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1年目には登板の機会がなかったが、{{by|2007年}}[[6月24日]]の[[中日ドラゴンズ]]4回戦([[ナゴヤドーム]])の9回裏に初登板。翌{{by|2008年}}[[3月26日]]には[[千葉ロッテマリーンズ]]3回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])では初先発を果たした。
1年目には登板の機会がなかったが、{{by|2007年}}[[6月24日]]の[[中日ドラゴンズ]]4回戦([[ナゴヤドーム]])の9回裏に初登板。翌{{by|2008年}}[[3月26日]]には[[千葉ロッテマリーンズ]]3回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])では初先発を果たした。


{{by|2010年}}は序盤こそ打ち込まれたものの、監督の[[秋山幸二]]が辛抱強く甲藤を起用し続けた結果、5月の中頃から安定した投球を見せ、勝ちパターンの中継ぎ投手としての地位を確立。[[6月7日]]には自己最速となる152km/hをマークし、[[7月27日]]の楽天戦では2点ビハインドの状況で7回から救援登板。その裏の攻撃で味方打線が[[岩隈久志]]を打ち込んで逆転し、プロ初勝利をあげた。これ以降も勝負どころでの起用が続いたが、[[9月14日]]の[[千葉ロッテマリーンズ]]23回戦([[千葉マリンスタジアム]])では、初球を[[福浦和也]]の頭に当て1球で[[危険球]]退場になるなど不安定な面も見せた。最終的には65試合に登板し、敗戦は1つもなくチームの7年ぶり優勝に貢献した。プロ入り5年目ながらも[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]の権利を有しており、結局新人王の獲得はならなかったものの、記者投票(総数217票)は新人王を獲得した[[榊原諒]](84票)に次ぐ50票を集めた<ref>[http://npb.jp/award/2010/voting_rok.html 2010年度 表彰選手 投票結果(最優秀新人)]NPB日本野球機構公式サイト</ref>。オフの契約更改においては、推定年俸900万円から400%アップの4500万円の提示を受け、「びっくりする提示を受けて、これだけもらってもいいものかと…。もう一度考えさせてくださいということです」という理由により保留し<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/12/04/kiji/K20101204Z00000120.html ソフトバンク甲藤「もらいすぎ」で保留「テンぱってしまった」] - スポーツニッポン(2010年12月4日)</ref>、この年の保留第一号となった。もちろん二度目の交渉においてこの条件で更改している。
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2018年5月9日 (水) 01:09時点における版

甲藤 啓介
ソフトバンク時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県香美市
生年月日 (1983-11-12) 1983年11月12日(40歳)
身長
体重
180 cm
91 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト4巡目
初出場 2007年6月24日
年俸 1,500万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

甲藤 啓介(かっとう けいすけ、1983年11月12日 - )は、高知県香美市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

高知県香美市出身。高知高校3年次に第73回選抜高等学校野球大会に出場するも、当時は福山雄(現三菱ふそう川崎)の控え投手であった。進学した近畿大学でも3年間未勝利だったが、4年次に春季リーグで4勝を挙げ頭角を現すと、さらに秋季リーグでは負けなしの5勝を挙げ、リーグMVPとベストナインを獲得する。2005年の大学・社会人ドラフト福岡ソフトバンクホークスに4巡目で指名され、入団。

ソフトバンク時代

1年目には登板の機会がなかったが、2007年6月24日中日ドラゴンズ4回戦(ナゴヤドーム)の9回裏に初登板。翌2008年3月26日には千葉ロッテマリーンズ3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)では初先発を果たした。

2010年は序盤こそ打ち込まれたものの、監督の秋山幸二が辛抱強く甲藤を起用し続けた結果、5月の中頃から安定した投球を見せ、勝ちパターンの中継ぎ投手としての地位を確立。6月7日には自己最速となる152km/hをマークし、7月27日の楽天戦では2点ビハインドの状況で7回から救援登板。その裏の攻撃で味方打線が岩隈久志を打ち込んで逆転し、プロ初勝利をあげた。これ以降も勝負どころでの起用が続いたが、9月14日千葉ロッテマリーンズ23回戦(千葉マリンスタジアム)では、初球を清田育宏の頭に当て1球で危険球退場になる[1][2]など不安定な面も見せた。最終的には65試合に登板し、敗戦は1つもなくチームの7年ぶり優勝に貢献した。プロ入り5年目ながらも新人王の権利を有しており、結局新人王の獲得はならなかったものの、記者投票(総数217票)は新人王を獲得した榊原諒(84票)に次ぐ50票を集めた[3]。オフの契約更改においては、推定年俸900万円から400%アップの4500万円の提示を受け、「びっくりする提示を受けて、これだけもらってもいいものかと…。もう一度考えさせてくださいということです」という理由により保留し[4]、この年の保留第一号となった。もちろん二度目の交渉においてこの条件で更改している。

2011年は、春季キャンプ中に右肘痛を発症[5]し、その影響もあり、一軍登板なしに終わった。オフの契約更改では、一軍登板無しという結果から2000万円ダウンの2500万円の提示に一発サインした。

2012年の開幕は二軍で迎えたが、4月12日に一軍登録された。しかしながら、一軍での登板は6試合に留まった。

2013年は、開幕から二軍暮らしが続き、同年7月25日に吉野誠との交換トレードでオリックス・バファローズに移籍した。

オリックス時代

移籍後も一軍での登板はなくシーズンを終えた。二軍では、移籍前までで18試合登板・防御率9.19、移籍後も8試合登板・防御率6.23で、通算26試合で防御率8.14と打ち込まれた。2014年10月1日に球団から戦力外通告を受けた[6]。12月2日、自由契約公示された[7]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 ソフトバンク 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 3 1.0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00 0.00
2008 9 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 88 18.2 22 3 11 0 0 11 1 0 10 10 4.82 1.77
2009 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 28 6.2 5 1 1 0 1 4 1 0 3 2 2.70 0.90
2010 65 0 0 0 0 2 0 0 15 1.000 324 76.0 66 3 23 3 9 74 1 0 29 25 2.96 1.17
2012 6 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 29 6.1 5 0 5 0 0 3 0 0 2 2 2.84 1.58
通算:5年 87 1 0 0 0 2 2 0 15 .500 472 108.2 98 7 40 3 10 94 3 0 44 39 3.23 1.27
  • 2013年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 48 (2006年 - 2014年)

登場曲

脚注

  1. ^ DeNA・山崎康、プロ初退場…1球での危険球は7人目サンスポ 2015年5月25日
  2. ^ ソフトバンク甲藤 1球でまさかの危険球退場 9月16日 ロッテ-ソフトバンク YouTube - PacificLeagueMovie 2018年
  3. ^ 2010年度 表彰選手 投票結果(最優秀新人)NPB日本野球機構公式サイト
  4. ^ ソフトバンク甲藤「もらいすぎ」で保留「テンぱってしまった」 - スポーツニッポン(2010年12月4日)
  5. ^ ソフトB甲藤開幕危機 SBM48解散か - 日刊スポーツ(2011年2月18日)
  6. ^ オリックス 西本コーチら4コーチと契約結ばず 4選手に戦力外通告スポーツニッポン2014年10月1日配信
  7. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月4日閲覧。
  8. ^ この試合はホークスの熊本県初勝利の試合でもある。

関連項目

外部リンク