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Linuxsearchers (会話 | 投稿記録) →生涯: 日本基督教団沼津教会のページの作成に伴い、リンクを張替え。その当時に沼津教会にも集成舎にも火災があったという記録はなく、またなにか仮にあったとしてもミーチャムの活動には関係ないので火災の表記は削除。 |
Linuxsearchers (会話 | 投稿記録) →生涯: 下谷教会での按手礼について追記。 |
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2018年10月9日 (火) 04:56時点における版
ジョージ・マースデン・ミーチャム | |
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生誕 |
1833年![]() |
死没 | 1919年2月20日 |
職業 | 宣教師・教師 |
ジョージ・マースデン・ミーチャム(George Marsden Meacham、1833年 - 1919年2月20日)は、カナダ・メソジスト教会が明治時代初期に日本に派遣した宣教師である。静岡県を中心に活躍した。
生涯
1856年にカナダ・ウェスレアン・メソジスト教会(後のカナダ・メソジスト教会)の信徒伝道者になる。1857年に教職になり、ヴィクトリア大学で学び、1860年に卒業し、按手礼を受けて年会員になる。
1876年9月8日 ミーチャムはカナダ・メソジスト教会の第2陣の宣教師として、C・S・イビーと共に来日する[1]。
1876年10月 ミーチャムは沼津市に赴任する。これは外国人英語教師を探していた江原素六(沼津市集成舎《後の沼津市立第一小学校》の校長)がデイヴィッドソン・マクドナルド(第1陣の宣教師)に相談したのがきっかけである[2]。
1877年1月15日 ミーチャムは江原素六らに洗礼を授ける[2]。そのとき洗礼を受けた6人が沼津教会を形成する。その後、東京府下谷に赴任。
1879年12月21日 東京仲御徒町2丁目に下谷教会(メソヂスト下谷教会)を設立する。
1881年9月18日 山中笑、平岩愃保、土屋彦六らに下谷教会で按手礼を授ける。
1884年 一度帰国する。
1888年 再来日し、1899年まで横浜ユニオン・チャーチの牧師を務める。
1899年より1902年まで東洋英和学校神学部の部長を務める。
1902年 カナダに帰国する。