「金子洋平」の版間の差分
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2019年1月4日 (金) 13:47時点における版
日本ハム時代 | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 山口県下関市 |
生年月日 | 1981年12月4日(42歳) |
身長 体重 |
177 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト6巡目 |
初出場 | 2007年3月25日 |
最終出場 | 2008年5月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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金子 洋平(かねこ ようへい、1981年12月4日 - )は、山口県下関市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
中学時代はボーイズリーグ・多摩ファイターズボーイズ(現・武蔵多摩ボーイズ)でプレー。国士舘高校では2年春の選抜大会に控え野手として出場[1]。主将として臨んだ3年夏の東東京大会では一番を任され、3本塁打を記録するもベスト8で世田谷学園に敗れた[2]。高校卒業後は青山学院大学へ進学。東都リーグでは2年春にリーグ6位の打率.353を記録しベストナインに選ばれている[3]。4年秋には五番打者として3本塁打を放ち、8季ぶりのリーグ優勝に貢献した[4]。大学4年間の通算成績は76試合出場、224打数56安打、打率.250、7本塁打、45打点。
大学卒業後、ホンダへ入社。1年目の2004年は都市対抗で主砲としてチームを決勝戦へ導き、若獅子賞を受賞。またハーレムベースボールウィークやIBAFワールドカップの日本代表にも選ばれ、同年は社会人ベストナインを受賞している。2005年は右ひじを手術したが、2006年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに6巡目指名され、契約金と年俸それぞれ3,500万円、1,000万円(いずれも推定)で入団した[5]。
2007年に新人選手ながらオープン戦で3本塁打を打ち、開幕一軍に登録された。一軍では33試合に出場、3本塁打を記録したが、打率.129と振るわず二軍落ちした。翌2008年は一軍で6試合出場に留まった。しかし二軍では2007年に打率.290、14本塁打38打点、2008年には打率.281、16本塁打54打点の成績で、二年連続最多本塁打のタイトルを獲得した。
2009年は一軍出場がなく、10月2日付で戦力外通告を受けた。シーズン終了後12球団合同トライアウトに参加、この際に広島東洋カープが獲得を検討中と報道されていたものの[6]、最終的に契約する球団は現れなかった。2010年1月27日のホンダでの練習を最後に引退を表明した。その後、チームメイトだった坪井智哉のブログ内でサラリーマンをしている事が明かされた[7]。
選手としての特徴・人物
社会人時代に中村紀洋を参考にフォームを改造し、広角に打てる長打力には他球団からも定評があった[8]。入団会見では「本塁打を(背番号の)40本打てる選手」を目標として掲げている。それに対し、50メートル8.1秒と足が非常に遅い。
新人だった2007年に1年間だけチームメイトだった田中幸雄とは縁があり、幼少時に家族旅行で千葉県鴨川市を訪れた際に日本ハムの秋季キャンプを見学し、当時駆け出しであった田中に抱っこしてもらっていた。プロ入り後、金子がプロ初本塁打を放った際の走者のうち一人が田中で、生還後に田中に再び抱きかかえられたが、この時は金子の体重が重くて持ち上がらなかった。プロ第2号本塁打の際には直前に本塁打を打った田中の体を触らせてもらっており、「幸雄さんパワーです」とコメントしている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 日本ハム | 33 | 65 | 62 | 4 | 8 | 2 | 0 | 3 | 19 | 10 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 23 | 3 | .129 | .156 | .306 | .463 |
2008 | 6 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:2年 | 39 | 74 | 71 | 4 | 8 | 2 | 0 | 3 | 19 | 10 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 28 | 4 | .113 | .137 | .268 | .405 |
記録
- 初出場:2007年3月25日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、12回表2死に飯山裕志の代打で出場
- 初打席:同上、12回表に小林雅英の前に中飛
- 初先発出場:2007年3月29日、対オリックス・バファローズ3回戦(スカイマークスタジアム)、5番・左翼手で先発出場
- 初打点:同上、9回表に金子千尋から三塁ゴロの間に記録
- 初安打:2007年3月30日、対西武ライオンズ1回戦(札幌ドーム)、9回裏1死に木元邦之の代打で出場、小野寺力から左翼フェンス直撃適時二塁打
- 初本塁打:2007年4月15日、対東北楽天ゴールデンイーグルス6回戦(札幌ドーム)、5回裏2死に一場靖弘から左越3ラン
- 初盗塁:2007年4月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス9回戦(フルキャストスタジアム宮城)、8回表2死に二盗(投手:小倉恒、捕手:嶋基宏)
背番号
- 40 (2007年 - 2009年)
登場曲
- 久石譲 『KIDS RETURN』
- Ne-Yo 『Because of You』
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 金子洋平 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube