。

現在、琉球独立運動は一般の沖縄県民の支持を得るに至っていない。琉球独立の支持者や賛同する市民団体のなかには、地域の名称として沖縄特別自治省、元首(首長)の役職として沖縄省主席など、中国的な地方行政用語を使用する例が目立つため、「何か別の思惑(中国への帰属願望)があるのではないか」と疑われる[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。要因となっている。

また、復帰後の琉球独立運動は左翼団体との結びつきが強く、琉球独立の理想を説くよりも反日反米を訴える者が多いため、左派勢力を支持しない者には支持し難い運動になっているのが現状である。

支持を得ていない理由には主張の非現実性も挙げられる。川満信一が発表した「琉球共和社会憲法C私(試)案[2]には、軍備の廃止のみならず、「司法機関(警察検察裁判所)の廃止」「私有財産の否定」「情報の統制」「商行為の禁止」も謳うなど、共産主義的なイデオロギーを持つ用語が散見され、現実を見据えた自立(独立)に向けた政策の研究を怠ってきたことである。

これらの問題を克服しない限り、琉球独立への道程は厳しいと言わざるを得ないだろう。

脚注

  1. ^ 道州制のあり方に関する答申について (PDF)
  2. ^ 『新沖縄文学』沖縄タイムス社、1981年6号

参考文献

  • 大山朝常『沖縄独立宣言 ヤマトは帰るべき「祖国」ではなかった』、現代書林、1997年4月。ISBN 4-87620-935-9
  • 小熊英二『〈日本人〉の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮植民地支配から復帰運動まで』、新曜社、1998年7月。ISBN 4-7885-0648-3
  • 竹中労『琉球共和国 汝、花を武器とせよ!』(『ちくま文庫』)、筑摩書房、2002年6月。ISBN 4-480-03712-8
  • 比嘉康文『「沖縄独立」の系譜 琉球国を夢見た6人』、琉球新報社、2004年6月。ISBN 4-89742-059-8
  • 川満信一『新沖縄文学』、沖縄タイムス社、1981年6号


関連項目

外部リンク