「ニュッサのグレゴリオス」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
主な著作を加筆。 |
|||
14行目: | 14行目: | ||
* 『幸福について』 |
* 『幸福について』 |
||
* 『主の祈り講解』 |
* 『主の祈り講解』 |
||
* 『雅歌講 |
* 『雅歌講話』 |
||
* 『人間創造論』 |
|||
* 『教理大講話』 |
|||
* 『雅歌註解』 |
* 『雅歌註解』 |
||
* 『モーセの生涯』 |
* 『モーセの生涯』 |
2018年2月18日 (日) 21:59時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/29/Gregory_of_Nyssa.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/81/De_virginitate_V00110_00000008.tif/lossy-page1-220px-De_virginitate_V00110_00000008.tif.jpg)
ニュッサのグレゴリオス(335年頃 - 394年以降)は、4世紀のキリスト教神学者、聖職者である。正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人。372年よりニュッサの主教を務めたためこのように呼ぶ。日本正教会での表記はニッサの主教聖グリゴリイ[1]。カッパドキア三教父のひとり。ギリシアでとくに尊崇され、「神父のなかの神父」との異名がある。
カッパドキア州カイサレアのキリスト教家庭に生まれた。兄にカイサリアのバシレイオス、姉にマクリナ(ともに聖人)がいる。ナジアンゾスのグレゴリオスとは友人であった。司祭となったグレゴリオスを妻テオズワ(フェオズワ)はよく補佐し、慈善活動に努め、女輔祭と呼ばれた。妻の死後、グレゴリオスはニュッサの主教に選出された。
第1回コンスタンティノポリス公会議(第二全地公会)でアリウス派を反駁した。この反駁を通じ三位一体論の確立に貢献した。また神の無限性(三位格の個の無限な交互浸透)についての神学を確立した。
書簡、マクリナ伝(姉マクリナの伝記)、雅歌講話などの著作が残っている。
正教会での記憶日はユリウス暦1月10日(グレゴリオ暦の1月23日に相当)[1]。
主な著作
- 『幸福について』
- 『主の祈り講解』
- 『雅歌講話』
- 『人間創造論』
- 『教理大講話』
- 『雅歌註解』
- 『モーセの生涯』
脚注
参考文献
- アンドルー・ラウス『キリスト教神秘思想の源流 プラトンからディオニシオスまで』水落健治 訳、教文館、1988年1月初版。ISBN 4-7642-7125-7