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'''岸田 蓁'''(きしだ しげる、[[1892年]][[2月1日]] ‐ [[1964年]][[10月12日]])は[[日本]]の[[茶人]]、女性[[画家]]。[[岸田劉生]]の妻として知られる。 |
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旧姓は小林。1892年に[[学習院]]の漢学教授であった小林良四郎、シンの三女として生まれる。東京府立第二高等女学校(現・[[東京都立竹早高等学校]])に在学中から[[鏑木清方]]について[[日本画]]を学んでいる。1913年に第2回[[フュウザン会]]展を見に行ったことが縁で同年7月に[[洋画家]][[岸田劉生]]と結婚をする。しばらくは府下の西大久保にあった蓁の実家の2階に住んだ。翌1914年4月10日に長女の[[岸田麗子|麗子]]が誕生する。1926年、長男鶴之助を産む。蓁自身は夫の劉生の絵のモデルを務めており、胸に手をおいた恰好で「画家の妻」や「南瓜を持てる像」に描かれている。後に江戸千家渭白流を修め、6代目川上渭白を称して茶の湯の師匠をしていた。 |
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2018年7月15日 (日) 09:15時点における版
岸田 蓁(きしだ しげる、1892年2月1日 ‐ 1964年10月12日)は日本の茶人、女性画家。岸田劉生の妻として知られる。
略歴
旧姓は小林。1892年に学習院の漢学教授であった小林良四郎、シンの三女として生まれる。東京府立第二高等女学校(現・東京都立竹早高等学校)に在学中から鏑木清方について日本画を学んでいる。1913年に第2回フュウザン会展を見に行ったことが縁で同年7月に洋画家岸田劉生と結婚をする。しばらくは府下の西大久保にあった蓁の実家の2階に住んだ。翌1914年4月10日に長女の麗子が誕生する。1926年、長男鶴之助を産む。蓁自身は夫の劉生の絵のモデルを務めており、胸に手をおいた恰好で「画家の妻」や「南瓜を持てる像」に描かれている。後に江戸千家渭白流を修め、6代目川上渭白を称して茶の湯の師匠をしていた。
参考文献
- 祖田浩一監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年
- 日外アソシエーツ編 『20世紀日本人名事典』 日外アソシエーツ、2004年