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'''呉善花'''(オ・ソンファ、ごぜんか、1956年 - )は[[日本]]の評論家である。韓国[[済州島]](チェジュとう)出身。1983年来日。[[大東文化大学]](英語学)卒業後、[[東京外国語大学]]修士課程(北米地域研究)修了。[[拓殖大学]]国際開発学部教授。1998年に[[日本]][[国籍]]取得。本名は吳勝一


済州島にいた頃は親日家で、[[日本語]]を披露しては村民に喜ばれていた。就学後は反日主義者として育成されたが、来日し知日派・親日派へと移行した。日韓のビジネスマンとの通訳・翻訳のアルバイトをしながら、東京外国語大学大学院などに通う。在学中に発表した韓国人ホステスに関するルポルタージュ『スカートの風』が話題を集め、注目された。韓国人による韓国社会批判の先駆となった。後にシリーズ化し、「正」・「続」・「新」などに分かれた。代表的な著作に『スカートの風 日本永住をめざす韓国の女たち』の他、『「日帝」だけで歴史は語れない』、『攘夷の韓国 開国の日本』([[山本七平賞]]受賞)などがある。日本国内では、保守的な評論家の一人であるが、韓国では封建主義的体制の批判者としてリベラル派の評論家とみなされている。
済州島にいた頃は親日家で、[[日本語]]を披露しては村民に喜ばれていた。就学後は反日主義者として育成されたが、来日し知日派・親日派へと移行した。日韓のビジネスマンとの通訳・翻訳のアルバイトをしながら、東京外国語大学大学院などに通う。在学中に発表した韓国人ホステスに関するルポルタージュ『スカートの風』が話題を集め、注目された。韓国人による韓国社会批判の先駆となった。後にシリーズ化し、「正」・「続」・「新」などに分かれた。代表的な著作に『スカートの風 日本永住をめざす韓国の女たち』の他、『「日帝」だけで歴史は語れない』、『攘夷の韓国 開国の日本』([[山本七平賞]]受賞)などがある。日本国内では、保守的な評論家の一人であるが、韓国では封建主義的体制の批判者としてリベラル派の評論家とみなされている。

2006年8月20日 (日) 02:24時点における版

呉善花
各種表記
ハングル 오선화
漢字 吳善花
発音: オ・ソンファ
ローマ字 O Seonhwa
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呉善花(オ・ソンファ、ごぜんか、1956年 - )は日本の評論家である。韓国済州島(チェジュとう)出身。1983年来日。大東文化大学(英語学)卒業後、東京外国語大学修士課程(北米地域研究)修了。拓殖大学国際開発学部教授。1998年に日本国籍取得。本名は吳勝一。

済州島にいた頃は親日家で、日本語を披露しては村民に喜ばれていた。就学後は反日主義者として育成されたが、来日し知日派・親日派へと移行した。日韓のビジネスマンとの通訳・翻訳のアルバイトをしながら、東京外国語大学大学院などに通う。在学中に発表した韓国人ホステスに関するルポルタージュ『スカートの風』が話題を集め、注目された。韓国人による韓国社会批判の先駆となった。後にシリーズ化し、「正」・「続」・「新」などに分かれた。代表的な著作に『スカートの風 日本永住をめざす韓国の女たち』の他、『「日帝」だけで歴史は語れない』、『攘夷の韓国 開国の日本』(山本七平賞受賞)などがある。日本国内では、保守的な評論家の一人であるが、韓国では封建主義的体制の批判者としてリベラル派の評論家とみなされている。

『スカートの風』のヒットに伴い、韓国では、「呉善花は実在せず、日本人が成りすましたのだ」として、執拗な呉善花探しが行われた。実在が確認されるとそうした虚報は消えていったが、かわりに「呉善花は日本の右翼に買収されている」といったデマが流布されている。

関連項目