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'''ホセ・ロンドン・カスティーヨ'''('''José Rondon Castillo''', [[1981年]][[3月19日]] -[[2018年]] [[12月7日]])は、[[ベネズエラ]]・[[ミランダ州]][[カラカス]]出身の[[プロ野球選手]]([[内野手]])。2017年現在は[[イタリアンベースボールリーグ]]の[[パルマ・ベースボールクラブ]]に所属。12月07日死去


== 経歴 ==
== 経歴 ==

2018年12月7日 (金) 06:32時点における版

ホセ・カスティーヨ
José Castillo
パルマ・ベースボール
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 首都地区ミランダ州カラカス
生年月日 (1981-03-19) 1981年3月19日(43歳)
身長
体重
186 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1997年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2004年4月7日
CPBL / 2009年5月20日
NPB / 2010年3月26日
最終出場 MLB / 2008年9月28日
CPBL / 2009年9月27日
NPB / 2011年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ホセ・ロンドン・カスティーヨJosé Rondon Castillo, 1981年3月19日 -2018年 12月7日)は、ベネズエラミランダ州カラカス出身のプロ野球選手内野手)。2017年現在はイタリアンベースボールリーグパルマ・ベースボールクラブに所属。12月07日死去

経歴

プロ入りとパイレーツ時代

1997年にアマチュアFAでピッツバーグ・パイレーツと契約。

2004年スプリングトレーニングで好成績を残し、AA級アルトゥーナ・カーブから飛び級でメジャーに昇格し、4月7日にメジャーデビュー。二塁手として129試合に出場し、8月には打率.347、OPS.971の好成績を残し月間MVP候補に選ばれる活躍を見せた。オフのベネズエラ・ウィンターリーグリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルではレオネス・デル・カラカスの中心選手として78打数24安打の活躍を見せた。

2005年は守備面での活躍に加え、101試合の出場で前年を上回る成績を残し、打撃面でも進歩のあったシーズンとなったが、開幕直後に腹筋を痛めて故障者リスト入りした。8月22日のセントルイス・カージナルス戦ではエクトル・ルナと二塁ベース上で交錯し左ひざを負傷し、再び故障者リスト入りしてシーズンを終えた。

2006年は自身初のフル出場を果たしたが、5月には5試合連続で本塁打を放つなど、打ちまくっていた時期があったかと思えば、9月にはわずか.087という月間打率に終わるなど打撃での安定感に欠けた。

2007年は監督のジム・トレーシーが、前年は主に三塁手を守って首位打者を獲得したフレディ・サンチェスを二塁手へコンバート、ユーティリティプレイヤーのホセ・バティスタを三塁手に固定したため控えに回った。そのため、本職の二塁手の他に遊撃手や、メジャー昇格後初となる三塁手・右翼手としてもプレーした。

パイレーツ退団後

2007年12月にフロリダ・マーリンズFA移籍。

2008年のスプリングトレーニングでウェーバー公示されてサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、三塁手としてレギュラーを獲得した。12月23日、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約した。しかし、翌2009年のスプリングトレーニングで解雇される。その後、台湾の統一セブンイレブン・ライオンズと契約した(登録名は卡斯提)。

横浜時代

横浜時代(2010年4月3日、明治神宮野球場

12月18日、横浜ベイスターズと契約した。[1] 2010年は打率.273、19本塁打、55打点、OPS.755の成績を残した。守備では二塁手で15失策を喫したが、守備イニング500以上の二塁手で球界トップのRFを記録。一塁手右翼手左翼手での出場もあった。11月16日にスティーブン・ランドルフクリス・ブーチェックらと共に球団から自由契約を公示され退団した。

ロッテ時代

2011年メキシカンリーグメキシコシティ・レッドデビルズでプレーしていたが、6月22日に千葉ロッテマリーンズへの入団が発表され[2]、同年7月5日の対北海道日本ハムファイターズ戦で初出場し、同試合では1本塁打を含む4打数4安打3打点の成績を残した。以降、シーズン終了まで、主に4番・一塁手として起用された。しかし.269、5本塁打と振るわず、11月30日に翌年の契約を結ばない事が発表された[3]

メキシカンリーグ時代

2012年ベラクルス・レッドイーグルスに所属。

2013年プエブラ・パロッツでプレー。

2014年は再びベラクルス・レッドイーグルスに所属し、シーズン途中からトレードでタバスコ・キャトルメンに移籍。

2015年はタバスコ・キャトルメンと再契約。

2016年はベラクルス・レッドイーグルスと契約するが、4月21日に解雇となる。27日にカンペチェ・パイレーツと契約するが、5月24日に自由契約となる。

イタリア球界時代

2017年6月にイタリアンベースボールリーグパルマ・ベースボールクラブと契約。

プレースタイル

もともと遊撃手だったが、ピッツバーグ・パイレーツ時代にはチームメイトに遊撃の名手のジャック・ウィルソンがいたため二塁手コンバートされた[4]。失策は多いものの[5]、二塁手トップクラスの強肩と殿堂入り二塁手のビル・マゼロスキーからかつて「現在、メジャーで最高の二塁守備」と絶賛された守備を持ち味とし[6]、横浜時代も500イニング以上出場の二塁手で得点換算リーグトップの数値を残した[7]

打撃では意外性があり、パンチ力も秘めるが、四球を選ばないフリースインガーなのでメジャーでは2005年の.307が最高と出塁率が低く、好不調の波が大きい[8]

人物

ベネズエラ・ウィンターリーグレオネス・デル・カラカスでの愛称は「El Hacha」(意味は「斧」で、現地の曲"Sexy Muchacha"に由来する)。アメリカ、台湾、日本でも「アチャ」という愛称で呼ばれている[9]

レオネス・デル・カラカスには1999-2000年のシーズンから所属しているが、チームがカリビアンシリーズで優勝したシーズン(2005-2006年)は怪我で出場できなかった(自宅のテレビで優勝シーンを見ながら号泣したという)[10]

横浜ベイスターズでの応援歌は、過去にアルキメデス・ポゾに使用されていたものが流用されている。また千葉ロッテマリーンズでの応援歌は、カスティーヨの退団後は主にイースタン・リーグやオープン戦で角晃多に、1軍ではクレイグ・ブラゼルウィリー・モー・ペーニャに流用されている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2004 PIT 129 414 383 44 98 15 2 8 141 39 3 2 5 2 23 5 1 92 12 .256 .298 .368 .666
2005 101 398 370 49 99 16 3 11 154 53 2 3 1 4 23 3 0 59 11 .268 .307 .416 .724
2006 148 562 518 54 131 25 0 14 198 65 6 4 1 6 32 8 5 98 22 .253 .299 .382 .682
2007 87 230 221 18 54 18 1 0 74 24 0 0 0 1 6 2 2 48 11 .244 .270 .335 .604
2008 SF 112 420 394 42 96 28 4 6 150 35 2 2 0 0 25 1 1 71 16 .244 .290 .381 .671
HOU 15 35 32 4 9 1 0 0 10 2 0 0 0 1 2 0 0 10 0 .281 .314 .313 .627
'08計 127 455 426 46 105 29 4 6 160 37 2 2 0 1 27 1 1 81 16 .246 .292 .376 .668
2009 統一 73 320 290 46 91 15 0 13 145 65 20 5 0 7 21 5 2 25 16 .314 .356 .500 .856
2010 横浜 131 496 466 48 127 24 0 19 208 55 3 3 1 3 22 4 4 71 16 .273 .309 .446 .755
2011 ロッテ 86 356 331 31 89 13 1 5 119 34 0 0 0 2 18 1 5 45 10 .269 .315 .360 .674
MLB:5年 592 2059 1918 211 487 103 10 39 727 218 13 11 7 14 111 19 9 378 72 .254 .296 .379 .675
CPBL:1年 73 320 290 46 91 15 0 13 145 65 20 5 0 7 21 5 2 25 16 .314 .356 .500 .856
NPB:2年 217 852 797 79 216 37 1 24 327 89 3 3 1 5 40 5 9 116 26 .271 .309 .410 .719
  • 2017年度シーズン終了時

記録

NPB

背番号

  • 14(2004年 - 2007年)
  • 12(2008年 - 同年途中)
  • 13(2008年途中 - 同年終了)
  • 25(2009年、2011年途中 - 同年終了)
  • 51(2010年)

脚注

  1. ^ 横浜、新外国人選手入団会見、横浜ベイスターズ公式サイト[リンク切れ]
  2. ^ ホセ・カスティーヨ選手の獲得について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト2011年6月22日
  3. ^ カスティーヨ選手との来季契約について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト2011年11月30日
  4. ^ 2004メジャーデビュー全208選手リスト『月刊スラッガー』2005年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、73頁。
  5. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、373頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  6. ^ 2006二塁手ランキング『月刊スラッガー』2006年6月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-6、25頁。
  7. ^ Baseball Baseball Lab守備評価~Second Baseman - セイバーメトリクス 野球データ分析コラム - SMRベースボールLab、2011年1月18日。(2011年3月9日時点のアーカイブ
  8. ^ 2006通信簿 FILE:219〜500『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、92頁。
  9. ^ 凄いヨ!カスティーヨ!4の4で4点差も逆転ヨ~ スポニチ Sponichi Annex
  10. ^ Castillo quiere ganar en cuatro juegos(スペイン語)、La garra del Leon、01月22日

関連項目

外部リンク