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「MBSヤングタウン」の版間の差分

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『'''MBSヤングタウン'''』(エムビーエスヤングタウン)は、[[1967年]][[10月2日]]から[[MBSラジオ]]([[毎日放送]]のラジオ部門)で夜ワイド枠に放送している[[ラジオ番組|番組]]。開始当初は[[深夜放送|深夜]]帯に放送されていた。現在の放送時間は、毎週[[曜日]]・土曜日の夜22:00 - 23:30。
『'''MBSヤングタウン'''』(エムビーエスヤングタウン)は、[[1967年]][[10月2日]]から[[MBSラジオ]]([[毎日放送]]のラジオ部門)で夜ワイド枠に放送している[[ラジオ番組|番組]]。開始当初は[[深夜放送|深夜]]帯に放送されていた。現在の放送時間は、毎週金-日曜日の夜22:00 - 23:30。


通称は「'''ヤンタン'''」で、番組開始から[[1970年]][[9月]]までのタイトルは『'''歌え! MBSヤングタウン'''』であった。[[笑福亭鶴瓶]]は1975年から、[[明石家さんま]]は1976年から出演している。
通称は「'''ヤンタン'''」で、番組開始から[[1970年]][[9月]]までのタイトルは『'''歌え! MBSヤングタウン'''』であった。[[笑福亭鶴瓶]]は1975年から、[[明石家さんま]]は1976年から出演している。
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: ※この他に、[[ハロー!プロジェクト]]メンバーやモーニング娘。OG、過去のレギュラー出演者などが週替わりで出演する。
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** 1982/04 - 1983/03 笑福亭鶴光、角淳一、[[石毛礼子]]
** 1982/04 - 1983/03 笑福亭鶴光、角淳一、[[石毛礼子]]
** 1983/04 - 1984/03 笑福亭鶴光、角淳一、[[Lady oh!#西端やよい|西端弥生]]
** 1983/04 - 1984/03 笑福亭鶴光、角淳一、[[西端弥生]]
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* 1997/04 - 1999/03 よゐこ、松本麻希
* 1997/04 - 1999/03 よゐこ、松本麻希
* 1999/04 - 09 [[山本太郎]]、[[遠山景織子]]
* 1999/04 - 09 [[山本太郎]]、[[遠山景織子]]
* 2018/04 - [[アリス (フォークグループ)|アリス]]


=== 土曜日 ===
=== 土曜日 ===

2018年4月13日 (金) 14:07時点における版

MBSヤングタウン』(エムビーエスヤングタウン)は、1967年10月2日からMBSラジオ毎日放送のラジオ部門)で夜ワイド枠に放送している番組。開始当初は深夜帯に放送されていた。現在の放送時間は、毎週金-日曜日の夜22:00 - 23:30。

通称は「ヤンタン」で、番組開始から1970年9月までのタイトルは『歌え! MBSヤングタウン』であった。笑福亭鶴瓶は1975年から、明石家さんまは1976年から出演している。

一時は全曜日にわたって放送されていたため、当ページでは曜日別の呼称として、便宜上「ヤン○」(○は曜日名の頭文字)という略称を使用する(#エピソードを参照)。なお、現在放送中の日曜日についてはヤングタウン日曜日、土曜日についてはヤングタウン土曜日のページを参照されたい。

概要

1960年代後半から、深夜番組の黄金期を築いてきた番組で、フュージョンによるテーマソング(通称『MBSヤングタウンのテーマ』[1])が代々、使われている。

なお、MBS以外のラジオ局が制作・放送した『ヤングタウン』のうち、TBSラジオ1969年10月から1986年9月まで関東ローカルで毎週土曜日に放送していた『ヤングタウンTOKYO』シリーズは当番組の姉妹番組に当たる。

NRNに加盟する地方局への裏送り番組として、1975年4月から1986年3月まで文化放送が制作していた『ヤングタウンAM』については、当番組とは直接の関係がない。

歴史

番組開始までの経緯

1960年代前半までのMBSラジオは、在阪ラジオ局の聴取率において、ラジオ大阪(OBC)朝日放送(ABC)の後塵を拝していた。特に深夜帯では、『アナウンサーコーナー』と『ABCヤングリクエスト』の前に、大きく水をあけられていた。

MBSは1967年の春、当時ラジオ制作部のディレクター・渡邊一雄が、ラジオ編成部からの指示で、若者向け深夜番組の準備を開始。アップテンポなトークで、フォークソングロックをふんだんに流す番組の計画を練り上げた。

MBSは当番組の本放送を始めるまで、平日の深夜に半年限定、15分間のパイロット番組を放送。渡邊は入社2年目ながら「若者の兄貴分」という雰囲気を漂わせていた、斎藤努アナウンサーを、この番組のパーソナリティに抜擢した[2]

1960年代

渡邊は本放送を前に、聴取対象を25歳以下の若者に限定し、「子供相手の放送」にしないことと、彼らに連帯感を持たせるべく、毎日放送千里丘放送センター(当時)内で最も広い第1スタジオで、放送日の夕方に公開収録を実施することを決定。
歌え! MBSヤングタウン』のタイトルで、1967年10月1日日曜日)、0:10からの110分番組として本放送を開始した。

開始当初は、斎藤が全曜日の公開収録で司会を担当。高橋キヨシ(ギタリスト)と十川尚子(ピアノエレクトーン奏者)をレギュラーに起用した。また、関西地方で活動するアマチュアのフォークグループ(アマチュアバンド)2組を日替わりで出演させるとともに、プロのバンドやフォーク歌手を随時ゲストに迎えていた[3]
第1回のゲストは、当時アマチュアで活動していたザ・フォーク・クルセダーズであった[4]

本放送に際しては、MBSラジオ編成部の計らいで、自社制作番組では最も多額の予算を付けられていた。開始当初は公開収録への人出や局内の評価は芳しくなかったが、回を重ねるたびに収録への参加者が増加。ヴィレッジ・シンガーズをゲストに迎えた公開収録(1968年1月)に観覧希望者が殺到したことから、以降の放送では、往復ハガキでの応募を条件に観覧希望者へ参加整理券を配布するようになった[2]

1968年からはMBSテレビで、毎週日曜日に放送していた『スミ子と歌おう』をヒントに、オリジナルソングを毎月1曲ずつ放送する「ヤンタン今月の歌」(後述)を始めた[5]

しかし、斎藤は同年4月からプロ野球中継の実況・リポーターも兼務。当番組への出演日が週の前半(月 - 水曜日)に限られるため、それまで月曜日の1コーナーにレギュラーで出演していた桂三枝(現・六代桂文枝)を、週の後半(木 - 土曜日)の司会に抜擢した。

同時に、収録での演奏に対するアマチュアバンドの応募件数が増加の一途をたどっていたことから、千里丘放送センター第一スタジオなどで、定期的にオーディションを実施するようになった[6]

これを機に番組の聴取率は、当時の深夜番組の平均の20倍に相当する4%にまで上昇[2]。当時駆け出しの落語家だった三枝を一躍スターダムに押し上げた。
MBSテレビでも、1969年7月から、斎藤・三枝の出演で『ヤングおー!おー!』(SABホールでの公開収録番組)を放送。同年10月からは、MBSラジオのキー局・TBSラジオでも、公開生放送形式で『ヤングタウンTOKYO』を開始した。

三枝は当番組と並行しながら『ヤングタウンTOKYO』に放送開始から1975年9月まで、パーソナリティとして出演。毎週土曜日、当番組の収録を終えた後、飛行機による移動を経て東京で『ヤングタウンTOKYO』の生放送に臨んでいた。

1970年代

1970年には、『ヤングおー!おー!』や大阪万博(千里丘放送センターの近隣で開催)の人気に押されるかのように、当番組への参加者が激減。『ヤングおー!おー!』が軌道に乗ったこともあって、当番組では同年9月、公開収録をいったん終了した[7]

1970年10月から、千里丘センター内ラジオスタジオからの生放送へ移行するとともに、番組タイトルを現在の『MBSヤングタウン』に改称。当番組を放送する前の「初心」に還ることを目的に、斎藤を含む、MBSの男性アナウンサーと女性タレントのコンビ(後述)が、週2日ずつパーソナリティを務めるようになった[8]が半年後、タレントのレギュラー出演を復活。
お笑い主体の路線へ回帰するとともに、人気のアーティストやバンドをゲストに迎えての公開収録を土曜日に再開した。

1972年4月、「今月の歌」を終了させる一方で、10月からは、放送時間を3時間に延長。1973年4月には夜ワイド枠の放送に昇格、放送開始時間を22:00にまで繰り上げた。

1976年1977年の在阪ラジオ局聴取率調査では、当番組の平均聴取率が10%台にまで到達。在阪全局、全番組の中で、谷村新司、佐藤良子が出演する水曜日が1位。笑福亭鶴光角淳一佐々木美絵が出演する木曜日が2位を記録している。
この時期を境に、MBS全体の聴取率はOBC、ABCを上回るようになった[9]

1980年代

『歌え! MBSヤングタウン』時代から、当番組への出演を続けてきた三枝は、1979年12月1日土曜日)の放送を最後に勇退。同年4月からレギュラーで共演していた明石家さんまを、後任のパーソナリティに起用した。

この時期から、鶴光、谷村、ばんばひろふみに加えて、さんま、島田紳助・松本竜介笑福亭鶴瓶原田伸郎大津びわ子やしきたかじん嘉門達夫西川のりおチャゲ&飛鳥ダウンタウン渡辺美里など、多彩なパーソナリティが登場。
ある曜日のパーソナリティが別の曜日の放送にもゲストで登場するなど、曜日の枠を越えながら、番組を盛り上げるようになった。

また、土曜日の公開収録を1985年3月で終了させる一方で、リスナーも参加・鑑賞できるイベントを積極的に実施。
「ヤンタンオールスターズ」(出演者、スタッフで結成した草野球チーム)が松山千春とんねるずなどの芸能人チームと対戦した「ヤンタン野球大会」(後述)や、1981年SABホールで開かれた角と鶴光による「ど角・ど鶴のええか、ええかコンサート」などが人気を博した。

その一方で、長年のライバルであった『ヤンリク』は、1986年10月3日で、20年半もの歴史に終止符を打っている。

1986年4月には、金曜日のみ『MBSヤングタウン』と『ヤンタンキンド館』の2本立て体制で放送[10]。月 - 木曜日にも1987年4月から1990年4月まで[11]、『MBSヤングタウン』直後の24:45 - 26:30[11]に姉妹番組として『ヤンタン ミュージックゾーン ザ・リクエスト』(『ヤンタンミュージックゾーン THE REQUEST[11])を放送していた[11]
1987年度のナイターオフ期間には、平松邦夫の出演で、金曜日の19~20時台に『平松邦夫のミセスヤングタウン』を放送していた。

1990年代

MBSは1990年に、千里丘放送センター内のスタジオ機能を現在の社屋(大阪市北区茶屋町)へ移転。当番組は8月31日まで、同センターから放送。
9月1日から現在まで、主に茶屋町本社内のラジオスタジオを使っている。

しかし、在阪FMラジオ局の台頭、コーナースポンサーの撤退により、1990年代初頭から人気に翳りが出始めた。また、1980年代の人気を担った前述のパーソナリティが続々と退任。一時は、東京を中心に活動するタレントや若手ミュージシャンを前面に押し出す路線に転換。『ヤンタン』の名を冠した姉妹番組を続々と放送していた。

1991年10月から1993年3月までは、日曜日のみ『ヤンタン スペシャルサンデー』とのタイトルで放送。1992年10月から1993年12月までは、『ヤンタン ミュージックゾーン ザ・リクエスト』の後継番組として、MBSの若手アナウンサーによる『ヤンタンMUSICネトランジェ』(金曜日のみ『ヤンタンMUSICネトランジェ 金曜スペシャル』)を放送していた[12]

1994年1月から、月 - 木曜日の放送枠を22:00 - 23:00、23:00 - 1:00の2つに分割。前者は音楽リクエスト番組『ヤンタン はなまるリクエスト』。後者はトークバラエティ番組『ヤンタン あそびのWA!!』』を放送。金曜日は『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』を、22:00 - 1:00に放送した。

1995年10月、ヤンタン はなまるリクエストの放送時間を、月 - 木曜日22:00 - 0:00の2時間に拡大。ヤンタン あそびのWA!!を終了。21ヶ月振りに『MBSヤングタウン』のタイトルを復活し、月 - 木曜日0:00 - 3:00(金曜日は1:00 - 3:00)の3時間番組に拡大した。

1997年4月、『ヤンタン はなまるリクエスト』『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』を終了。ヤンタン放送開始 30周年を記念して、『MBSヤングタウン MUSIC MAX』を開始。『MBSヤングタウン』の放送日を、日・金・土曜日に縮小した。

1997年10月、月 - 木曜日の『MBSヤングタウン』を、22:00 - 0:00で再開。『MBSヤングタウン MUSIC MAX』を月 - 水曜日0:00 - 2:00へ移行。

1999年4月、『MBSヤングタウン MUSIC MAX』を終了。月 - 金曜日の『MBSヤングタウン』を、23:00 - 25:00に繰り下げ、パーソナリティを全面的に変更。月曜と金曜を男女ペアにするなどのリニューアルを試みるが、失敗に終わった。

MBSは1999年10月の改編を機に、『MBSヤングタウン』平日の放送枠を終了(XXX枠『オレたちXXXやってま〜す』へ転換)。日曜・土曜のみの放送となった。

2000年代以降

MBSは『MBSヤングタウン』を全曜日、完全に終了させる予定であったが、「ヤン土」パーソナリティのさんま、既にパーソナリティを卒業していた鶴瓶などが番組の続行を懇願。現在も土曜と日曜に『MBSヤングタウン』として、22:00 - 23:30の時間帯で放送している。

土曜日については、ハロー!プロジェクトの新旧メンバーが「ヤン娘。(やんむす)」として、代々さんまのパートナーを務める一方で、原則として、前日(金曜日)にMBS東京支社内のラジオスタジオで収録した内容を放送。日曜日については、「鶴瓶のすわるラジオ」というタイトルで、出演者の座りトークによる街頭収録を一時実施していた。現在は、MBS本社内のスタジオで収録した内容を中心に放送している。

2010年8月30日から同年9月3日の1週間にわたって『毎日放送開局60周年記念番組 MBSヤングタウン スペシャル』を22:00(JST。ナイター中継で、開始時間変更あり)から放送。三枝が六代 桂文枝を襲名する直前の2012年7月14日土曜日)の16:00 - 17:38には、六代桂文枝襲名企画の第1部として、『復活! 桂三枝の歌え! MBSヤングタウン』を公開収録形式で放送した。

『歌え!ヤングタウン』としての放送開始から50年を迎えた2017年には、土曜版の最終放送(12月30日)を、『20周年モーニング娘。のMBSヤングタウン』(矢口真里吉澤ひとみ田中れいな道重さゆみの出演によるモーニング娘。結成20周年記念番組)として編成。翌31日日曜日)の20:00 - 23:30には、当番組の50周年特別番組『MBSヤングタウン 50年クロニクル』(いずれも事前収録)を放送した。

2018年4月6日からは、『アリスのMBSヤングタウン』として、事前収録ながら金曜日のレギュラー放送を18年半振りに再開(基本放送枠は22:00 - 23:00)。堀内孝雄以外のメンバー(谷村新司・矢沢透)がかつて平日版のパーソナリティであったアリスが、ラジオ番組では初めて、メンバー全員でレギュラーパーソナリティを務める[13]。”なつかしい声が帰ってくる"と好感もっての復活劇であった。[14]

現在の出演者

ヤングタウン日曜日
ヤングタウン土曜日
※この他に、ハロー!プロジェクトメンバーやモーニング娘。OG、過去のレギュラー出演者などが週替わりで出演する。
アリスのMBSヤングタウン(金曜日)
※いずれも、アリスのメンバー。

歴代パーソナリティ

  • 1967/10 - 1968/3 斎藤努(毎日放送アナウンサー・当時)
    開始当初は、深夜0時10分 - 2時に放送される公開録音番組だった。
  • 1968/03 - 1970/09 斎藤努(月 - 水曜日)、桂三枝(木 - 土曜日)
  • 1970/10 - 1971/03 緒方憲吾・前田佳英子(月・火曜日)、池口和雄・壇上英子(水・木曜日)、斎藤努・横井久仁江(金・土曜日)
    上記の事情で、公開収録への参加者が減少していたことに加えて、学生運動の影響で公開収録を休止。スタジオからの生放送へ移行するとともに、当時のMBSアナウンサー(緒方・池口・斎藤)を全曜日でパーソナリティに起用した。
  • 1971/04 - 以降のパーソナリティは、曜日別に記載。
    元の番組内容に戻る。公開録音は、土曜日のみ復活( - 1985年3月)。
  • 1994/01 - 1995/09 大角香里(平日)
    ヤンタン はなまるリクエスト』(月 - 木曜日)、『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』(金曜日)。月 - 木曜日は、大角が音楽中心のコーナーを担当。金曜日は『はなまるリクエスト』の拡大版として、大角と上泉雄一(MBSアナウンサー)がパーソナリティを務めた。
  • 1997/04 - 09 岡本真夜(月曜)、NOB(CURIO)(火曜)、バーバラよね(水曜)、種浦マサオ(木曜)、大角香里(月曜 - 木曜)
    番組開始30周年を迎え、月曜 - 木曜は音楽リクエスト番組『MBSヤングタウン MUSIC MAX』となり、ヤンタンは日曜・金曜・土曜に縮小。
  • 1997/10 - 1999/09
    再び、日曜 - 土曜の放送に戻る。『MBSヤングタウン MUSIC MAX』は平日深夜に枠移動。aiko林あさ美などがパーソナリティを務めた。
  • 1999/10 - 笑福亭鶴瓶(日曜日)、明石家さんま(土曜日)
    月 - 金曜日の平日枠が、全て終了。日・土曜日のみの編成となる。

日曜日

1982年4月から放送開始。笑福亭鶴瓶がパーソナリティを務める1999年以降は、「すわるラジオ」と称して、街頭で収録した時期もあった。現在は基本として、MBS本社(または東京支社)のスタジオで収録した内容を放送。不定期で生放送を実施する場合もある。

  • 1991/10 - 1992/09 「ヤンタン スペシャルサンデー」時代
    • 明石家さんま、石田敦子(「ヤンタン スペシャルサンデー 明石家さんまのなんでもこい!」22:00 - 23:00)
    • 浜村淳、関岡香(毎日放送アナウンサー)(「ヤンタン スペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス」23:00 - 23:45;1993年3月まで)
1993年3月までは公開収録形式で、23:00まで放送。それ以降は、スタジオからの放送を復活した。
  • 1999/04 - 現在 笑福亭鶴瓶時代(第3次)
    • 1999/04 - 2000/09 笑福亭鶴瓶、西靖(毎日放送アナウンサー)、堀ちえみ
    • 2000/09 - 2004/03 笑福亭鶴瓶、西靖、松嶋尚美オセロ
    • 2004/04 - 2006/04 笑福亭鶴瓶、西靖、井上智栄子
    • 2006/04 - 2007/03 笑福亭鶴瓶、西靖、オラリー(素人)、田口万莉國丸純
    • 2007/04 - 2009/04 笑福亭鶴瓶、西靖、オラリー、田口万莉、笑福亭瓶成
    • 2009/05 - 07 笑福亭鶴瓶、西靖、オラリー、田口万莉
    • 2009/08 - 2010/02 笑福亭鶴瓶、西靖、負け越し(素人)、林実里(素人)、田口万莉
    • 2010/03 - 09 笑福亭鶴瓶、西靖、負け越し、田口万莉
    • 2010/09 - 2014/01 笑福亭鶴瓶、吉竹史(毎日放送アナウンサー・当時)、負け越し、田口万莉、桂三四郎
    • 2014/01 - 2016/06 笑福亭鶴瓶、福島暢啓(毎日放送アナウンサー)、負け越し、田口万莉、桂三四郎
    • 2016/07 - 笑福亭鶴瓶、福島暢啓、田口万莉、三遊亭とむ

月曜日

  • 1975/10 - 1982/03 笑福亭鶴瓶時代(第1次)
    • 1975/10 - 1976/03 笑福亭鶴瓶、角淳一、平井陽子
    • 1976/04 - 1978/03 笑福亭鶴瓶、浅川美智子(鬼首おりん)
    • 1978/04 - 1979/03 笑福亭鶴瓶、浅川美智子、中村行延
    • 1979/04 - 09 笑福亭鶴瓶、浅川美智子、住出勝則
    • 1979/10 - 1980/09 笑福亭鶴瓶、MANA、中村行延
    • 1980/10 - 1981/09 笑福亭鶴瓶、横山みゆき、中村行延
    • 1981/10 - 1982/03 笑福亭鶴瓶、堀江美都子あさみあきお
  • 1982/04 - 1989/09 明石家さんま時代(第2次・土曜日から異動)
  • 1989/10 - 1990/09 長江健次、喜多嶋舞Mr.オクレ加藤康裕(毎日放送アナウンサー)

火曜日

  • 1984/07 - 1989/02 河合奈保子、嘉門達夫時代
    • 1984/10 - 1986/03 河合奈保子嘉門達夫、長井展光(毎日放送アナウンサー・当時)
    • 1986/04 - 1987/09 河合奈保子、嘉門達夫、寺崎要
    • 1987/10 - 1989/02 河合奈保子、嘉門達夫、寺崎要、伊藤秀志
  • 1992/10 - 1993/03 トミーズ、週代わりゲスト(上岡龍太郎円広志、やしきたかじんなど)、ピンクダック・ミチ(コーナーのみ)
  • 1993/04 - 09 トミーズ、奥山佳恵、やるじゃねえかーず(コーナーのみ)
  • 1993/10 - 12 トミーズ、松井愛(毎日放送アナウンサー)、やるじゃねえかーず(コーナーのみ)
  • 1994/01 - 1995/03 ますだおかだ、松井愛、嶋田博子(おちゃめ組) (「ヤンタン あそびのWA!!」)
  • 1995/04 - 09 よゐこ松本麻希(「ヤンタン あそびのWA!!」)
  • 1995/10 - 1996/03 よゐこ、松本麻希

水曜日

  • 1978/04 - 1987/12 原田伸郎時代
    • 1978/04 - 1980/09 原田伸郎、大津びわ子、笑福亭笑光、伊東正治
    • 1980/10 - 1981/03 原田伸郎、ザ・ぼんち松原みき桂雀々、伊東正治
    • 1981/04 - 09 原田伸郎、松原みき、桂雀々、伊東正治
    • 1981/10 - 1982/09 原田伸郎、イリア、桂雀々、伊東正治
    • 1982/10 - 1983/03 原田伸郎、イリア、嘉門達夫、伊東正治
    • 1983/04 - 1984/09 原田伸郎、イリア、嘉門達夫、金指誠(毎日放送アナウンサー・当時)
    • 1984/10 - 1985/03 原田伸郎、水島依子、MAKOTO、金指誠
    • 1985/04 - 1987/03 原田伸郎、渡辺美里、MAKOTO、金指誠
    • 1987/04 - 12 原田伸郎、西岡芽生、笑福亭笑瓶、金指誠
  • 1994/01 - 03 よゐこ、堀みやこ 、稲泉ひろこ(おちゃめ組)(「ヤンタン あそびのWA!!」)
  • 1994/04 - 1995/03 よゐこ、松本麻希(「ヤンタン あそびのWA!!」)
  • 1994/04 - 1995/09 ますだおかだ、松井愛(毎日放送アナウンサー)(「ヤンタンあそびのWA!!」)
  • 1995/10 - 1997/03 ますだおかだ、濱田マリモダンチョキチョキズ・当時)、松井愛
  • 1997/10 - 1999/03 T・K・O、NOB
  • 1999/04 - 09 ベイブルース高山、NOB、中村舞子

木曜日

  • 1971/04 - 09 桂三枝、市丸
  • 1971/10 - 1972/09 レツゴー三匹、高野久仁子
  • 1972/10 - 1973/03 谷村新司
  • 1973/04 - 1974/03 林家小染末広真樹子
  • 1974/04 - 1975/03 林家小染、桂きん枝、麻田ルミ
  • 1975/04 - 09 近藤光史、月亭八方、佐藤良子
  • 1975/10 - 1976/03 近藤光史、桂きん枝、紀平まり子
  • 1976/04 - 1984/03 笑福亭鶴光、角淳一時代(第3次・金曜日から異動)
    • 1976/04 - 1977/09 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
    • 1977/10 - 1978/03 笑福亭鶴光、角淳一、原田伸郎、佐々木美絵
    • 1978/04 - 1979/09 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
    • 1979/10 - 1982/03 笑福亭鶴光、角淳一、石川優子
    • 1982/04 - 1983/03 笑福亭鶴光、角淳一、石毛礼子
    • 1983/04 - 1984/03 笑福亭鶴光、角淳一、西端弥生
  • 1987/08 - 1991/10 ダウンタウン時代
  • 1994/01 - 1995/09 FUJIWARA、つんく、宮田まさみ、佐藤由香(おちゃめ組)(「ヤンタン あそびのWA!!」)
  • 1995/10 - 1996/03 FUJIWARA、つんく、藤原みわ
  • 1996/04 - 1997/03 よゐこ、松本麻希
  • 1997/10 - 1999/03 ベイブルース高山、種浦マサオ、中村亜紀
  • 1999/04 - 09 岡本真夜、なるみ鳥羽潤

金曜日

  • 1971/04 - 09 北山修、松尾千里
  • 1971/10 - 1972/03 杉田二郎、横井くにえ
  • 1972/04 - 09 杉田二郎、田中恵子
  • 1972/10 - 1973/09 キャッシー、山本雄二
  • 1973/10 - 1975/03 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
  • 1975/04 - 1975/09 ばんばひろふみ小山乃里子
  • 1975/10 - 1976/03 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
  • 1978/04 - 1986/12 谷村新司、ばんばひろふみ時代
    • 1978/04 - 1983/03 谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子
      • 1981/04 - 09(第2部) 矢沢透
      • 1981/10 - 1982/09(第2部) 矢沢透、ジーン長尾
      • 1982/10 - 1983/03(第2部) 矢沢透、牧田朋子
    • 1983/04 - 1984/03 谷村新司、ばんばひろふみ、岩崎良美
      • 1983/04 - 09(第2部) 根本要、牧田朋子
      • 1983/10 - 1984/03(第2部) 根本要、白井貴子
    • 1984/04 - 1985/03 谷村新司、ばんばひろふみ、三田寛子
      • 1984/04 - 09(第2部) 長江健次、西端弥生
    • 1985/04 - 1986/03 谷村新司、ばんばひろふみ、松本明子
    • 1986/04 - 1986/12 谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子
「キンド館」は元々の番組企画段階では存在しなかったが、以前から、ヤンタンの大ファンだった兵藤ゆきの懇願により出来た番組。「キンド館」の名前の由来は、「金曜日と土曜日の間にやっている番組」という所から
  • 1987/01 - 1990/09 根本要時代(第1次)
この時期は女性アイドルを番組のメインに据え、今田・東野はサブに回っていた

土曜日

1985年3月までは、MBS千里丘放送センター内の第一スタジオ(のちにミリカホールに変更)で公開録音。同年4月以降は、非公開でのスタジオ収録に移行した。現在は、MBS東京支社スタジオで毎週金曜日に収録。

  • 1971/04 - 1979/12 桂三枝時代
    • 1971/04 - 1971/09 桂三枝、斎藤努、週替わりゲスト、桂朝丸(現・桂ざこば)、ジローズ(隔週でTBSラジオ制作・ヤングタウンTOKYO
    • 1971/10 - 1972/03 桂三枝、斎藤努
    • 1972/04 - 09 桂三枝、近藤光史、亀本友子
    • 1972/10 - 1973/09 桂三枝、近藤光史
    • 1973/10 - 1974/09 桂三枝、近藤光史、桂きん枝、海原千里・万里
    • 1974/10 - 1975/03 桂三枝、近藤光史、月亭八方、コメディNo.1坂田利夫前田五郎
    • 1975/04 - 09 桂三枝、近藤光史、月亭八方、笑福亭鶴瓶、林家染二桂文福、鬼塚泰子
    • 1975/10 - 1976/03 桂三枝、月亭八方、大地真央
    • 1976/04 - 1977/03 桂三枝、月亭八方、中村京子
    • 1977/04 - 09 桂三枝、月亭八方、中村京子、太平サブローシロー
    • 1977/10 - 1979/03 桂三枝、月亭八方、やしきたかじん、中村京子
    • 1979/04 - 09 桂三枝、月亭八方、明石家さんま、中村京子、中村行延、桂三と九、タロー&タロー
    • 1979/10 - 12 桂三枝、月亭八方、明石家さんま、中村京子、桂三と九、島田紳助、松本竜介
  • 1979/12 - 1982/03 明石家さんま時代(第1次)
    • 1979/12 - 1980/03 明石家さんま、月亭八方、中村京子、桂三と九、島田紳助、松本竜介
    • 1980/04 - 09 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、桂三と九、鈴江真理(関岡香アナの姉)
    • 1980/10 - 1981/09 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、長江健次、桂小つぶ、榊原久美子
    • 1981/10 - 1982/03 明石家さんま、オール阪神・巨人、松田晃、安藤久美子
  • 1982/04 - 1988/12 笑福亭鶴瓶時代(第2次・月曜日から異動)
    • 1982/04 - 1983/03 笑福亭鶴瓶、松田晃、安藤久美子
    • 1983/04 - 09 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、松田晃、黒田伊佐子、安藤久美子
    • 1983/10 - 1984/09 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、松田晃、黒田伊佐子、牧田朋子
    • 1984/10 - 1985/03 笑福亭鶴瓶、笑福亭笑瓶、牧田朋子、ザ・バッテリー
    • 1985/04 - 09 笑福亭鶴瓶、西端弥生
    • 1985/10 - 1986/03 笑福亭鶴瓶、西端弥生、森脇健児
    • 1986/04 - 09 笑福亭鶴瓶、宮崎ますみ、森脇健児
    • 1986/10 - 1988/01 笑福亭鶴瓶、宮崎ますみ、吉條英希
    • 1988/02 - 12 笑福亭鶴瓶、福井希容(柳いろはゆり菜姉妹の母)、ビッグブラザーズ
  • 1989/01 - 09 北野誠、関口誠人、福井希容
  • 1989/10 - 1990/09 北野誠、関口誠人、羽野晶紀
  • 1990/10 - 1991/03 北野誠、古田新太、羽野晶紀、きんた・ミーノ
  • 1991/04 - 10 北野誠、シンデレラエキスプレス久松史奈
  • 1991/10 - 1992/09 兵藤ゆき、たまごどんぶり(公募で選ばれた現役中高生)
  • 1992/10 - 現在 明石家さんま時代(第4次・日曜日「スペシャルサンデー」より異動)
    • 1992/10 - 1997/02 明石家さんま、玉井健二、加藤紀子、村上ショージ(ゲストとして、頻繁に出演。1995年頃から正式にレギュラーへ定着)
    • 1997/03 - 1999/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、吉村麻希マキ凛子
    • 1999/04 - 2000/09 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、太陽とシスコムーン(のちに「T&Cボンバー」に改名。信田美帆稲葉貴子RuRu小湊美和
    • 2000/10 - 2002/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、安倍なつみ保田圭りんね
    • 2002/04 - 2003/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、中澤裕子松浦亜弥カントリー娘。(準レギュラー。りんね、あさみ里田まい。りんねは途中降板)
    • 2003/04 - 2004/04 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、中澤裕子、あさみ、里田まい、準レギュラー(後藤真希石川梨華加護亜依高橋愛の中から、1人)
    • 2004/04 - 06 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみ、稲葉貴子の中から、2人)
    • 2004/07 - 11 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、安倍なつみ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみの中から、1、2人)
    • 2004/12 - 2006/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、準レギュラー(藤本美貴、高橋愛、後藤真希、柴田あゆみの中から2人。後期は藤本、高橋が実質レギュラー)
    • 2006/04 - 2007/03 明石家さんま、玉井健二、村上ショージ、藤本美貴、高橋愛
    • 2007/04 - 06/02 明石家さんま、村上ショージ、藤本美貴、高橋愛
    • 2007/06/09 - 2009/10/03 明石家さんま、村上ショージ、高橋愛、道重さゆみ
    • 2009/10/10 - 2011/09 明石家さんま、村上ショージ、高橋愛、道重さゆみ、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子の中から1人)
    • 2011/10 - 2012/03 明石家さんま、村上ショージ、道重さゆみ、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子、高橋愛の中から1 、2人)
    • 2012/04 - 2013/03 明石家さんま、村上ショージ、道重さゆみ、光井愛佳、週替わりレギュラー(藤本美貴、保田圭、吉澤ひとみ、中澤裕子、高橋愛の中から1人)
    • 2013/04 - 2014/11/22 明石家さんま、村上ショージ、道重さゆみ、飯窪春菜、週替わりゲスト(上記の週替わりレギュラーを含む)
    • 2014/11/29 - 2015/12 明石家さんま、村上ショージ、鞘師里保、飯窪春菜、週替わりゲスト
    • 2016/01 - 2017/12/09 明石家さんま、村上ショージ、飯窪春菜、工藤遥、週替わりゲスト
    • 2017/12/16 - 明石家さんま、村上ショージ、飯窪春菜、横山玲奈、週替わりゲスト

毎日放送開局60周年記念番組 MBSヤングタウン スペシャル

2010年8月30日から9月3日まで放送された。

  • 8月30日「さんまのヤンタン スペシャル」
    • 明石家さんま、村上ショージ、大津びわ子、藤本美貴、伊東正治
  • 8月31日「伸郎のヤンタン スペシャル ねたナイト」
    • 原田伸郎、嘉門達夫、奥野敦子(イリア)
  • 9月1日「ヤンタン スペシャル なつかしSONGリクエスト!」
    • 根本要、渡辺美里、バーバラよね
  • 9月2日「ヤンタン スペシャル なつかしSONGリクエスト!」
    • ばんばひろふみ、イルカ
  • 9月3日「鶴瓶のヤンタン スペシャル」
    • 笑福亭鶴瓶、西靖(毎日放送アナウンサー)、田口万莉、負け越し(素人)、吉竹史(毎日放送アナウンサー・当時)

『復活! 桂三枝の歌え! MBSヤングタウン』

当番組で三枝と長らく共演した後に、羽衣国際大学名誉教授になった斎藤努が、久々にラジオ番組へ出演。三枝のパートナーとして、公開収録の進行役を務めた。月亭八方、桂きん枝、杉田二郎などがゲストで登場。

かつて当番組で使われたジングルや音源を挿入し、『歌え! MBSヤングタウン』時代の企画を復活。杉田が、歌と演奏を披露した。
三枝は当番組の放送の翌々日(2012年7月16日)に「六代 桂文枝」を襲名。当番組が「桂三枝」名義で出演する最後の番組になった。

オープニングは、西靖が、口上代わりのナレーションを担当した。

『MBSヤングタウン 50年クロニクル』

2017年12月31日(日曜日)の20:00 - 23:30に、事前収録方式で放送。放送時点で日曜版のアシスタントを務める福島暢啓(毎日放送アナウンサー)[16]がスタジオ進行を担当したほか、平日版のパーソナリティ経験者である原田伸郎・嘉門タツオ[17]・伊東正治や、 放送時点で『ヤマヒロのぴかいちラジオ』『茶屋町ヤマヒロ会議』(いずれもMBSラジオ)のパーソナリティを務める山本浩之[18]フリーアナウンサー)をスタジオゲストに迎えた。

また、前述の出演者によるスタジオパートとは別に、平日版のパーソナリティコンビ(桂文枝・斎藤努、角淳一・笑福亭鶴光、明石家さんま・大津びわ子、谷村新司・佐藤良子)、平日版パーソナリティの1人だった根本要[19]、放送時点での日曜版レギュラー出演者(福島・笑福亭鶴瓶・田口万莉・三遊亭とむ)が登場する「スペシャルトーク」を収録。事前の募集を通じてリスナーから寄せられた秘蔵音源、平日版の放送から生まれたヒット曲、往年のリスナーやつんく♂からのメッセージも交えながら、50年の歴史を時代ごとに紐解いていた[20]

主なスタッフ

  • 渡邊一雄(わたなべ かずお)
    「ヤンタン」の生みの親(創始者)。1967年10月の『歌え! MBSヤングタウン』の放送を開始してから、1987年にテレビ制作部の部長職へ異動するまで、20年間にわたってプロデューサーを務めた。
    出演した多くのタレントアナウンサーの育ての親もあり、後述する渡辺姓のスタッフと区別する意味で、オオナベさんとも呼ばれていた。
    テレビ制作部への異動後は一時期、次長職で、ラジオ局に復帰。1997年6月に、MBSを定年退職。2005年7月に『ヤンタンの時代。』を刊行した(発行:キッズネット・発売:角川書店。2005年7月発行。書籍コード:ISBN 4048943405)。
    2010年10月11日、75歳で逝去。同年12月6日にシアターBRAVA!で開かれた渡邊の「偲ぶ会」には、歴代パーソナリティの三枝、谷村、当時活動を休止していたCHAGE and ASKAが久々に顔を揃えた[21]
  • 渡辺高志(わたなべ たかし)
    1979年から1983年まで、ディレクターを担当。コナベさんという通称でも知られた。

この他にも、大谷武文田中文夫、宇野幹雄、増谷勝己、影山貴彦三村景一新堂裕彦神津梓などが、ディレクターやプロデューサーを歴任。1970年代から1980年代までは、『ヤングおー!おー!』のスタッフから放送作家に転じた寺崎要が、番組全体を統括するチーフ構成の任に当たっていた。

エピソード

  • 1968年1月から始まった「ヤンタン 今月の歌」では、通算52曲ものオリジナルソングを発表した[22]。放送を終了した1982年4月には「今月の歌」をまとめた『ヤンタン ソング集』が、ミリカ音楽出版から刊行[23]。『歌え! MBSヤングタウン』の放送開始から25周年に当たる1993年4月15日には「今月の歌」から19曲を収めたCDアルバム『MBSヤングタウン 今月のうた』がポリスターから発売されている(EANコード:4988023022321)。
  • 公開収録を実施していた1968年、1970年、1971年には、当番組と縁の深い歌手やバンドの出演による「ヤンタンフェスティバル」を、年に1~2回開催。1970年1月7日にフェスティバルホールで開かれた第2回については開催後、実況録音盤のレコードを発売した[23]
  • 1981年5月28日には「ど角・ど鶴のええか、ええかコンサート」(前述)、1985年と1987年の8月には「明石家さんまコンサート」、1988年6月にはダウンタウンによる「もくもくコンサート」をそれぞれ開催。1988年には「ヤン金」レギュラーだった根本・野沢などが「フライデーモンスターズ」というバンドを結成した。1989には、当時の「ヤン土」レギュラー(北野、関口など)で結成したバンドが12月24日の「クリスマス御陽気にコンサート」でライブデビューを果たしている[23]
  • 1983年と1986年~1988年の5月には、「ヤンタン オールスターズ」と芸能人チーム(1983年:松山千春チーム「スーパースターズ」/1986年:チェッカーズチーム/1987年:とんねるずチーム/1988年:仲村トオルチーム「デンジャーズ」)による「ヤンタン野球大会」を西宮球場(1983年)、甲子園球場(1986年)、大阪球場(1987年・1988年)で実施。当時の「ヤン月」レギュラーでスポーツアナウンサーでもあった伊東が場内で実況を担当した。また、開催日の深夜には、MBSテレビで特別番組の生放送を実施した。
  • 当番組でレギュラーを務めたMBSアナウンサー(出演時点)のうち、出演期間が最も長いのは角と伊東である(いずれも12年間)。
  • 紳助が「ヤン木」のパーソナリティを務めていた1985年8月には、生駒山上で「ヤン木 モトクロスフェスティバル」を開催している[23]
  • 1985年8月12日は『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の午後の収録が予定より早く終わったため、さんまは同夜のヤンタン出演のために予約していた羽田空港発・伊丹空港行きのJAL便を1本早いANA便に切り替えて大阪入りしたが、この時にキャンセルした伊丹行きJAL便こそが御巣鷹の尾根に墜落したJAL123便であり、さんまは間一髪で同墜落事故の難を逃れる事となった。しかし、さんまがこの墜落事故で受けたショックはかなり大きく、以後、東京と大阪の往来では東海道新幹線を利用するようになった。当日の放送でさんまは「今日はあほなこと言う気にならん」と終始低いテンションで放送を続けた。各コーナーも休止の上、内容のほとんどを関連ニュースに変更し、ニュース以外はこの番組には珍しく、さんまがリクエストした曲を流すという進行となった。この時、長江が空気を読まずに自分が歌っていた「ハイスクールララバイ」をリクエストしたところ、さんまから「お前、こんな日にしょうもない歌流しやがって。そんなやから欽ちゃん(萩本欽一)にも愛想尽かされるんじゃ」とまじめに説教された[25]
  • 1989年8月6日に千里丘放送センターで開催の「ヤンタンTeen's 学園祭」では、長らく「ヤン日」のアシスタントを務めた小林千絵の後任を決める目的で「ヤン日オーディション」を実施。オーディションで優勝した現役高校生の澤が同月から1990年9月まで「ヤン日」のアシスタントを務めた(前述)[26]。また、1990年春には「ヤン土」でも同様のオーディションを実施。そこで選ばれた現役中高生が「たまごどんぶり」名義で同年4月から半年間レギュラー出演していた[23]
  • 笑福亭笑光時代から断続的に出演していた嘉門達夫は平日版放送終了後の2015年に「自伝的青春小説」という触れ込みで『丘の上の綺羅星』を幻冬舎から発売(ISBN 978-4344028326)。当番組にまつわる自身の経験、芸能人としての自身のルーツ、渡邊一雄が逝去する直前に個人の立場で収録したインタビューの内容などを交えながら、「伝説のラジオ番組『ヤングタウン』に育てられたある男の物語」を綴っている。
  • 毎日放送のラジオ本放送開始65周年に当たる2016年には、1990年代の中盤に木曜日でパーソナリティを務めたつんく♂が、65周年記念企画の一環でMBSラジオのステーションソングを制作。つんく♂のメジャーデビュー前に平日版の放送で人気を博した「ハッピートゥデー」(リスナーが生放送中に電話でパーソナリティとのトークに参加できるコーナー)にちなんで、「Thank you! Happy today! ~MBSラジオのうた~」というタイトルを冠した[27]ほか、『ヤンタン』シリーズでのレギュラー経験を持つ浜村・近藤光史・子守・鳥居・上泉・松井愛がボーカルで参加した[28]

脚注

  1. ^ アルバムCD『MBSヤングタウン 今月の歌』にも記載
  2. ^ a b c 『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 斎藤努編」より
  3. ^ 『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた ザ・フォーク・クルセダーズ編」より。
  4. ^ 『ヤンタンの時代。』第二章の「ザ・フォーク・クルセダーズ編」より。当番組への出演時点で解散を決めていたが、出演直後に『帰ってきたヨッパライ』(自主制作によるLPレコード『ハレンチ』の収録曲)が空前の大ヒットを記録した。
  5. ^ 『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた ロック・キャンディーズ編」より。『スミ子と歌おう』は当時、MBSテレビで、毎週日曜日の午前9時台に放送。エンディングで坂本が「今月の歌」を披露していた。『戦争は知らない』(寺山修司作詞・加藤ヒロシ作曲)も、最初は「今月の歌」として発表されていた。
  6. ^ 『ヤンタンの時代』第二章の「ロック・キャンディーズ編」より。後に当番組でディレクターを務める大谷・宇野・増谷も、学生時代にオーディションへ参加していた。
  7. ^ 『ヤンタンの時代。』第二章「『ヤンタン今月の歌』関西に新しいフォークが生まれた 北山修編」より。
  8. ^ 『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 笑福亭鶴光・角淳一編」より
  9. ^ 『ヤンタンの時代。』第一章「みんな名もない新人だった 笑福亭鶴光・角淳一編」より。この影響で、ABCは『ABCヤングリクエスト』のリニューアルを実施。OBCは1970年から裏番組として放送してきた『ヒットでヒット バチョンといこう!』の終了を余儀なくされたという。
  10. ^ 『なつかしラジオ大全』P142
  11. ^ a b c d 『なつかしラジオ大全』P144
  12. ^ 現在(2017年12月の時点)でもMBSの現役アナウンサーである千葉猛亀井希生や、放送当時アナウンサーだった石田敦子(現在は東京支社報道部記者)などが、日替わりでパーソナリティを担当。1993年には、『ヤンタンMUSICネトランジェ 金曜スペシャル 真夜中のLOVE SONG』が日本民間放送連盟賞 ラジオ娯楽部門の最優秀賞を受賞した。
  13. ^ MBS『ヤンタン』18年半ぶり金曜枠復活 アリスがパーソナリティー就任(『ORICON STYLE2018年3月23日付記事)
  14. ^ “MBSヤンタン金曜枠が19年ぶりにアリスで復活!4月6日から” (日本語). SANSPO.COM. http://www.sanspo.com/geino/news/20180324/geo18032405040006-n2.html 2018年4月10日閲覧。 
  15. ^ 1994年10月31日、メンバーの河本栄得が他界。
  16. ^ 毎日放送の放送対象外地域である宮崎市の出身。担当時点での年齢は30歳で、平日版の放送をリアルタイムで聴取した経験はないが、土・日曜版レギュラー出演者でただ1人現役の毎日放送アナウンサーであることから進行役に抜擢。
  17. ^ 平日版にレギュラーで出演していた期間中の芸名は「笑福亭笑光」→「嘉門達夫」
  18. ^ 学生時代に平日版のヘビーリスナーであった縁でゲスト出演。大阪府泉佐野市の出身で、出演時点の年齢は55歳だった。
  19. ^ パーソナリティへの起用を機に、当時放送されていた「ハッピートゥデー」のジングルも制作。
  20. ^ MBSラジオ ヤンタン50歳 大みそかに特番(『毎日新聞2017年12月12日付記事)
  21. ^ 渡邊一雄さん:ヤンタンの名プロデューサーを「偲ぶ会」チャゲアスも久々ツーショット - 毎日新聞デジタル、2010年12月7日
  22. ^ a b c 『ヤンタンの時代。』巻末の「ヤンタン今月の歌リスト」より
  23. ^ a b c d e 『ヤンタンの時代。』に所収の「<ヤングタウン出演者年表1967 - 90>」より
  24. ^ 『ヤンタンの時代。』掲載の「『ヤンタン今月の歌』」より。ベトナムのヒット曲であった『坊や大きくならないで』については、当時ベトナム戦争の取材で現地に赴いていたMBS報道部の浅井記者による紹介を機に、瀬尾の編曲。浅川しげるの日本語詞によるバージョンをマイケルズが歌っていた。
  25. ^ “【日航機墜落30年】難を逃れた芸能人たち さんまがIMALUに込めた思い”. 東スポWeb. (2015年8月13日). https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/434609/ 
  26. ^ 『ヤンタンの時代。』掲載の「<ヤングタウン出演者年表1967 - 90>」より。澤は後に東北放送アナウンサーを経てフリーアナウンサーとして再びMBSラジオの番組(『ノムラでノムラだ♪』→『子守康範 朝からてんコモリ!』)でアシスタントを務めている。
  27. ^ “ヤンタン”の縁 つんく♂が「MBSラジオのうた」制作(『THE PAGE』2016年7月14日付記事)
  28. ^ 「Thank you! Happy today! ~MBSラジオのうた~」ミュージックビデオ

参考資料

関連項目

  • MBSラジオ番組一覧
  • ヤンタン茶屋町学園(1992年10月から1993年3月まで、日曜日の深夜に放送された姉妹番組。1993年4月から「ヤン水」へ移行)
  • MBSミュージックタウン(1992年度のナイターオフ期間に、当番組の前枠で放送された姉妹番組。「MBSヤングタウンのテーマ」のテクノバージョンをオープニング曲に使用)
  • 歌え! MBSヤングタウン同窓会
    毎日放送千里丘放送センターの解体を前に、「MBS千里丘フェスティバル」の一環で放送された公開収録番組。齋藤努・桂三枝らが出演。

外部リンク

  • ヤングタウン土曜日 - 毎回の収録直後に更新される「message(ヤン土スタッフメッセージボード)」で、収録回の出演者や放送内容を発表。
  • ヤングタウン日曜日 - 放送済みの音源を、ほぼ全編にわたって、放送の翌週からYouTube内のMBSラジオ公式チャンネルで順次配信。
  • MBSヤングタウン 50年クロニクル - 『歌え!MBSヤングタウン』の放送開始から2017年12月時点までのレギュラーパーソナリティ全員の一覧表をPDFファイルで公開。