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'''アントニオ・ストラディバリ'''('''Antonio Stradivari'''、1644年/1648年/1649年 - [[1737年]][[12月18日]])は、[[イタリア]]北西部の[[クレモナ]]で活動した[[ヴァイオリン製作家|弦楽器製作者]]。[[ニコロ・アマティ]]に師事し、[[16世紀]]後半に登場した[[ヴァイオリン]]の備える様式の完成に貢献した。その作品([[ストラディバリウス]])は、21世紀現在、約600挺が現存する<ref name=":0" />。
'''アントニオ・ストラディバリ'''('''Antonio Stradivari'''、1644年/1648年/1649年 - [[1737年]][[12月18日]])は、[[イタリア]]北西部の[[クレモナ]]で活動した[[ヴァイオリン製作家|弦楽器製作者]]。[[ニコロ・アマティ]]に師事し、[[16世紀]]後半に登場した[[ヴァイオリン]]の備える様式の完成に貢献した。その作品([[ストラディバリウス]])は、21世紀現在、約600挺が現存する<ref name=":0" />。


== えいごでみろ ==
== 生涯 ==
1644年に生まれたとされているが、正確な誕生月日は不明。父はアレサンドロ・ストラディバリ(Alessandro Stradivari)、母はアンナ(Anna née Moroni)。[[1667年]]から[[1679年]]まで、ニコロ・アマティの[[アトリエ|工房]]で弟子として楽器の製作技術を学んだ。[[1680年]]、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza San Domenico)に工房を構えると、若くして楽器製作者としての名声を得た。2人の息子と共にその生涯で1,116挺の楽器を製作したとされ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、[[マンドリン]]、[[ギター]]など約600挺が現存している<ref name=":0">{{cite web|url=https://www.cnn.co.jp/showbiz/35035364.html|title=ロンドンで盗まれたストラディバリウス、2年半ぶりに発見|accessdate=2018-2-15|date=2013-7-31|publisher=[[CNN]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141108072128/http://www.47news.jp/CI/200805/CI-20080509-00406.html|archivedate=2014-11-8}}</ref>。一説には製作した楽器の数は1,300挺とされ、その場合は月産20挺のペースで製作したことになる<ref name="KAMINOHIMI201504">神の秘密 278年目の挑戦 GENROQ 2015年4月号 No350 三栄書房 P180-183</ref>。ストラディバリの独創性はアマティの様式の変更を通じて発揮され、ばらつきのあった木の厚みをより厳密に制御し、ヘッドスクロールの概念を確立し、[[音色]]を締めるための[[ニス]]はより色濃くなった。ストラディバリが製作したヴァイオリンはその有する特徴から、三つの時期に分類できるとされる。このうち最後の時期においては、ヴァイオリンのボディ長の設計を約3mm拡大し355mm前後とした楽器となった(後にロングモデル、ロングストラドなどと呼ばれる)。18世紀初頭における標準であったオールドイタリアンヴァイオリンのボディ長は352mm前後であった。
1644年に生まれたとされているが、正確な誕生月日は不明。父はアレサンドロ・ストラディバリ(Alessandro Stradivari)、母はアンナ(Anna née Moroni)。[[1667年]]から[[1679年]]まで、ニコロ・アマティの[[アトリエ|工房]]で弟子として楽器の製作技術を学んだ。[[1680年]]、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza San Domenico)に工房を構えると、若くして楽器製作者としての名声を得た。2人の息子と共にその生涯で1,116挺の楽器を製作したとされ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、[[マンドリン]]、[[ギター]]など約600挺が現存している<ref name=":0">{{cite web|url=https://www.cnn.co.jp/showbiz/35035364.html|title=ロンドンで盗まれたストラディバリウス、2年半ぶりに発見|accessdate=2018-2-15|date=2013-7-31|publisher=[[CNN]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141108072128/http://www.47news.jp/CI/200805/CI-20080509-00406.html|archivedate=2014-11-8}}</ref>。一説には製作した楽器の数は1,300挺とされ、その場合は月産20挺のペースで製作したことになる<ref name="KAMINOHIMI201504">神の秘密 278年目の挑戦 GENROQ 2015年4月号 No350 三栄書房 P180-183</ref>。ストラディバリの独創性はアマティの様式の変更を通じて発揮され、ばらつきのあった木の厚みをより厳密に制御し、ヘッドスクロールの概念を確立し、[[音色]]を締めるための[[ニス]]はより色濃くなった。ストラディバリが製作したヴァイオリンはその有する特徴から、三つの時期に分類できるとされる。このうち最後の時期においては、ヴァイオリンのボディ長の設計を約3mm拡大し355mm前後とした楽器となった(後にロングモデル、ロングストラドなどと呼ばれる)。18世紀初頭における標準であったオールドイタリアンヴァイオリンのボディ長は352mm前後であった。



2019年5月3日 (金) 13:22時点における版

アントニオ・ストラディバリ
Antonio Stradivari
生誕 1644年/1648年/1649年
スペイン帝国
ミラノ公国の旗 ミラノ公国 クレモナ
死没 1737年12月18日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ミラノ公国の旗 ミラノ公国 クレモナ
業績
専門分野 弦楽器製作
成果 ストラディバリウスの製作
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アントニオ・ストラディバリAntonio Stradivari、1644年/1648年/1649年 - 1737年12月18日)は、イタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器製作者ニコロ・アマティに師事し、16世紀後半に登場したヴァイオリンの備える様式の完成に貢献した。その作品(ストラディバリウス)は、21世紀現在、約600挺が現存する[1]

生涯

1644年に生まれたとされているが、正確な誕生月日は不明。父はアレサンドロ・ストラディバリ(Alessandro Stradivari)、母はアンナ(Anna née Moroni)。1667年から1679年まで、ニコロ・アマティの工房で弟子として楽器の製作技術を学んだ。1680年、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza San Domenico)に工房を構えると、若くして楽器製作者としての名声を得た。2人の息子と共にその生涯で1,116挺の楽器を製作したとされ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、マンドリンギターなど約600挺が現存している[1]。一説には製作した楽器の数は1,300挺とされ、その場合は月産20挺のペースで製作したことになる[2]。ストラディバリの独創性はアマティの様式の変更を通じて発揮され、ばらつきのあった木の厚みをより厳密に制御し、ヘッドスクロールの概念を確立し、音色を締めるためのニスはより色濃くなった。ストラディバリが製作したヴァイオリンはその有する特徴から、三つの時期に分類できるとされる。このうち最後の時期においては、ヴァイオリンのボディ長の設計を約3mm拡大し355mm前後とした楽器となった(後にロングモデル、ロングストラドなどと呼ばれる)。18世紀初頭における標準であったオールドイタリアンヴァイオリンのボディ長は352mm前後であった。

1737年12月18日、クレモナにて死去し、サン・ドメニコのバシリカに埋葬された。この教会は1868年に解体されたため、ストラディバリの遺骸は失われた。

クレモナ市の参事会を構成する地元の貴族や有力者は、外国の王侯貴族の庇護で裕福になる楽器職人の存在を不快に感じていた。そのためストラディバリの死後、三男のパオロは父アントニオと二人の兄から相続した楽器の製作道具を「クレモナ市内で使用しないこと」を条件に売却した[3]

ストラディバリは、2人の息子、雇っていた多くの職人と共に、短期間に大量の弦楽器を作り出した。しかし、ストラディバリの死後に後継者は存在せず、ストラディバリの用いた製法は失われた。1745年にはほとんどの楽器職人がクレモナから去り、クレモナでの弦楽器製作の伝統も途切れた。21世紀現在、クレモナは弦楽器製作の町として復興しているが、これは他の地区から移入された製造技術によるものである。ストラディバリの弦楽器製造技術を再現する試みは現代に至るまで続いている。

脚注

  1. ^ a b ロンドンで盗まれたストラディバリウス、2年半ぶりに発見”. CNN (2013年7月31日). 2014年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。
  2. ^ 神の秘密 278年目の挑戦 GENROQ 2015年4月号 No350 三栄書房 P180-183
  3. ^ 横山進一『ストラディバリウス』(アスキー新書)アスキー・メディアワークス、2008年 ISBN 9784048674171

関連項目