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}}'''鹿野大仏'''(ろくやだいぶつ、別表記:'''鹿野大佛'''<ref group="*">現地の案内板などにおける表記。</ref>)は、[[日本]]の[[東京都]][[西多摩郡]][[日の出町]]に所在する塩澤山[[宝光寺 (日の出町)|宝光寺]][[境内]]の、鹿野山に造立された[[大仏]]<ref name="寺">{{Cite web |url=http://mainsite.main.jp/houkouji/about/index.html |title=寳光寺 |work=公式ウェブサイト |publisher=寳光寺 |accessdate=2018-04-10 }}※主として「御本尊」節。</ref><ref name="Asahi-20170919">{{Cite news |newspaper=[[朝日新聞]] |author=金山隆之介 |date=2017年9月19日 |url=https://www.asahi.com/articles/ASK9G4CVHK9GUTIL01B.html |title=あの鎌倉大仏を抜く12mの座仏建設中 東京・日の出 |publisher=朝日新聞社 |accessdate=2018-02-28 }}</ref>である。[[銅像|銅造]][[釈迦如来]]坐像<ref name="寺" />。寺は[[通称]]を'''多摩大仏'''(たまだいぶつ)<ref name="寺" />としている。[[2018年]]([[平成]]30年)4月造立。全高18[[メートル]]<ref name="寺" />、像高約12メートル<ref name="寺" />。 |
}}'''鹿野大仏'''(ろくやだいぶつ、別表記:'''鹿野大佛'''<ref group="*">現地の案内板などにおける表記。</ref>)は、[[日本]]の[[東京都]][[西多摩郡]][[日の出町]]平井に所在する塩澤山[[宝光寺 (日の出町)|宝光寺]]<sup>えんたくざん ほうこうじ</sup>[[境内]]の、鹿野山に造立された[[大仏]]<ref name="寺">{{Cite web |url=http://mainsite.main.jp/houkouji/about/index.html |title=寳光寺 |work=公式ウェブサイト |publisher=寳光寺 |accessdate=2018-04-10 }}※主として「御本尊」節。</ref><ref name="Asahi-20170919">{{Cite news |newspaper=[[朝日新聞]] |author=金山隆之介 |date=2017年9月19日 |url=https://www.asahi.com/articles/ASK9G4CVHK9GUTIL01B.html |title=あの鎌倉大仏を抜く12mの座仏建設中 東京・日の出 |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2018-02-28 }}</ref>である。[[銅像|銅造]][[釈迦如来]]坐像<ref name="寺" />。寺は[[通称]]を'''多摩大仏'''(たまだいぶつ)<ref name="寺" />としている。[[2018年]]([[平成]]30年)4月造立。全高18[[メートル]]<ref name="寺" />、像高約12メートル<ref name="寺" />。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 宝光寺 === |
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[[鎌倉時代]]以来、[[武蔵国]][[多西郡]]平井郷<ref name="NJJ+p-以船文済" />(現・東京都西多摩郡日の出町平井)には、[[源頼朝]]にゆかりある[[天台宗]]の[[菩提寺|菩提院]]があったが<ref name="NJJ+p-以船文済" /><ref name="Mainichi-20180412">{{Cite news |newspaper=[[毎日新聞]] |author=熊谷泰 |date=2018年4月11日 |url=https://mainichi.jp/articles/20180411/ddl/k13/040/003000c |title=鹿野大仏 高さ12メートル 日の出・宝光寺、きょうから一般参拝/東京 |publisher=[[毎日新聞社]] |accessdate=2018-04-12 }}</ref>、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[曹洞宗]][[大和尚]]・[[以船文済]]<sup>いせん ぶんさい</sup>([[1457年|1457]]-[[1547年]])は<ref name="寺" /><ref name="NJJ+p-以船文済">『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』</ref>、[[天文]]8年({{small|[[ユリウス暦]]換算}}:[[1539年]])に[[甲斐国]](現・[[山梨県]])の妙亀山[[広厳院]]<sup>こうごんいん</sup>の[[住職|住持]]になった後<ref name="NJJ+p-以船文済" />、平井郷にては、頼朝ゆかりの菩提院を曹洞宗に[[改宗]]せしめ、塩澤山寳光寺([[宝光寺 (日の出町)|宝光寺]])を[[開山 (仏教)|開山]]した<ref name="寺" /><ref name="NJJ+p-以船文済" /><ref name="FNN-20180411">{{Cite web |date=2018年4月11日午後10時 |url=https://www.fnn.jp/posts/00294691HDK |title=東京に“鎌倉超え”大仏誕生…新名所になるか - プライムニュースイブニング |work=FNN[[プライムニュース|プライム]]オンライン |publisher=[[フジニュースネットワーク]] (FNN) |accessdate=2018-04-12 }}</ref>。宝光寺は、開山以来、曹洞宗でありながら、[[宗派]]本来の[[釈迦如来]]ではなく[[聖観世音菩薩]]を[[本尊]]としてきたが、これは前身たる菩提院の本尊をそのまま引き継いできたが所以である<ref name="寺" />。 |
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⚫ | その後、良秀が計画をただちに具体化することは無かったが<ref name="Chugai-20171018" />、[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]に発生した[[東日本大震災]]で仲の良かった友人を亡くしたことをきっかけに<ref name="Chugai-20171018" />、寺院経営の厳しいなか<ref name="Chugai-20171018" />、[[檀家|檀]]信徒から[[勧進|勧]][[募集|募]]せずに事業を進めようとした<ref name="Chugai-20171018" />。これに対して檀信徒のなかからは「造立に協力したい」という声も湧き上がったという<ref name="Chugai-20171018" />。 |
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=== 大仏発願 === |
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⚫ | 当寺の諸堂は、[[江戸時代]]から[[明治]]時代にかけての度重なる火災で焼失していたが<ref name="Chugai-20171018">{{Cite news |newspaper=[[中外日報]] |author= |date=2017年10月18日 |url=http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/kirari/20171018.html |title=遺志継ぎ大仏造立 ここを仏教の発信地に |publisher=中外日報社 |accessdate=2018-04-10 }}</ref>、[[昭和]]後期の[[住職]](32世住職)・八坂昭道は、七堂[[伽藍]]を整備する大事業を成し遂げた後<ref name="Chugai-20171018" />、当寺の属する[[西多摩]]を[[仏教]]の発信地にしようと考え、釈迦如来の[[大仏]]の造立を誓願した<ref name="Chugai-20171018" /><ref name="TMX-20180306">{{Cite web |date=2018年3月6日 |url=http://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=46512656 |title=高さ12メートル 鎌倉より大きい!東京・日の出町に大仏 |work=TOKYO MX NEWS |publisher=[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]] |accessdate=2018-04-10 }}</ref>。しかし、昭道は東京都宗務所長在任中の[[1995年]](平成7年)に急逝し、その遺志は替わって33世住職となった昭道の長男<ref name="Mainichi-20180412" />・良秀に引き継がれることとなる<ref name="Chugai-20171018" />。 |
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⚫ | その後、良秀が計画をただちに具体化することは無かったが<ref name="Chugai-20171018" />、[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]に発生した[[東日本大震災]]で仲の良かった友人([[修行]]仲間<ref name="Mainichi-20180412" />)を亡くしたことをきっかけに<ref name="Chugai-20171018" />、寺院経営の厳しいなか<ref name="Chugai-20171018" />、[[檀家|檀]]信徒から[[勧進|勧]][[募集|募]]せずに事業を進めようとした<ref name="Chugai-20171018" />。これに対して檀信徒のなかからは「造立に協力したい」という声も湧き上がったという<ref name="Chugai-20171018" />。 |
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=== 大仏造立 === |
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[[2013年]](平成25年)、寺は[[総代会]]で大仏造立事業の建設委員会を発足させた<ref name="Chugai-20171018" />。 |
[[2013年]](平成25年)、寺は[[総代会]]で大仏造立事業の建設委員会を発足させた<ref name="Chugai-20171018" />。 |
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大仏を含む寺院建築としての設計と施工は、[[翠雲堂]](本社所在地:[[東京都]][[台東区]][[元浅草]])が行った<ref name="翠雲堂">{{Cite web |date=2018年2月27日 |url=http://www.suiundo.co.jp/archives/4170.html |title=メディア紹介―『鹿野大仏』―スーパーJチャンネル(テレビ朝日) |work=公式ウェブサイト |publisher=翠雲堂 |accessdate=2018-04-10 }}</ref><ref name="翠雲堂-宝光寺様">{{Cite web |date= |url=http://www.suiundo.co.jp/archives/jiinbutsugu/jiinbutsugul_028 |title=宝光寺様 |work=公式ウェブサイト |publisher=翠雲堂 |accessdate=2018-04-10 }}■'''鹿野大仏の良質画像、複数あり'''。</ref>。仏像本体は、[[ |
大仏を含む寺院建築としての[[設計]]と[[施工]]は、[[翠雲堂]](本社所在地:[[東京都]][[台東区]][[元浅草]])が行った<ref name="翠雲堂">{{Cite web |date=2018年2月27日 |url=http://www.suiundo.co.jp/archives/4170.html |title=メディア紹介―『鹿野大仏』―スーパーJチャンネル(テレビ朝日) |work=公式ウェブサイト |publisher=翠雲堂 |accessdate=2018-04-10 }}</ref><ref name="翠雲堂-宝光寺様">{{Cite web |date= |url=http://www.suiundo.co.jp/archives/jiinbutsugu/jiinbutsugul_028 |title=宝光寺様 |work=公式ウェブサイト |publisher=翠雲堂 |accessdate=2018-04-10 }}■'''鹿野大仏の良質画像、複数あり'''。</ref>。仏像本体は、[[鋳造]]と[[運搬]]の容易な組み立て方式で造られることになり、まずは、縮尺10分の1<ref name="FNN-20180411" />の[[塑像]]([[粘土]][[模型]])が[[2015年]](平成27年)に完成した<ref name="Jcast-20180406">{{Cite web |author=阿部祐二 |date=2018年4月6日 |url=https://www.j-cast.com/tv/2018/04/06325566.html |title=鎌倉より大きい大仏さま 東京・日の出町に出現!新名所になるか?間もなく公開 |work=J-CASTニュース |publisher=[[ジェイ・キャスト]] |accessdate=2018-04-10 }}</ref>。その後、塑像を基に[[石膏]]で実寸大の[[原型]]を仕上げると<ref name="FNN-20180411" />、この原型をパーツごとに分解して[[鎔笵]](鋳型)とし<ref name="FNN-20180411" />、[[山形鋳物]]で有名な[[山形市]]内の鋳造業者に発注した<ref name="FNN-20180411" />。そうして成形された鋳物の各パーツは宝光寺に搬入され<ref name=":1">{{Cite news|title=“鎌倉超え”12メートルの大仏 観光名所に期待|newspaper=[[テレビ朝日]]|date=2018-02-27|url=http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000121781.html|accessdate=2018-02-28}}{{deadlink|date=2018年4月}}</ref><ref name="FNN-20180411" />、[[2017年]](平成29年)秋から組み立てが始まった<ref name="Jcast-20180406" /><ref name="Mainichi-20180412" />。像が完成するまでの一連の作業には1000年前の技術が用いられ、約100名の職人がたずさわった<ref name="FNN-20180411" />。 |
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大仏の完成は[[2018年]](平成30年)3月頃とされていたが<ref name="Asahi-20170919" />、予定よりも早く[[2月9日]]<ref name="翠雲堂-納入">{{Cite web |date= |url=http://www.suiundo.co.jp/archives/butsuzou/butsuzoularge |title=巨大仏具 納入例 |work=公式ウェブサイト |publisher=翠雲堂 |accessdate=2018-04-10 }}</ref>に完成した<ref group="*">[[施工]]者の[[納品]]登録年月日が、2018年2月9日。</ref>。一般公開は同年[[4月11日]]であった<ref name="FNN-20180411" />。 |
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[[銅合金]]で造られた大仏は、天日と雨風に曝されるうちにやがては[[緑青]]を発し、[[青緑色]]となる<ref name="Asahi-20170919" />。[[仏像]]と台座([[蓮華座]]と八角台座からなる)を合わせた全高は約18メートル。総工費は仏像と蓮華座だけで約4億円<ref name="Asahi-20170919" /><ref name=":1" />。 |
[[銅合金]]で造られた大仏は、天日と雨風に曝されるうちにやがては[[緑青]]を発し、[[青緑色]]となる<ref name="Asahi-20170919" />。[[仏像]]と台座([[蓮華座]]と八角台座からなる)を合わせた全高は約18メートル。総工費は仏像と蓮華座だけで約4億円<ref name="Asahi-20170919" /><ref name=":1" />。 |
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== 諸情報 == |
== 諸情報 == |
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* 発願者 - 八坂昭道:大仏開眼時の |
* 発願者 - 32世[[住職]]・八坂昭道:大仏開眼時の住職である八坂良秀(開眼当時64歳<ref name="Mainichi-20180412" />)の、父にあたる先代住職。 |
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* 造立者 - 塩澤山[[宝光寺 (日の出町)|寳光寺]](宝光寺):[[曹洞宗]]寺院。[[東京都]][[西多摩郡]][[日の出町]]平井3392に所在。 |
* 造立者 - 塩澤山[[宝光寺 (日の出町)|寳光寺]](宝光寺):[[曹洞宗]]寺院。[[東京都]][[西多摩郡]][[日の出町]]平井3392に所在。 |
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* 造立地 - 鹿野山<ref name="寺" />(ろくやさん)中腹:鹿野山は[[本堂]]の裏にある山で、無名であったのを、大仏造立にあたって寺が命名した<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />。山名の由来は2つあって、1つ目は寺の敷地内に今でも跡地が見られる薬湯である<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />。その名を「鹿湯/鹿の湯」といい、[[開山 (仏教)|開山]]当初から[[明治]]初頭までの長年に亘って湧出し、鹿湯[[大権現]]を信仰する[[温泉|湯治場]]として賑わっていたという<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />。その[[源泉]]がこの山にあったということである<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />。2つ目は、釈迦が[[悟り]]を拓いた地として有名な[[サールナート]](鹿野苑)にある<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" /><ref group="*">朝日新聞は「鹿野大仏」の名は寺の裏山の「鹿野山」の名にちなむとしているが、寺の公式ウェブサイトは、「鹿野山」という山名自体が大仏造立の際の命名であることや、「鹿野山」の語源が「鹿の湯」と「鹿野苑」にあることについて詳説している。</ref>。つまり、「鹿野山」と「鹿野大仏」の名は同時に生まれている。 |
* 造立地 - 鹿野山<ref name="寺" />(ろくやさん)中腹:日の出町平井3392地先。宝光寺から裏に続く山道を約1キロメートル行った所にある。鹿野山は[[本堂]]の裏にある山で、無名であったのを、大仏造立にあたって寺が命名した<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />。山名の由来は2つあって、1つ目は寺の敷地内に今でも跡地が見られる薬湯である<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />。その名を「鹿湯/鹿の湯」といい、[[開山 (仏教)|開山]]当初から[[明治]]初頭までの長年に亘って湧出し、鹿湯[[大権現]]を信仰する[[温泉|湯治場]]として賑わっていたという<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />。その[[源泉]]がこの山にあったということである<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />。2つ目は、釈迦が[[悟り]]を拓いた地として有名な[[サールナート]](鹿野苑)にある<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" /><ref group="*">朝日新聞は「鹿野大仏」の名は寺の裏山の「鹿野山」の名にちなむとしているが、寺の公式ウェブサイトは、「鹿野山」という山名自体が大仏造立の際の命名であることや、「鹿野山」の語源が「鹿の湯」と「鹿野苑」にあることについて詳説している。</ref>。つまり、「鹿野山」と「鹿野大仏」の名は同時に生まれている。 |
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* 設計・施工 - [[翠雲堂]]<ref name="翠雲堂" />。 |
* 設計者・施工者 - [[翠雲堂]]<ref name="翠雲堂" />。 |
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* 起工 - |
* 起工 - |
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* 竣工(落成) - [[2018年]](平成30年)[[2月9日]]<ref name="翠雲堂-納入" />。 |
* 竣工(落成) - [[2018年]](平成30年)[[2月9日]]<ref name="翠雲堂-納入" />。 |
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* [[開眼]][[法要]] - 2018年(平成30年)[[4月 |
* [[開眼]][[法要]] - 2018年(平成30年)[[4月10日]]。[[檀家]]公開。 |
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* 一般公開 - 2018年(平成30年)[[4月11日]]。 |
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* 構成 - 山腹の造成された丘に六角[[台座]]が設けられており、それを基盤として[[蓮華座]]に釈迦如来像が坐す。全高(仏像+台座〈蓮華座+六角台座〉の[[垂直]]高)は約18[[メートル]]<ref name="Asahi-20170919" />、左右幅および前後幅は約15メートル。 |
* 構成 - 山腹の造成された丘に六角[[台座]]が設けられており、それを基盤として[[蓮華座]]に釈迦如来像が坐す。全高(仏像+台座〈蓮華座+六角台座〉の[[垂直]]高)は約18[[メートル]]<ref name="Asahi-20170919" />、左右幅および前後幅は約15メートル。 |
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:* [[仏像]] - '''[[銅像|銅造]][[釈迦如来]]坐像'''<ref name="寺" />:唐金製([[銅合金]]製)。[[光背]]は無し。[[印相]]は禅定印。像高 約12メートル<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />、横幅 約11メートル<ref name="Asahi-20170919" />。現存する坐仏としては、[[東大寺大仏]](像高 約14.7メートル)に次ぐ国内第2位の大きさで、[[鎌倉大仏]](像高 約11.39メートル)は鹿野大仏の完成によって第3位に順位を下げた。 |
:* [[仏像]] - '''[[銅像|銅造]][[釈迦如来]]坐像'''<ref name="寺" />:唐金製([[銅合金]]製)。[[光背]]は無し。[[印相]]は禅定印。像高 約12メートル<ref name="寺" /><ref name="Asahi-20170919" />、横幅 約11メートル<ref name="Asahi-20170919" />。耳の長さは約2メートル<ref name="Asahi-20180410">{{Cite news |newspaper=朝日新聞 |author=金山隆之介 |date=2018年4月10日 |url=https://www.asahi.com/articles/ASL3Y74SBL3YUTIL071.html |title=東京)日の出町 大仏完成 あすから一般公開 |work=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |accessdate=2018-04-12 }}</ref>。現存する坐仏としては、[[東大寺大仏]](像高 約14.7メートル)に次ぐ国内第2位の大きさで、[[鎌倉大仏]](像高 約11.39メートル)は鹿野大仏の完成によって第3位に順位を下げた。 |
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:* [[蓮華座]](台座上層) - 唐金製(銅合金製)。高さ約3メートル、直径 約14メートル。<ref name="Asahi-20170919" /> |
:* [[蓮華座]](台座上層) - 唐金製(銅合金製)。高さ約3メートル、直径 約14メートル。<ref name="Asahi-20170919" /> |
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:* 六角台座(台座下層) - [[納骨堂]]を兼ねる。高さ約3メートル、左右幅および前後幅は約15メートル。<ref name="Asahi-20170919" /> |
:* 六角台座(台座下層) - [[納骨堂]]を兼ねる。高さ約3メートル、左右幅および前後幅は約15メートル。<ref name="Asahi-20170919" /> |
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* 総工費 - 仏像および蓮華座の合計額 約4億[[円 (通貨)|円]]<ref name="Asahi-20170919" />。 |
* 総工費 - 仏像および蓮華座の合計額 約4億[[円 (通貨)|円]]<ref name="Asahi-20170919" />。 |
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* 拝観料金 - 鹿野大仏は無料。 |
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* 付属施設 - [[参道|参詣道]]と休憩所は未整備(整備予定あり)。駐車場は宝光寺境内にあり。 |
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* 営業時間 - 特に無し。ただし、深夜には警報機が作動。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2018年4月11日 (水) 20:54時点における版
鹿野大仏 | |
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座標 | 北緯35度44分49.2秒 東経139度15分46.2秒 / 北緯35.747000度 東経139.262833度座標: 北緯35度44分49.2秒 東経139度15分46.2秒 / 北緯35.747000度 東経139.262833度 |
所在地 | 東京都西多摩郡日の出町平井3392地先(鹿野山) |
設計者 | 翠雲堂 |
種類 | 大仏 |
素材 | 銅合金 |
幅 | 15m |
高さ | 18m |
完成 | 2018年(平成30年)2月9日 |
開場 | 2018年(平成30年)4月11日 |
鹿野大仏(ろくやだいぶつ、別表記:鹿野大佛[* 1])は、日本の東京都西多摩郡日の出町平井に所在する塩澤山宝光寺えんたくざん ほうこうじ境内の、鹿野山に造立された大仏[1][2]である。銅造釈迦如来坐像[1]。寺は通称を多摩大仏(たまだいぶつ)[1]としている。2018年(平成30年)4月造立。全高18メートル[1]、像高約12メートル[1]。
歴史
宝光寺
鎌倉時代以来、武蔵国多西郡平井郷[3](現・東京都西多摩郡日の出町平井)には、源頼朝にゆかりある天台宗の菩提院があったが[3][4]、戦国時代の曹洞宗大和尚・以船文済いせん ぶんさい(1457-1547年)は[1][3]、天文8年(ユリウス暦換算:1539年)に甲斐国(現・山梨県)の妙亀山広厳院こうごんいんの住持になった後[3]、平井郷にては、頼朝ゆかりの菩提院を曹洞宗に改宗せしめ、塩澤山寳光寺(宝光寺)を開山した[1][3][5]。宝光寺は、開山以来、曹洞宗でありながら、宗派本来の釈迦如来ではなく聖観世音菩薩を本尊としてきたが、これは前身たる菩提院の本尊をそのまま引き継いできたが所以である[1]。
大仏発願
当寺の諸堂は、江戸時代から明治時代にかけての度重なる火災で焼失していたが[6]、昭和後期の住職(32世住職)・八坂昭道は、七堂伽藍を整備する大事業を成し遂げた後[6]、当寺の属する西多摩を仏教の発信地にしようと考え、釈迦如来の大仏の造立を誓願した[6][7]。しかし、昭道は東京都宗務所長在任中の1995年(平成7年)に急逝し、その遺志は替わって33世住職となった昭道の長男[4]・良秀に引き継がれることとなる[6]。 その後、良秀が計画をただちに具体化することは無かったが[6]、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災で仲の良かった友人(修行仲間[4])を亡くしたことをきっかけに[6]、寺院経営の厳しいなか[6]、檀信徒から勧募せずに事業を進めようとした[6]。これに対して檀信徒のなかからは「造立に協力したい」という声も湧き上がったという[6]。
大仏造立
2013年(平成25年)、寺は総代会で大仏造立事業の建設委員会を発足させた[6]。 大仏を含む寺院建築としての設計と施工は、翠雲堂(本社所在地:東京都台東区元浅草)が行った[8][9]。仏像本体は、鋳造と運搬の容易な組み立て方式で造られることになり、まずは、縮尺10分の1[5]の塑像(粘土模型)が2015年(平成27年)に完成した[10]。その後、塑像を基に石膏で実寸大の原型を仕上げると[5]、この原型をパーツごとに分解して鎔笵(鋳型)とし[5]、山形鋳物で有名な山形市内の鋳造業者に発注した[5]。そうして成形された鋳物の各パーツは宝光寺に搬入され[11][5]、2017年(平成29年)秋から組み立てが始まった[10][4]。像が完成するまでの一連の作業には1000年前の技術が用いられ、約100名の職人がたずさわった[5]。
大仏の完成は2018年(平成30年)3月頃とされていたが[2]、予定よりも早く2月9日[12]に完成した[* 2]。一般公開は同年4月11日であった[5]。
銅合金で造られた大仏は、天日と雨風に曝されるうちにやがては緑青を発し、青緑色となる[2]。仏像と台座(蓮華座と八角台座からなる)を合わせた全高は約18メートル。総工費は仏像と蓮華座だけで約4億円[2][11]。
諸情報
- 発願者 - 32世住職・八坂昭道:大仏開眼時の住職である八坂良秀(開眼当時64歳[4])の、父にあたる先代住職。
- 造立者 - 塩澤山寳光寺(宝光寺):曹洞宗寺院。東京都西多摩郡日の出町平井3392に所在。
- 造立地 - 鹿野山[1](ろくやさん)中腹:日の出町平井3392地先。宝光寺から裏に続く山道を約1キロメートル行った所にある。鹿野山は本堂の裏にある山で、無名であったのを、大仏造立にあたって寺が命名した[1][2]。山名の由来は2つあって、1つ目は寺の敷地内に今でも跡地が見られる薬湯である[1][2]。その名を「鹿湯/鹿の湯」といい、開山当初から明治初頭までの長年に亘って湧出し、鹿湯大権現を信仰する湯治場として賑わっていたという[1][2]。その源泉がこの山にあったということである[1][2]。2つ目は、釈迦が悟りを拓いた地として有名なサールナート(鹿野苑)にある[1][2][* 3]。つまり、「鹿野山」と「鹿野大仏」の名は同時に生まれている。
- 設計者・施工者 - 翠雲堂[8]。
- 起工 -
- 竣工(落成) - 2018年(平成30年)2月9日[12]。
- 開眼法要 - 2018年(平成30年)4月10日。檀家公開。
- 一般公開 - 2018年(平成30年)4月11日。
- 構成 - 山腹の造成された丘に六角台座が設けられており、それを基盤として蓮華座に釈迦如来像が坐す。全高(仏像+台座〈蓮華座+六角台座〉の垂直高)は約18メートル[2]、左右幅および前後幅は約15メートル。
- 総工費 - 仏像および蓮華座の合計額 約4億円[2]。
- 拝観料金 - 鹿野大仏は無料。
- 付属施設 - 参詣道と休憩所は未整備(整備予定あり)。駐車場は宝光寺境内にあり。
- 営業時間 - 特に無し。ただし、深夜には警報機が作動。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “寳光寺”. 公式ウェブサイト. 寳光寺. 2018年4月10日閲覧。※主として「御本尊」節。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 金山隆之介 (2017年9月19日). “あの鎌倉大仏を抜く12mの座仏建設中 東京・日の出”. 朝日新聞 (朝日新聞社) 2018年2月28日閲覧。
- ^ a b c d e 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
- ^ a b c d e 熊谷泰 (2018年4月11日). “鹿野大仏 高さ12メートル 日の出・宝光寺、きょうから一般参拝/東京”. 毎日新聞 (毎日新聞社) 2018年4月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “東京に“鎌倉超え”大仏誕生…新名所になるか - プライムニュースイブニング”. FNNプライムオンライン. フジニュースネットワーク (FNN) (2018年4月11日午後10時). 2018年4月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “遺志継ぎ大仏造立 ここを仏教の発信地に”. 中外日報 (中外日報社). (2017年10月18日) 2018年4月10日閲覧。
- ^ “高さ12メートル 鎌倉より大きい!東京・日の出町に大仏”. TOKYO MX NEWS. TOKYO MX (2018年3月6日). 2018年4月10日閲覧。
- ^ a b “メディア紹介―『鹿野大仏』―スーパーJチャンネル(テレビ朝日)”. 公式ウェブサイト. 翠雲堂 (2018年2月27日). 2018年4月10日閲覧。
- ^ “宝光寺様”. 公式ウェブサイト. 翠雲堂. 2018年4月10日閲覧。■鹿野大仏の良質画像、複数あり。
- ^ a b 阿部祐二 (2018年4月6日). “鎌倉より大きい大仏さま 東京・日の出町に出現!新名所になるか?間もなく公開”. J-CASTニュース. ジェイ・キャスト. 2018年4月10日閲覧。
- ^ a b ““鎌倉超え”12メートルの大仏 観光名所に期待”. テレビ朝日. (2018年2月27日) 2018年2月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “巨大仏具 納入例”. 公式ウェブサイト. 翠雲堂. 2018年4月10日閲覧。
- ^ 金山隆之介 (2018年4月10日). “東京)日の出町 大仏完成 あすから一般公開”. 朝日新聞 (朝日新聞社) 2018年4月12日閲覧。
外部リンク
- “御本尊”. 公式ウェブサイト. 寳光寺. 2018年4月10日閲覧。