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「クリーヴランド管弦楽団」の版間の差分

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'''クリーヴランド管弦楽団'''(クリーヴランドかんげんがくだん、{{lang-en|'''The Cleveland Orchestra'''}})は、[[アメリカ合衆国]]の[[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーヴランド]]を本拠地とする[[オーケストラ]]。
'''クリーヴランド管弦楽団'''(クリーヴランドかんげんがくだん、{{lang-en|The Cleveland Orchestra}})は、[[アメリカ合衆国]]の[[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーヴランド]]を本拠地とする[[オーケストラ]]。


== 概要 ==
== 概要 ==
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セルの没後、大幅に減少した定期会員を呼び戻し、皆無になっていたレコード会社との契約を3社にし、華やかなソリストを連れてきたのが[[ロリン・マゼール]]である。ウィーンへ転出するまでの11シーズンに、厳しいトレーニングによりセル時代の規律を取り戻し、かつ馥郁たるプレゼンスをオーケストラにもたらした。このコンビは交響曲・オペラ・バレエのディスクで国内外の賞を獲得した。
セルの没後、大幅に減少した定期会員を呼び戻し、皆無になっていたレコード会社との契約を3社にし、華やかなソリストを連れてきたのが[[ロリン・マゼール]]である。ウィーンへ転出するまでの11シーズンに、厳しいトレーニングによりセル時代の規律を取り戻し、かつ馥郁たるプレゼンスをオーケストラにもたらした。このコンビは交響曲・オペラ・バレエのディスクで国内外の賞を獲得した。


マゼールの後任の[[クリストフ・フォン・ドホナーニ]]はクリーヴランドに住居を構え、腰をすえて音楽監督の仕事にあたった。セルやマゼールが行ったようなドラスティックな改革こそないものの、古典から現代までのレパートリー拡張にめ、かつ鍛えに鍛えあげたアンサンブルを背景に戦後の米国オーケストラとして初めて[[オーケストラ#伝統的配置|ヴァイオリン対向配置(両翼配置)]]をレギュラー化した。また、彼の任期中にホームのセヴェランスホールの3,600万ドルに及ぶ大改装に着手した点も見逃せない。この改装によりクリーヴランドの聴衆はセルがコンクリートで覆い隠してしまったパイプオルガンを、数十年ぶりに舞台上に見ることが出来たのである。
マゼールの後任の[[クリストフ・フォン・ドホナーニ]]はクリーヴランドに住居を構え、腰をすえて音楽監督の仕事にあたった。セルやマゼールが行ったようなドラスティックな改革こそないものの、古典から現代までのレパートリー拡張にめ、かつ鍛えに鍛えあげたアンサンブルを背景に戦後の米国オーケストラとして初めて[[オーケストラ#伝統的配置|ヴァイオリン対向配置(両翼配置)]]をレギュラー化した。また、彼の任期中にホームのセヴェランスホールの3600万ドルに及ぶ大改装に着手した点も見逃せない。この改装によりクリーヴランドの聴衆はセルがコンクリートで覆い隠してしまったパイプオルガンを、数十年ぶりに舞台上に見ることが出来たのである。


歴代の音楽監督とともに残してきた膨大な録音点数に加えて、[[ウラディーミル・アシュケナージ]]や[[オリヴァー・ナッセン]]、[[クルト・ザンデルリング]]、[[ヨエル・レヴィ]]、[[リッカルド・シャイー]]、[[マイケル・ティルソン=トーマス|マイケル・ティルソン・トーマス]]らとも録音活動に取り組んでいる。また、近年は[[内田光子]]がレジデントプレイヤーに就任し、内田の[[指揮 (音楽)#歴史|弾き振り]]を含め、共演する機会が多い。
歴代の音楽監督とともに残してきた膨大な録音点数に加えて、[[ウラディーミル・アシュケナージ]]や[[オリヴァー・ナッセン]]、[[クルト・ザンデルリング]]、[[ヨエル・レヴィ]]、[[リッカルド・シャイー]]、[[マイケル・ティルソン=トーマス|マイケル・ティルソン・トーマス]]らとも録音活動に取り組んでいる。また、近年は[[内田光子]]がレジデントプレイヤーに就任し、内田の[[指揮 (音楽)#歴史|弾き振り]]を含め、共演する機会が多い。


== 歴代指揮者 ==
== 歴代指揮者など ==
*[[ニコライ・ソコロフ (指揮者)|ニコライ・ソコロフ]](常任指揮者[[1918年]][[1933年]])
*[[ニコライ・ソコロフ (指揮者)|ニコライ・ソコロフ]](常任指揮者[[1918年]] - [[1933年]])
*'''[[アルトゥール・ロジンスキ]]'''([[1933]]~[[1943年]])
*'''[[アルトゥール・ロジンスキ]]'''(1933 - [[1943年]])
*'''[[エーリヒ・ラインスドルフ]]'''([[1943]]~[[1946年]]※米陸軍に徴兵されたため音楽監督としての実務は最初の1シーズンだけ
*'''[[エーリヒ・ラインスドルフ]]'''(1943 - [[1946年]]※米陸軍に徴兵されたため音楽監督としての実務は最初の1シーズンだけ
*'''[[ジョージ・セル]]'''([[1946]]~[[1970年]])
*'''[[ジョージ・セル]]'''(1946 - [[1970年]])
*[[ピエール・ブーレーズ]](音楽顧問[[1970]]~[[1972年]])
*[[ピエール・ブーレーズ]](音楽顧問:1970 - [[1972年]])
*'''[[ロリン・マゼール]]'''([[1972]]~[[1982年]])
*'''[[ロリン・マゼール]]'''(1972 - [[1982年]])
*'''[[クリストフ・フォン・ドホナーニ]]'''(音楽監督[[1984年]][[2002年]]、桂冠音楽監督[[2002]]~)
*'''[[クリストフ・フォン・ドホナーニ]]'''(音楽監督[[1984年]] - [[2002年]]、桂冠音楽監督:2002 - )
*'''[[フランツ・ウェルザー=メスト]]'''([[2002]]~ 
*'''[[フランツ・ウェルザー=メスト]]'''(2002 -

※太字は音楽監督
※太字は音楽監督


== 歴代コンサートマスター ==
== 歴代コンサートマスター ==
* [[ソル・マーコッソン]](1918~1919)
* [[ソル・マーコッソン]](1918年 - 1919年)
* [[ルイ・エドリン]](1919~1923)
* [[ルイ・エドリン]](1919年 - 1923年)
* [[アルトゥール・ベックウィズ]](1923~1926)
* [[アルトゥール・ベックウィズ]](1923年 - 1926年)
* [[ジョセフ・フックス]](1926~1941)
* [[ジョセフ・フックス]](1926年 - 1941年)
* [[フーゴ・コルベルク]](1941~1942)
* [[フーゴ・コルベルク]](1941年 - 1942年)
* [[トッシー・スピヴァコフスキー]](1942~1945)
* [[トッシー・スピヴァコフスキー]](1942年 - 1945年)
* [[ジョセフ・クニッツァー]](1945~1946)
* [[ジョセフ・クニッツァー]](1945年 - 1946年)
* [[サミュエル・サビュー]](1946~1947)
* [[サミュエル・サビュー]](1946年 - 1947年)
* [[ジョーゼフ・ギンゴールド]](1947~1960)
* [[ジョーゼフ・ギンゴールド]](1947年 - 1960年)
* [[ラファエル・ドルイアン]](1960~1969)
* [[ラファエル・ドルイアン]](1960年 - 1969年)
* [[ダニエル・マジェスケ]](1969~1993)
* [[ダニエル・マジェスケ]](1969年 - 1993年)
* [[マーティン・チャリフォー]](1993~1995)
* [[マーティン・チャリフォー]](1993年 - 1995年)
* [[ウィリアム・プルーシル]](1995~)
* [[ウィリアム・プルーシル]](1995年 - )


== 主な現役楽団員 ==
== 主な現役楽団員 ==
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*[http://www.clevelandorchestra.com The Cleveland Orchestra(英語版)]
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2019年6月4日 (火) 12:37時点における版

クリーヴランド管弦楽団
The Cleveland Orchestra
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オハイオ州クリーヴランド
ジャンル クラシック音楽
活動期間 1918年 -
公式サイト The Cleveland Orchestra
メンバー 音楽監督
フランツ・ウェルザー=メスト
桂冠音楽監督
クリストフ・フォン・ドホナーニ
副指揮者
サーシャ・マキラ

クリーヴランド管弦楽団(クリーヴランドかんげんがくだん、英語: The Cleveland Orchestra)は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーヴランドを本拠地とするオーケストラ

概要

アメリカ5大オーケストラ("Big Five")」[1]の1つとして世界的に広く知られる。冬季はクリーヴランドのセヴェランス・ホール英語版で、夏季はカヤホガフォールズのブロッサム・ミュージック・センターで、セルが1968年に創設した「ブロッサム音楽祭(英語版)」のレジデントオーケストラとして演奏を行なっている。

沿革

1918年にアデラ・プレンティス・ヒューズにより、ニコライ・ソコロフを常任指揮者に迎えて創立された。

発足当初から、米国東部全体で演奏旅行を行い、ラジオ放送への出演やレコード制作にも取り組んできた。1960年代からは西海岸にも進出して演奏旅行を行なっている。

ジョージ・セルの20年以上に渡る音楽監督時代に、大幅な楽員入れ替えや猛烈なトレーニングにより、「セルの楽器」と呼ばれるほど空前絶後の精緻なアンサンブル能力を獲得し、それまでのアメリカの平凡な地方オーケストラの一つから、全米トップファイヴの一つに上り詰め、以来世界のトップオーケストラの一つとして評価される基礎を作った。

セルの没後、大幅に減少した定期会員を呼び戻し、皆無になっていたレコード会社との契約を3社にし、華やかなソリストを連れてきたのがロリン・マゼールである。ウィーンへ転出するまでの11シーズンに、厳しいトレーニングによりセル時代の規律を取り戻し、かつ馥郁たるプレゼンスをオーケストラにもたらした。このコンビは交響曲・オペラ・バレエのディスクで国内外の賞を獲得した。

マゼールの後任のクリストフ・フォン・ドホナーニはクリーヴランドに住居を構え、腰をすえて音楽監督の仕事にあたった。セルやマゼールが行ったようなドラスティックな改革こそないものの、古典から現代までのレパートリー拡張に努め、かつ鍛えに鍛えあげたアンサンブルを背景に戦後の米国オーケストラとして初めてヴァイオリン対向配置(両翼配置)をレギュラー化した。また、彼の任期中にホームのセヴェランスホールの3600万ドルに及ぶ大改装に着手した点も見逃せない。この改装によりクリーヴランドの聴衆はセルがコンクリートで覆い隠してしまったパイプオルガンを、数十年ぶりに舞台上に見ることが出来たのである。

歴代の音楽監督とともに残してきた膨大な録音点数に加えて、ウラディーミル・アシュケナージオリヴァー・ナッセンクルト・ザンデルリングヨエル・レヴィリッカルド・シャイーマイケル・ティルソン・トーマスらとも録音活動に取り組んでいる。また、近年は内田光子がレジデントプレイヤーに就任し、内田の弾き振りを含め、共演する機会が多い。

歴代指揮者など 

※太字は音楽監督

歴代コンサートマスター

主な現役楽団員

来日公演(期間、指揮者、おもなメインプログラム)

エピソード

脚注

注釈・出典

  1. ^ 他の4つはシカゴ交響楽団ニューヨーク・フィルハーモニックボストン交響楽団フィラデルフィア管弦楽団[1]
  2. ^ 1959 - 62年

外部リンク