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「菊栄親睦会」の版間の差分

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'''菊栄親睦会'''(きくえいしんぼくかい)は、[[皇族]]と[[旧皇族]](旧宮家)による親交団体。
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正会員は皇族と旧宮家の当主夫妻、結婚により[[臣籍降下|臣籍降嫁]]した元[[内親王]]など37人で構成され、[[上皇明仁|明仁上皇]]、[[上皇后美智子|美智子上皇后]]、[[徳仁|今上天皇]]、[[皇后雅子]]と[[愛子内親王|敬宮愛子内親王]]は名誉会員となっている。かつて朝鮮の李王家も正会員であったが、[[李方子|方子女王]]が亡くなった後は有資格者が途絶えた。
正会員は皇族と旧宮家の当主夫妻、結婚により[[臣籍降下|臣籍降嫁]]した元[[内親王]]など37人で構成され、[[上皇明仁|明仁上皇]]、[[上皇后美智子|美智子上皇后]]、[[徳仁|今上天皇]]、[[皇后雅子]]と[[愛子内親王|敬宮愛子内親王]]は名誉会員となっている。かつて朝鮮の李王家も正会員であったが、[[李方子|方子女王]]が亡くなった後は有資格者が途絶えた。


また、正会員以外の親族も招かれることがある。{{要出典範囲|[[竹田恒泰]]によると、旧皇族の始祖である[[伏見宮邦家親王]]から5世代目の旧皇族(最年長は[[賀陽邦寿]]([[1922年]]生)、最年少は[[東久邇盛彦]]([[1967年]]生))までは全員招待され、以降の世代は本家の者のみが招待されるようになったという|date=2019-5}}。
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2019年6月7日 (金) 17:17時点における版

菊栄親睦会(きくえいしんぼくかい)は、皇族旧皇族(旧宮家)による親交団体。

1947年昭和22年)10月に昭和天皇の弟である秩父宮高松宮三笠宮の3直宮家を除く11宮家が皇籍離脱する際に、昭和天皇の考えによって会が誕生した。

毎年、新年の祝賀や天皇誕生日を始め、夏の時期の昼食会など定期的なもののほか、皇族内で慶事があった時などに会の集まりがある。

正会員は皇族と旧宮家の当主夫妻、結婚により臣籍降嫁した元内親王など37人で構成され、明仁上皇美智子上皇后今上天皇皇后雅子敬宮愛子内親王は名誉会員となっている。かつて朝鮮の李王家も正会員であったが、方子女王が亡くなった後は有資格者が途絶えた。

また、正会員以外の親族も招かれることがある。|竹田恒泰によると、旧皇族の始祖である伏見宮邦家親王から5世代目の旧皇族(最年長は賀陽邦寿1922年生)、最年少は東久邇盛彦1967年生))までは全員招待され、以降の世代は本家の者のみが招待されるようになったという

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