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2018年11月19日 (月) 10:31時点における版

内田 和也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市金沢区
生年月日 (1984-01-31) 1984年1月31日(40歳)
身長
体重
175 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2001年 ドラフト4巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

内田 和也(うちだ かずや、1984年1月31日 - )は、神奈川県横浜市[1]金沢区出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

来歴・人物

プロ入り前

日大三高時代には3番を打ち、近藤一樹都築克幸千葉英貴らとともに春・夏と甲子園に連続出場。 1年の夏からベンチ入り

第73回選抜高等学校野球大会では、2回戦の兵庫県立姫路工業高等学校戦で、後に読売ジャイアンツからドラフト1巡目指名を受ける真田裕貴投手からセンターバックスクリーンに飛び込む、超特大のホームランを放つなど活躍。

2年ぶり9度目の出場となった第83回全国高等学校野球選手権大会では、3回戦の日本航空高校戦で、後にパ・リーグ新人王を獲得する八木智哉投手からホームランを放つなど大会を通して活躍し、チームを全国制覇へと導く。

高校通算19本塁打、走攻守三拍子揃った野手であるとマスコミに評され、ドラフト時の話題性は高かった。 2001年のドラフトにおいて、ヤクルトスワローズから4巡目指名を受け入団[1]。ドラフト当時、1つの高校から4名がプロ入りしたという事が大きなトピックスであった。これは同じ高校の選手が同じ年のドラフトで指名を受けた史上最多タイ記録である[2]

プロ入り後

2002年は外野手が手薄なチーム事情もあって、一年目から代走などを中心に2軍で44試合に起用されるが、7安打1盗塁、打率は.140と結果が残せずに終わる。 同年10月には米メジャーリーグクリーブランド・インディアンスのキャンプにチームから派遣され、野球留学し、日本とは違ったメジャーリーグの過酷な競争社会を肌で体感する。 2003年は二軍で外野の一角として前年より多い70試合に起用されるも、課題克服はならなかった。スイングスピードが足りず、差し込まれる場面も見られた。 2004年は期待の若手として、二軍の開幕戦からスタメンに起用されるも、前年同様の起用数に終わりポジション定着にはいたらなかった。 2005年は前年に続き二軍の開幕スタメン。漸く打率が自己最高の.250まで上昇し、9盗塁。シーズン終盤にはスタメンにも定着。しかし一軍からの声はかからないまま、高卒4年目のシーズンを終えた。2006年は生き残りを賭けて臨んだシーズンだったが、開幕時に故障。夏場には両打への転向も模索したが、10月3日東京ヤクルトスワローズから戦力外通告を受ける。11月7日の合同トライアウトに参加し、2打数1安打と四球も選び、まずまずの結果を残し、西武ライオンズと契約する[1]

西武ライオンズへ移籍した後は俊足の外野手として期待され、二軍で53試合に出場するなど積極的に起用された。しかし二軍で打率.172、2盗塁に終わり、一軍出場はならなかった。

2007年10月2日に前年に続き戦力外通告を受けたことで、現役を引退することを決意する。[1]

引退後

2008年、現役引退後は一般企業に再就職、日中は会社に勤める傍ら、かねてからの夢であった高校野球の指導者の道を志し、教員免許取得のため早稲田大学人間科学部人間情報科学科(通信教育課程)に入学する[1]

平日は社業・学業の両立で多忙な日々を過ごすも、指導者としての勉強も重ねる為にプロ野球OBが主宰する野球塾で指導を担当したり、プロ野球OB会主催の野球教室への参加、古巣である西武ライオンズ主催の野球教室への参加などを重ねた後、2012年には母校である日大三高での教育実習に参加した[1]

早稲田大学卒業後の現在は、立正大学付属立正中学校・高等学校で教壇に立つ傍ら、中学生の硬式野球チーム東京玉川リトルシニアで高校時代のチームメートである千葉英貴や、新谷博などと共に指導を行った。

野球塾、野球教室、中学生硬式野球チームでの指導など、さまざまな現場での指導経験を経て、2014年4月より教員職に就き、立正大学付属立正中学校・高等学校の硬式野球部顧問を受け持つこととなった。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 50 (2002年 - 2006年)
  • 65 (2007年)

脚注

関連項目

外部リンク