コンテンツにスキップ

「経津主神」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
6行目: 6行目:
| 神祇 = <!-- 天神、地祇、天津神、国津神など -->[[天津神]]
| 神祇 = <!-- 天神、地祇、天津神、国津神など -->[[天津神]]
| 全名 = 経津主神
| 全名 = 経津主神
| 別名 = 経津大神、布都怒志命、伊波比主神、斎主神、普都大神
| 別名 = 経津大神、布都怒志命、布都努志命、伊波比主神、斎主神、普都大神
| 別称 = 香取神、香取大神、香取大明神、香取さま
| 別称 = 香取神、香取大神、香取大明神、香取さま
| 神格 = 剣の神、[[軍神]]
| 神格 = 剣の神、[[軍神]]
| 父 = [[イワツツノオ|磐筒男神]]<small>(『[[日本書紀]]』一書)</small>
| 父 = [[イワツツノオ|磐筒男神]]
| 母 = 磐筒女神<small>(『書紀』一書、『[[古語拾遺]]』)</small>
| 母 = 磐筒女神
| 親 = [[カグツチ|軻遇突智神]]<small>(『書紀』一書)</small>
| 子 = [[天苗加命]]
| 子 = [[天苗加命]]
| 神社 = [[香取神宮]]、[[春日大社]] 等
| 神社 = [[香取神宮]]、[[春日大社]] 等
| 記紀 = 『日本書紀』<br/>『[[先代旧事本紀]]』<br/>『[[出雲国風土記]]』<br/>『[[出雲国造神賀詞]]』<br/>『古語拾遺』
| 記紀 = 『日本書紀』<br/>『[[出雲国風土記]]』<br/>『[[出雲国造神賀詞]]』<br/>『古語拾遺』<br/>『[[先代旧事本紀]]』<br/>
| 関連氏族 = [[物部氏]]、[[香取氏]]、[[中臣氏]]、[[藤原氏]]
| 関連氏族 = [[物部氏]]、[[香取氏]]、[[中臣氏]]、[[藤原氏]]
}}
}}


'''経津主神'''(ふつぬしのかみ、[[正字]]:'''經津主神''')は[[日本神話]]に登場する[[神 (神道)|神]]である。『[[日本書紀]]』のみに登場し、『[[古事記]]』には登場しない。別名は'''イワイヌシ'''('''イハヒヌシ''')で、'''斎主神'''または'''伊波比主神'''と表記される。『[[出雲国風土記]]』や『[[出雲国造神賀詞]]』では'''布都怒志命'''(ふつぬしのみこと)として登場する。『[[常陸国風土記]]』に出てくる'''普都大神'''(ふつのおおかみ)とも同視される。
'''経津主神'''(ふつぬしのかみ、[[正字]]:'''經津主神''')は[[日本神話]]に登場する[[神 (神道)|神]]である。『[[日本書紀]]』のみに登場し、『[[古事記]]』には登場しない。別名は'''イワイヌシ'''('''イハヒヌシ''')で、'''斎主神'''または'''伊波比主神'''と表記される。『[[出雲国風土記]]』や『[[出雲国造神賀詞]]』では'''布都怒志命'''(ふつぬしのみこと、'''布都努志命'''とも)として登場する。『[[常陸国風土記]]』に出てくる'''普都大神'''(ふつのおおかみ)とも同視される。


[[香取神宮]]([[千葉県]][[香取市]])の祭神であることから、'''香取神'''、'''香取大明神'''、'''香取さま'''等とも呼ばれる。
[[香取神宮]]([[千葉県]][[香取市]])の祭神であることから、'''香取神'''、'''香取大明神'''、'''香取さま'''等とも呼ばれる。


==概要==
==系譜==
『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段([[神産み]]の段)の第六の一書では、[[イザナギ|伊弉諾尊]](イザナギ)が火の神・[[カグツチ|軻遇突智]](カグツチ)を斬ったとき、[[十束剣|十握剣]]の刃から滴る血が固まって天の安河のほとりにある岩群・五百箇磐石(イオツイワムラ)となり、これが経津主神の祖であるとしている<ref>『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/18 訓読日本書紀 上巻]』[[黒板勝美]]編、[[岩波書店]]、1943年、33頁。</ref>。第七の一書では、軻遇突智の血が五百箇磐石を染めたために[[イワサク・ネサク|磐裂神・根裂神]]が生まれ、その御子の[[イワツツノオ|磐筒男神・磐筒女神]]が経津主神を生んだとしている<ref>『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/21 訓読日本書紀 上巻]』黒板勝美編、岩波書店、1943年、39-40頁。</ref>。巻第二(神代下)の第九段の本文も経津主神を「磐裂・根裂神の子、磐筒男・磐筒女が生(あ)れませる子」としている<ref>『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/48 訓読日本書紀 上巻]』黒板勝美編、岩波書店、1943年、93頁。</ref>。『[[古語拾遺]]』にも「経津主神、是れ磐筒女神の子、今下総国の香取神是れなり」とある<ref>「[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879557/4 古語拾遺]」『[[群書類従|群書類従 第十六輯]]』[[塙保己一]]編、経済雑誌社、1901年、4頁。</ref>。

『[[先代旧事本紀]]』巻第一(陰陽本紀)によると、伊弉諾尊の剣の先から飛び散った血が湯津石村(ユツイワムラ、『書記』の五百箇磐石)に走り就くと磐裂・根裂神が出てきて、その子の磐筒男・磐筒女が経津主神を生んだ<ref>「[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991097/107 先代旧事本紀 巻第一 陰陽本紀]」『国史大系 第7巻』経済雑誌社編、経済雑誌社、1898年、187頁。</ref>。

==神話==
===葦原中国平定===
[[ファイル:Inasa Beach.jpg|サムネイル|[[稲佐の浜]]]]
『日本書紀』巻第二の第九段本文によると、葦原中国へ派遣された[[天稚彦]](アメノワカヒコ)の死後、[[タカミムスビ|高皇産霊尊]](タカミムスビ)が諸神を集めて次に遣わすべき神を決めようとした時、選ばれたのは経津主神であった。すると、熯速日神(ヒハヤヒ、[[甕速日神]]の子)の息子[[武甕槌神]](タケミカヅチ)が進み出て、「経津主神だけが大夫(ますらお、雄々しく立派な男の事)で、私は大夫ではないというのか」と抗議した。こうして経津主神に武甕槌神を副えて葦原中国を平定させることにした。

『[[出雲国造神賀詞]]』では、高御魂命(タカミムスビ)が[[ニニギ|皇御孫命]]に地上の支配権を与えた時、[[出雲国造|出雲臣]]の遠祖・[[アメノホヒ|天穂比命]](アメノホヒ)が国土を観察し、再び天に戻って地上の様子を報告して、自分の子の[[天夷鳥命]]に布都怒志命(経津主神)を副えて派遣したとされている<ref>瀧音能之「[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/32737/rsg078-01-takiotoyoshiyuki.pdf 出雲国造神賀詞の神話]」『駒沢史学』(78)、駒沢史学会、2012年、7-9頁。</ref>。

一方、『古事記』では経津主神が登場せず、[[思金神]](オモイカネ)が[[天之尾羽張|天尾羽張神]](アメノオハバリ)もしくはその子の建御雷神(タケミカヅチ)を送るべきだと[[天照大御神]]に進言する。天尾羽張神が建御雷神のほうが適任だと答えたため、建御雷神が[[天鳥船神]](アメノトリフネ)を副えて葦原中国へ天降った。

===『出雲風土記』において===

『出雲風土記』の[[意宇郡]]楯縫郷と山国郷(現在の[[島根県]][[安木市]])の条には布都怒志命(布都努志命)が登場する。

<blockquote>楯縫郷、郡家(ぐうけ)の東南、卅二里一百八十歩なり。<br/>
布都怒志命、天石楯(あめのいはたて)縫ひ直し給ひき。故(かれ)、楯縫と云ふ。<br/>
<br/>
山国郷、郡家の東南、卅二里二百卅歩なり。<br/>
布都努志命の国廻り坐(な)しし時、此処に来坐して詔りたまひらく、「是の土(くに)は止まず見まほし」と詔りたまひき。故、山国と云ふ。即ち、正倉有り。<small>(原漢文)</small></blockquote>

==考証==
経津主神は[[タケミカヅチ|武甕槌神]]と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。有名な例としては、経津主神を祀る[[香取神宮]]と、武甕槌神を祀る[[鹿島神宮]]とが、[[利根川]]を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、[[春日大社]]では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏([[藤原氏]])の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。また、[[鹽竈神社]]でも経津主神・建御雷神が[[シオツチノオジ]]とともに祀られている。
経津主神は[[タケミカヅチ|武甕槌神]]と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。有名な例としては、経津主神を祀る[[香取神宮]]と、武甕槌神を祀る[[鹿島神宮]]とが、[[利根川]]を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、[[春日大社]]では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏([[藤原氏]])の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。また、[[鹽竈神社]]でも経津主神・建御雷神が[[シオツチノオジ]]とともに祀られている。


28行目: 51行目:


布都御魂を祀る[[石上神宮]]が[[物部氏]]の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神だったが、後に擡頭する[[中臣氏]]の祭神である建御雷神にその神格が奪われたと考えられている。
布都御魂を祀る[[石上神宮]]が[[物部氏]]の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神だったが、後に擡頭する[[中臣氏]]の祭神である建御雷神にその神格が奪われたと考えられている。

==神話==
『日本書紀』の[[神産み]]の第六の一書では、[[イザナギ|伊弉諾尊]]が[[カグツチ|軻遇突智]]を斬ったとき、[[十束剣]]から滴る血が固まって天の安河のほとりの岩群となり、これが経津主神の祖であるとしている。
第七の一書では、軻遇突智の血が天の安河のほとりの岩群を染めたために[[イワサク・ネサク|岩裂神・根裂神]]が生まれ、その御子の[[イワツツノオ|磐筒男神・磐筒女神]]が経津主神を生んだとしている。

[[葦原中国平定]]では武甕槌神とともに出雲へ天降り、[[大国主命]]と国譲りの交渉をしている。『出雲国風土記』や『[[出雲国造神賀詞]]』では経津主神のみが天降ったとしており、出雲の[[意宇郡]]楯縫郷([[島根県]][[安来市]])で天石楯を縫い合わせたとの逸話が残っている。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
41行目: 58行目:
*[[日本の神の一覧]]
*[[日本の神の一覧]]
*[[建御雷神]]
*[[建御雷神]]
*[[布都御魂]]
*[[建御名方神]]
*[[建御名方神]]
*[[香取神宮]]
*[[香取神宮]]
*[[布都御魂]]
*[[物部氏]]
*[[石見神楽]] - 演目「鹿島」(「国譲り」とも)に登場し、建御名方神との決戦に勝利する。
*[[石見神楽]] - 演目「鹿島」(「国譲り」とも)に登場し、建御名方神との決戦に勝利する。
*[[天真正伝香取神道流]]
*[[天真正伝香取神道流]]


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879557 群書類従 第十六輯]』[[塙保己一]]編、経済雑誌社、1901年。
* 鹿島神宮社務所編『新鹿島神宮誌』([[鹿島神宮社務所]])
*『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260 訓読日本書紀 上巻]』[[黒板勝美]]編、[[岩波書店]]、1943年。
*『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991097 国史大系 第7巻]』経済雑誌社編、経済雑誌社、1898年。
*『新鹿島神宮誌』、鹿島神宮社務所編、鹿島神宮社務所、1995年。
*瀧音能之「[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/32737/rsg078-01-takiotoyoshiyuki.pdf 出雲国造神賀詞の神話]」『駒澤史学』(78)、[[駒澤大学]]、2012年、1-17頁。


{{神道 横}}
{{神道 横}}
{{Shinto-stub}}
{{DEFAULTSORT:ふつぬしのかみ}}
{{DEFAULTSORT:ふつぬしのかみ}}
[[Category:日本の神|ふつぬし]]
[[Category:日本の神|ふつぬし]]

2019年3月10日 (日) 14:47時点における版

経津主神
香取神宮 拝殿
千葉県香取市香取)

神祇 天津神
全名 経津主神
別名 経津主大神、布都怒志命、布都努志命、伊波比主神、斎主神、普都大神
別称 香取神、香取大神、香取大明神、香取さま
神格 剣の神、軍神
磐筒男神
磐筒女神
天苗加命
神社 香取神宮春日大社
関連氏族 物部氏香取氏中臣氏藤原氏
テンプレートを表示

経津主神(ふつぬしのかみ、正字經津主神)は日本神話に登場するである。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。別名はイワイヌシイハヒヌシ)で、斎主神または伊波比主神と表記される。『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では布都怒志命(ふつぬしのみこと、布都努志命とも)として登場する。『常陸国風土記』に出てくる普都大神(ふつのおおかみ)とも同視される。

香取神宮千葉県香取市)の祭神であることから、香取神香取大明神香取さま等とも呼ばれる。

系譜

『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段(神産みの段)の第六の一書では、伊弉諾尊(イザナギ)が火の神・軻遇突智(カグツチ)を斬ったとき、十握剣の刃から滴る血が固まって天の安河のほとりにある岩群・五百箇磐石(イオツイワムラ)となり、これが経津主神の祖であるとしている[1]。第七の一書では、軻遇突智の血が五百箇磐石を染めたために磐裂神・根裂神が生まれ、その御子の磐筒男神・磐筒女神が経津主神を生んだとしている[2]。巻第二(神代下)の第九段の本文も経津主神を「磐裂・根裂神の子、磐筒男・磐筒女が生(あ)れませる子」としている[3]。『古語拾遺』にも「経津主神、是れ磐筒女神の子、今下総国の香取神是れなり」とある[4]

先代旧事本紀』巻第一(陰陽本紀)によると、伊弉諾尊の剣の先から飛び散った血が湯津石村(ユツイワムラ、『書記』の五百箇磐石)に走り就くと磐裂・根裂神が出てきて、その子の磐筒男・磐筒女が経津主神を生んだ[5]

神話

葦原中国平定

稲佐の浜

『日本書紀』巻第二の第九段本文によると、葦原中国へ派遣された天稚彦(アメノワカヒコ)の死後、高皇産霊尊(タカミムスビ)が諸神を集めて次に遣わすべき神を決めようとした時、選ばれたのは経津主神であった。すると、熯速日神(ヒハヤヒ、甕速日神の子)の息子武甕槌神(タケミカヅチ)が進み出て、「経津主神だけが大夫(ますらお、雄々しく立派な男の事)で、私は大夫ではないというのか」と抗議した。こうして経津主神に武甕槌神を副えて葦原中国を平定させることにした。

出雲国造神賀詞』では、高御魂命(タカミムスビ)が皇御孫命に地上の支配権を与えた時、出雲臣の遠祖・天穂比命(アメノホヒ)が国土を観察し、再び天に戻って地上の様子を報告して、自分の子の天夷鳥命に布都怒志命(経津主神)を副えて派遣したとされている[6]

一方、『古事記』では経津主神が登場せず、思金神(オモイカネ)が天尾羽張神(アメノオハバリ)もしくはその子の建御雷神(タケミカヅチ)を送るべきだと天照大御神に進言する。天尾羽張神が建御雷神のほうが適任だと答えたため、建御雷神が天鳥船神(アメノトリフネ)を副えて葦原中国へ天降った。

『出雲風土記』において

『出雲風土記』の意宇郡楯縫郷と山国郷(現在の島根県安木市)の条には布都怒志命(布都努志命)が登場する。

楯縫郷、郡家(ぐうけ)の東南、卅二里一百八十歩なり。

布都怒志命、天石楯(あめのいはたて)縫ひ直し給ひき。故(かれ)、楯縫と云ふ。

山国郷、郡家の東南、卅二里二百卅歩なり。

布都努志命の国廻り坐(な)しし時、此処に来坐して詔りたまひらく、「是の土(くに)は止まず見まほし」と詔りたまひき。故、山国と云ふ。即ち、正倉有り。(原漢文)

考証

経津主神は武甕槌神と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。有名な例としては、経津主神を祀る香取神宮と、武甕槌神を祀る鹿島神宮とが、利根川を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。また、鹽竈神社でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジとともに祀られている。

経津主神の正体や神話の中で果たした役割については諸説がある。神名の「フツ」は刀剣で物が断ち切られる様を表し、刀剣の威力を神格化した神とする説のほか、「フツ」は「フツフツ」と沸き上がり「フルイ起す」フツであるとする説や[7]神武東征武甕槌神神武天皇に与えた布都御魂(ふつのみたま)[8]の剣を神格化したとする説がある。なお、『先代旧事本紀』では経津主神の神魂の刀が布都御魂であるとしている。『古事記』では、建御雷之男神の別名が建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)であるとし、建御雷之男神が中心となって葦原中国平定を行うなど、建御雷之男神と経津主神が同じ神であるかのように記載している。

布都御魂を祀る石上神宮物部氏の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神だったが、後に擡頭する中臣氏の祭神である建御雷神にその神格が奪われたと考えられている。

脚注

  1. ^ 訓読日本書紀 上巻黒板勝美編、岩波書店、1943年、33頁。
  2. ^ 訓読日本書紀 上巻』黒板勝美編、岩波書店、1943年、39-40頁。
  3. ^ 訓読日本書紀 上巻』黒板勝美編、岩波書店、1943年、93頁。
  4. ^ 古語拾遺」『群書類従 第十六輯塙保己一編、経済雑誌社、1901年、4頁。
  5. ^ 先代旧事本紀 巻第一 陰陽本紀」『国史大系 第7巻』経済雑誌社編、経済雑誌社、1898年、187頁。
  6. ^ 瀧音能之「出雲国造神賀詞の神話」『駒沢史学』(78)、駒沢史学会、2012年、7-9頁。
  7. ^ 鹿島神宮社務所編集の「新鹿島神宮誌」によれば、「フツ」は「フル(震)」と同義であり、天にて震いて「建御雷」、地にて震い萌え出ずる春の草木、その洗練された象徴が「逆しまに立つ剣の形」であり、神武天皇以下、悪霊におかされて死にたるごとく伏したるを回復させ、奮い立たせるのもフルすなわちフツノミタマの力であるという。
  8. ^ または佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)(『古事記』の中つ巻に拠る)の

関連項目

参考文献